こんばんは。
幾万もあろうブログの中から、本日もお越し下さいまして、誠にありがとうございます。
今日は、幻となったスピリチュアル婚活セミナーで「こんな話をされたのではないかな?」ということを書かせて頂く第2弾をお送りします出ていた資料を基に話を進めますが、まったくの僕の想像ですので、全然違うお話だったかもわかりませんことをご了承くださいますよう、お願い申し上げます。
<幸田先生語録>
Lesson2 :魅力を磨く<自分を知る>
得意分野やチャームポイントが無い、私はダメなんです。
そんな方々に何百人も会ってお話してみると、
必ずいいところ、得意分野はあるのです。
それでは自分を知るにはどうしたらいいのでしょうか?
レッスン1 で、まず自分がモテている(持てている=持っている)ということがわかりました。
次は「何を持っているか?」を知ることです。
それが解らなければ、何が魅力かもわかりませんし、磨きようがありません。
自分を知るということが必要です。
そのために具体的に何をするか?
自分について、長所と短所を書き出しましょう。
書き出す時に、パソコンに打ち込むというより、できれば紙、ノートなどに手書きで書くのをおすすめします。
なぜかというと、手書きの方がキーボードを打つよりも動きがダイナミックで複雑になり、より身体を使うので、その分、より深く身体や脳、潜在意識にしみこむからです。
で、長所と短所を書いたら、長所の方はまず、置いておいてください。
注目すべきは短所の方です。
例えば僕は話してものを伝えるのが苦手です。
特に、何かを依頼するとかお願いする、というのが。
書いて伝えるのはまだいいのですが話す方は、相手の反応がすぐ返ってくるからか、きっと怖いのだと思います。
これは僕にとっては「短所」なのですが、
そういう特徴なのだと自覚できれば、
他の人が一歩で進むところを、
10歩くらいかけるつもりで話しかける、働きかける、
というようにすればいいのではないか、と今思いました。
そうすることで、「すごく丁寧なアプローチ」となるかもしれません。
勿論「まどろっこしいんだよ!」という評価もあることでしょう。
でもどっちにしても、自分のペースはそれなのだから、「まどろっこしい」と思う人とは、縁がなかったのかもしれません。
例えば仕事上のつきあいで離れられない、という場合なら、最低限のことでつながるとか、そういう意識になれるだけでもいいと思うのです。
開き直る、わがままに行く、ということではなく、自分を大事にするということが、結局は周りも大事にすることなのかなと思うのです。(「殻にこもる」ということではなく。だって意思を表明しているわけですから。)
で、そうして、そういうスタンスに少しずつ慣れていくうちに、ちょっとずつかもしれないけれど、自分なりの一歩が大きく進めるようになる、伝えられる範囲が大きくなってくるかもしれません。(そうならないといけない、ということではなく、自然な流れとして。)
ともかく、そのことを「短所」と認識し、克服しなければならない欠点と思っているから話す時に、変に「自信があるように話さなきゃいけない」というような意識が働き、それが「上から目線」や尊大な言い方(周りから聞いた場合や、後で自分で思い返して)になってしまって自分が望むのと正反対の反応や結果になってしまって、ついには自分が話をするとそうなっちゃうんだという風に思ってしまう。
そしてそれを予想できちゃうから話さなくなる、という。(僕のことです。)
短所と捉えるのではなく、レッスン1でも言いましたが、ひとつの特徴と捉えることで、ニュートラルに観ることができ、少なくとも引け目に感じなくなると思うのです。
なぜ先に短所に注目したかというと、自爆点、サッカーでいうオウンゴールを封じるためです。
何も始まらない前から負け、という状態を回避するためです。
あなたは傷つけくことを怖れてきたはずです。
傷つく可能性、つまり引け目や欠点を必要以上に意識してしまうからです。
引け目や欠点を特徴として捉え、ニュートラルに観ることで、あなたは少なくとも「負けないあなた」になれるはずです。
そして次は、長所です。
長所を後回しにしたのは、先ほどの理由の他、もう1つあります。
長所を書けた方は少ないのではないか?と思うからです。
とてもとても、こんなのは長所と呼べない、おこがましい、とか、そもそも得意なものがない、とか。
ところで、長所とは何でしょうか?
ひとつの特徴、特性を「良いところ、魅力あるポイント」として自分が認識したものということ、それだけではないでしょうか?
