パソコンを始めたきっかけ(長文注意) | goodcatのブログ

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パソコンを始めたきっかけは、写真からだった。

 

以前の以前の勤務してた会社は電気関係で、同僚の人たちで電子関係の部署の人は、

パソコンを趣味にしてる人も多かった。そんな彼らから、パソコン買ったら?楽しいよ!

10万もだせば、DOS/Vなら買えるよ!とか勧められたけどパソコンなんて、いらないよ~って

思ってた。

やがてWindows95が世に出て、話題となってた。

 

そのパソコンをやってる人たちが、海外サイトから白人女性だったけど、いけない画像を

こっそりとみせてくれた。へ~そんなことできるんだね!っておもいながら

内心、ちょっと心が揺れた(笑)

 

当時、デジタルカメラでプロ用の一眼レフデジタルカメラもあった。

フィルム一眼レフカメラを改良してデジタルカメラにしてたけど、それが

100万~200万画素で、価格は100~200万円だったかな(汗)

一般的なデジタルカメラは、コンパクトデジタルカメラタイプで、35万画素程度。

印刷して使えるレベルではなかった(笑)。

 

じつは変化をあまり好まない、アナログ大好き人間だった。

いまでもそうかも?でも、流れに押し流されたけど。

 

若い頃、オーディオが趣味で、なんとなく簡単そうだからとラジオ・音響技能検定試験の

3級を受けて合格。

近所の家電量販店のオーディオコーナーにいくのが、もはや趣味のようになってた。

店員さんとなかよくなり、オーディオの話をしたりしてた。

お客さんがきて、どれにしようか迷ってたら、店員さんが、ちょっとおすすめ選んであげてって、

店員でもない私に任せられた。色々希望を聞いて、これはどうですか?みたいな感じで

売れてしまった(笑)

そんな仲だからか?視聴用のレコードが100枚くらいあったけど、時々漁って、

レコード借りて帰ってた!

そのうちCDが初めて世に出た。

CDプレイヤーの一般向けの初期はフィリップ社とソニー?だっけかな、

価格は25万円くらしてたような?

 

いつものように遊びにいくと、店員さんが、コレ貸してあげるから使ってみて!

と、フィリップ社のCDプレイヤーをさしだした。

(゜ロ゜;)エェッ!?

20万円をこえる商品は、壊したらやばいし、CDなんて別にいらないし・・・

きがすすまなかったけど、無理やり貸してくれた(笑)

翌日に返しに言った。視聴用にCDもかりたけど、壊したらやばいし、CDなんて興味なかったから

聞いた感想を覚えていない。

針交換で音は大きく変化するけど、ターンテーブルを変えるだけで音が変わるレコードの

ほうが好きだった。

MVタイプとMCタイプを使ってたけど、ほとんどMCタイプだった。

デンオンのDL-103だっけ、癖がないその音が好きだった。

後に、YAMAHAの懸賞で、CDの仕組みという本が当選してた。

応募が半年も前で、忘れてた。

その本を読んで、なんとなく仕組みがわかった!

 

デジタルカメラも嫌いだった。

銀塩写真にかなうはずがない!って思い込んでた(いや、アナログ派としては認めたくなかった)

 

だいぶ脱線しましたが、もうちょっと脱線します(汗)

 

以前の以前の会社を退職して、子供のことからのあこがれの職業になりたくて

転職した。

電気関係とは、全く関係ない仕事だった!

 

趣味の写真は継続してたんだけど、遊びに(デート)行って、思い出写真を撮るときには

ネガフィルムをカメラに装填して写してたけど、遊び(デート)でも、花や花火、景色のいいところ、

雪景色などでは、ポジフィルムをカメラに装填して撮影してた。

ネガフィルムはオレンジ色のベースに色は反転してて、そのままフィルムを透かしてみても

もとのいろはわかりにくい。ネガからのプリントはラチュードが広く、

露出(フィルムに焼き付けてる度合い)がちょっとくらい明るい暗いに偏っても、写真にプリントするときに

調整がきくんです。色合いも修正ができますから、その写真撮影が成功か失敗かなんて

あまり関係なかった。

それが面白くなかった私(笑)

ポジフィルムは、プロカメラマンは写真印刷原稿のために、アマチュアは、スライドフィルムとして、

スライド投影機でスクリーンに大きく投影してみるのが一般的かな?

スライド投影機もスクリーンも部屋にあったよ!

ネガフィルムにもあるけど、ポジフィルムは、アマチュア用とプロ用があります。

わたしはプロ用を使っていましたが、大した写真の取れない私には、プロ用というのが好きで

つかってたようなものです。

アマチュア用って、フィルムを製造してすぐ出荷出来る製品となるんだけど、それは

まだ熟していない果物のようなもので、常温でゆっくり熟していき食べごろ(一番いい状態)に

なりそのピークを超えて、腐っていく(再現性が劣っていく)わけです。

保管環境によるので、たべごろなんてわかりません(笑)

一方、プロ用フィルムは、エージング(メーカーにて完熟の食べごろに)して出荷されます。

ベストな状態をいじするために、保存温度が13℃だったかな?それ以下で保存するように

指定してあります。

わたしも冷蔵庫保存してました。プロラボ(堀内カラー)にフィルム現像を依頼して(送ってた)、フィルムも

そこで購入してた。スライド枠もそこでついで購入してた。

基本、コダックフィルムが好きだった(笑)

最初の頃は、近所のDPE屋さんにだしてたけど、そこでは現像できないから外注に出してるわけだけど、

スライド枠に入れるように注文してたけど、その扱いは最悪で、スライド枠をはめそこねたのか?フィルムの画像面に穴があいてたり、その超低レベルな仕上がりに苦情も言う気持ちになれず(出来ないレベるだから無駄なこと)、じゃ、スイープ仕上げなら?とスリープ仕上げに指定するとフィルムの画像面を切ってたり、駄目過ぎだった。プロラボに出すことにしました。

 

脱線が長くなったけど、プロラボに出してるときも、スリープ仕上げにしてた。

そこはさすがプロラボ、雑な仕事はまったくなかった!

スリーブを透かし装置とルーペで覗いて、選んだものだけをスライド枠に自分ではめ込んでた。

スライドを整理するためにバインダー式のファイルを買って保存してたけど、そのフォルダが

何冊も増えていき、あのときのあの花は、どこにあるんだろう?

と、ひとつひとつ出しては25枚(枠)入りのファイルを透かし装置でみて探すことをしてて、

めんどくさくなった。

 

最初は、コンビニのカラーコピー(カラーコピー1枚100円してた)でファイルシートをカラーコピー

してみた。

狙いはそれをホッチキスなどでとめてそれをめくり見ることでみつけやすくするつもりでした。

だが、色が暗い(コピーするものが反射原稿でなく透過原稿なため)ために内容が確認できる

レベルではなかった。

いろいろ試してみたりしたけど、策が尽きた(笑)

そこで、パソコンなんて嫌いなんだけど、しかたなくパソコンで整理することを考えてみた。

これが、私のパソコンの始まりだったんです!

 

高校は電子科だったけど、パソコンなんてほとんど勉強してないし、職員室にNECのPCシリーズが

1台あるだけだった(笑)

せいぜい論理回路を勉強したくらいだったのでPCは、ほぼ無知!

aからzまで10秒以内に打てないと卒業させてやらないぞ!とか言われて、職員室に

遊びに行き、練習してた(汗)

おかげで高校を卒業したときに、船舶の配電盤の製造会社の設計課で入社して海外の船舶は

英語でした。英文タイプライターで英文字を打ち込むときに助かったね~(笑)

ちなみに、そのころはちょっと暗い性格がゆえに集中力があったからタイプミスはなかったよ!

後に同業者の設計課にワープロとかいうのがあって、和文タイプができるらしいと

噂をきき、用事のあったときに偵察、へーー刻印がない!!!便利そうだねっておもってた。

当時、職場には和文タイプがあったけど、漢字をさがして金属刻印をつまみあげて

紙にぽちと印字するので時間がめちゃくちゃかかったし、無い漢字も多かった。

ないのは、あとからそこだけ手書きだった。

 

脱線戻り

最初は、何もわからないから、市内のパソコン専門店で購入した。

パソコン本体は富士通で、Windows95 HDDは3GB(C:1GB/D:2GB) 15万円くらい

フィルムスくきゃなー(ニコン)8万円くらい・プリンター3万円くらいだったかな?

後に、MOドライブ3万円などなど。。。

だった。

フィルムをスキャナーして、失敗してで、知らない間にTEMPファイルが増えたんでしょうね?

Cドライブが一杯でパソコンが動かない。

買ったパソコン屋に電話して、Cドライブの中を整理するようにいわれたけど、わからない。

初めてのパソコントラブルだった。

結局、説明書を読みながら、初めてパソコンをリカバリした。

パソコン内に保存できる量がきまってるとしって、

MOドライブをパソコン専門店からいわれるままに買った。

そのとき、パソコン屋さんと話ししてたんだけど、リカバリをしたことを話すと、

もう大丈夫、なんとかなるみたいに言われた。

おかげで、パソコン不調になるとリカバリの公式が私の中で、当時できてしまった(汗)

 

パソコンで写真整理するつもりでスキャナーで取り込んだり印刷したりしていった。

ある時、ふと思い出した!

前の勤務先で、同僚からいけない画像をみせてもらったことを思い出した。

ちょっとだけ、見たくなった←ヽ(´~`; ォィォィ

プロバイダ契約をしてなかったので、ダイヤルQ2による接続をしてみた。

Q2の代金に電話代、おおよそ計算して親にお金渡しましたよ(笑)

うはぁー、鼻血出ることはないけど、初めてネットの世界を覗いてしまった!!!

む、む、無◯正な画像にびっくりした(汗)

当時の恋人にその話をしてみたら見たいとか言うからちょっと見せたけど

すごいね!で終わってもう見なくていいって言われた(それが普通である)。

みれたから、いいや!ってことで、それよりも他に面白そうなのものを求めて
ネットの世界の興味が出てきた。

当時、大手のプロバイダの接続は毎月1万円ちかくしてた。
そんな中、毎月3000円のプロバイダがあった!
そことプロバイダの契約した。
そしてテレホーダイと言うものを知り、即NTTに申し込んだ。
当時、アナログモデムでも28kbpsから56kbpsまで接続のタイミングで最大速度は
変わってた。あの当時は市内のアクセスポイントに通話して市内の3分10円の通話料が
痛かったからテレホーダイは最高だった(笑)
テレホーダイの時間になると、繋がりにくくなるので、テレホーダイの有効時刻より
少し早めにアクセスポイントに繋いでた(数十円手出しになるけど)。
インターネット上のいわゆるオンライン友達もできた。
プロバイダからHPが10MB分、作れたので試しに作ってみた。
GIF画像を散りばめて、おおぉ~ネオンみたいだねって喜んでアップロード。
オンラインフレンドに感想をきくと、早速意見を貰った(汗)
画像が多すぎてひらくのがおそくなるからNGとダメ押しさえた( ;∀;)
色々改良してOKもらてたなぁー
でも、HPの内容は無いですw
作ってみたかっただけだから・・・

同居の弟もパソコンをはじめた
(じつは子供の頃から友達にPC借りてきてちょっとやってたみたいでわたしよりちょっとくわしかった)
ので、ネット回線の取り合いになるので、家の電話は弟に使わせた。
そして、自分は、NTTに電話回線の開局を依頼した。
当時、電話回線をひくには施設負担金と言うかたちで8万円以上初期費用がかかった。
そして、自分専用の電話回線がここで登場したのでした!
電話番号は恋人くらいにしか告知していなかったですね。

やがてISDNが始まったので、ISDNに切り替えた。
後に家の電話もISDNに切り替えたので、ネット接続中による話し中問題は解決した!
ISDNの早さに感動した!
ISDNテレホーダイに同時に切り替えたw
とはいえ、いまと比べれば、とんでもなく遅いけどね(汗)

次に、ADSLが始まった。
ISDNと相性が悪く同じケーブルに混在すると良くなかったらしいです。
電話局から近いことが条件だったけど、うちは比較的近い所に有り、問題なかった。
ISDNと比べれば、すごく早くなって嬉しくなってたなぁー

この頃から、オンラインゲームRPG(MMORPG)をするようになってた。
はじめて遊んだのは、何かの付録のCDだったかな?
お試しみたいなRPGゲームで、動物を育てるゲームだった。
知らない人と交流するゲームがちょっと楽しいって思えた。

ゲームはゲーム機で遊ぶ!パソコンではゲームはしないと強い意志をもってたはずなのに

おかしいなぁ~?(汗)

それは無料で出来る上限が有り、そこに達したので終わった。

 

ちょっと、MMORPGに興味が出てきた。

PC専門店が家のすぐ近くにできてからちょくちょく寄ってた。

だいたいゲームの感じは知ってたので、できるだろうと

ウルティマオンラインだったかな?をパッケージ版で買った。

たしか8000円くらいしたよ!一ヶ月無料でできるものだったが

ひとりではおもしろくないから弟のぶんの自腹でかってきて

パッケージ版を渡して弟を誘った。

いざ、やってみると、全て英語、スキルやステータスの配分、ゲーム内の施設などなど。。。

(゜ロ゜;)エェッ!?

ちなみに英語は全く駄目でして(汗)

そこで、パッケージをもう一度じっくりみてみたら、小さめな文字で

簡単な英語力が必要ですって書いてるやん!

全然簡単じゃないんだけど(汗)

でも、せっかく買ったんだからと、ゲーム内を散策、みんな家を建ててもってる。

私はと言うと、ホームレス状態w

動物を倒して、解体して売ればいいらしいけど、わからない。

ただ、弱い動物を虐待するだけのゲームになってしまった(汗)

このゲーム、キャラがENDすると、幽霊になりさまようのです。

装備は地面におちて幽霊ではひろくこともできなかった。

生き返らえるスキルをもったい人がいるらしいことはしってたけどわからない。

そして、あきらめてやり直した。

あるとき、森を歩いてると、名前が赤いキャラクターがいた!

直感的に、やばいと感じた次の瞬間、そいつが近づいてきたので私は危険を察知して

逃げたけど追いつかれ、やられてしまったOrz

結局、何も進まないまま、一ヶ月経つ前にゲームを辞めた。

ゲームを買ったのをすごく後悔した。

 

そして、リネージュというMMORPGを知った。

まだ、本サービスになって間もなくて、ベータ期間終了で有料サービス開始前だった。

ためしにはじめてみた。

ゲームの世界や地図は予めネット上で情報を得ていた。

エルフを作った。

ゲーム通貨は、エルフは、開始場所で得られなかった。

冒険がしたくなり、守られたエルフの森を出てみたら、蜘蛛がいた。

やばそうとにげたがおいつかれEND、知らない町から再スタートとなった。

早く移動できるヘイストという機能(アイテムか魔法により)をしらなかったのである!

予定では東の端の町に行きたかったのだ!

どこに居るかわからないまま、町から外にでたら、またあの蜘蛛がいた!

また、にげてもおいつかれてEND、、知らない町から再スタートとなった。

が、さっきとは違う街だった。

だんだん心細くなっていった(汗)

そして、もうこわいから戻りたい><

っておもって街を出たら、またあいつがおいかけてきた、END。

また、知らない町にきた。

帰れないでべそかいてたら、みんな知らん顔だったが、

私のキャラはネームが白く、明らかに低レベルとわかるものだったからか、

白ネームが、なぜここにいるんだってチャットをめにしたが、しらんがなーーwww

私が聞きたいよ!(キ▼д▼;)トホホ・・ って感じでいた。

そのとき、親切な古参の人が声をかけてくれた。

どうしたの?

一部始終を説明した。

ブックマークしてる?

そいえば、いみもわからずに初めての場所で付けてたのを覚えてる。

はい!あります。

じゃ、これをつかったら帰れるよとおしえてくれて、祝福されたテレポートスクロールをくれた。

私はお礼を行って、それを使った!

戻れた!やったぁーー

それから、しばらくは守られた森で狩りをしてレベル上げをしてた。

エントという守護神がいるんだけど、そいつをパンチしてるとアイテムがもらえる。

エントの実の正常な使い方もしらないで、回復剤として使ってた。

そのころになって、このゲームにハマっていった!

恋人にもおすすめして、ゲームをはじめたので、一緒に狩りしたりたすけあって、結構楽しかった(笑)

わからない事ばかりで、試行錯誤しながら、ときには地面に落ちてる(捨ててあったんだね)を

拾って装備してみて調子をみてたが、たまに呪われた装備で、外せなくなりアタヾ(・・;)ノヾ(;・・)ノフタ。

呪いを解くスクロールで解除したりと、おもしろかったなぁー

 

でも、通常のHPサイトをみたりするには快適で問題なかったけど、一瞬の通信切れとかが

ADSLは多かったので、リネージュでそれが原因でキャラがENDすることも多く、不満があった。

キャラはENDするとレベルアップの経験値を削がれるのである。それでレベルダウンにもなる。

やがて、NTTから家庭向けの光ファイバーが始まったが、まだ自宅はエリア外だっったので

予約申し込みをした。

やがて光回線になり、フレッツ光→フレッツ光なんちゃら→フレッツ光隼になって現在のいまです。

 

皮肉なことに、デジタル嫌いのわたしが、アナログ写真の整理のためにパソコンをはじめてしまった。

でも、オンラインからオフラインへ、友達は増えた!