レッスン1でお話した「いつも暗い表情の人と葬儀屋さん」の話ではありませんが、一般的にネガティブなものとされていることでも、捉え方や環境ひとつで長所になるわけです。(環境を創るのも自分、という考え方に沿っています。勤め先として葬儀屋さんがなかったとしても、そういう、何か自分を活かせる環境ってないかと探したり、自分で作りだそうという眼を持つ、養うだけでも全然違うと思うのです。)
つまり、書き出した時に長所がなくてもいいのです。
短所があればあるほど長所に変わる種をたくさん持っているということです。
「それはわかるんだけど、その捉え方を変えるのが難しいんだよ」とおっしゃるかもしれません。僭越な言い方ですが、よくわかります。
捉え方を変えるのには、大きく分けて2つあると思います。
ひとつは、もうシンプルに、切り替えることです。
本当にもうシンプルに、その裏側を観る、というやり方です。
さっきの1歩を10歩、ではないですが、臆病、ということは「慎重」ということです。
それだけある意味「安全を確保できる」ということです。
(この時、ゆでガエルのお話などは考えない方がいいと思います。)
※ゆでガエルのお話=ぬるいお湯にカエルを入れておいて、少しずつ温度を上げていくとその変化に気づかないまま、カエルはゆで死にしてしまうというお話で、「ぬるま湯で安全に見える現状に甘んじていないで、変化、革新を求めていきましょう」というお話。
また、「おっちょこちょい」ということは「機敏に行動できる」「損得関係なく動ける」ということかもしれません。
これは一例ですが、こんな風にシンプルに裏側に光を当てるという方法です。
これで捉えなおせて、ニュートラル、もしくは長所と捉えられたら、これは素晴らしいことです。
でも、「そうは思いきれない」「思い込みっぽくて、そうは捉えられない」という方もいらっしゃると思います。
かくいう僕がそうでした。
で、そういう方にはもう一つの方法。
「自分に問いかける」というやり方です。
自己観察するということです。
例えば、消極的である、ということをネガティブに捉えていた場合「どうして私は消極的なのをよくないと思っているの?」と、ひたすら自分に問いかけるのです。
その時答えが出なくてもかまいません。
しっかりと問いを投げかけていれば、その頻度と集中度によって差はありますが、必ず答えは返ってくると思います。
答えとは何かと言うと、「消極的であることをよくないこととする価値観の原因」です。
例えば、小さい頃、授業参観の後「自分から積極的に手をあげなきゃダメでしょ」と親から言われてそのことが根強く残っている、とか・・・
その価値観がみえてきたら、「これって今でも必要かな」「こう思わなきゃいけない根拠ってあるのかな」「これって本当かな?」と自分で突っ込みを入れてみることです。
積極的なのはどこからみてもいいことのように思うのですが「積極的にならなきゃ」と無理に思うことで、自然な自分でいられなくなったり、さっきの僕のように尊大になったり上から目線になったり、というのでは本末転倒だからです。
そうして、この場面では必要ない、と思ったら、手放すことです。
手放す、というのは「捨てる」ということではありません。
今は使わない調味料を、棚に置いておく、という感覚です。
さっきの「臆病」にしても、自分の身を守るには大切な価値観です。
線路スレスレで歩いたり、冬山の危険なところに何の装備も持たずに踏み入る、とかいうことではないのです。貴重な価値観なのです。ただ、「今は要らないでしょ」っていうことです。
で、自分の特徴をニュートラルなものとして、あるいは長所として捉えることができたとします。
いよいよ「魅力を磨く」です。
さて「磨く」とは、どういう行為でしょうか?
「デジタル大辞林」によると
ということです。
僕はここで、上記1,2に注目します。
研いだり、こすったりして、磨くということ。
どれだけ魅力があっても、それを使わないでいたら、やはり宝の持ち腐れで、どんどんさびていってしまうと思うのです。
包丁と同じで、常に研いでいることで、いつでも使える状態になるわけです。
いつでも魅力的、ということです。
では、実際に「魅力を磨く」とはどうすることか?
その特性(魅力)を人前でシェアする、ということではないかと思います。
(全然具体的じゃない、という声があるかもしれません。すみません。)
僕の例で言いますと、例えばこのブログです。
こうやっていろいろと書かせて頂いて、本当にありがたいことにありがたいコメント、メッセージなどを多数いただき、本当に感謝しています。
手前味噌で本当に恐縮ですが、多くの方が喜んで読んで下さる、という意味で「魅力」と言っていいものかもしれないのですが、僕自身は、書く前までは、IRMで学んだこと、そしてその前からいろいろ本やセミナーで勉強し、試してきたこと(つまりこのブログで書いていること)は「魅力の種」になるとは思っていませんでした。
だって「悩み」があったから勉強してきたわけで、むしろ、マイナスポイントとして捉えていたと思います。
これも、シェアさせて頂いたおかげです。
本当にそう思います。
人前に出す、という段階で、どういう風に書いたらわかりやすいか、とか考えるわけで、もうそこから「こする、磨く」が始まっています。
仮想の「他人の目」を自分で作り、それによって磨くわけです。(そういう意識はなくても、結果としてそうなっているということ。)
また、実際に頂くコメント等によって「あ、そういう風に伝わっているんだ」と確認することもでき、これも「磨く」になります。
また「こんなのは出せない」と自分で自分にストップをかけてしまうことがあります。
これは僕の場合ですが、たいていそういう場合は「かっこつけ」というか、ある程度の体裁が整っていないと出してはいけないみたいな縛りが出てきたりします。
仮想の「他人の目」よりも、もっと(悪い意味で)強力な「自分の目」によって、磨かれる、というのがあります。
結局それは見栄だったりするので、それを手なずける、克服するのも、ひとつの「磨く」になると思います。
(ややこしくてすみません。)
そういうように、表に出す、人の目の前に披露する、ということを意識するだけでも、ずいぶん違うように思います。
それだけでも、「磨く」は始まっているのだと思います。
そういう風に少しでも意識して1日1日を過ごすのと、意識しないで過ごすのとでは、最初は目に見えない違いかもしれないですが、1週間、1カ月、1年過ぎていく中で、ずいぶん違ってくると思うのです。
それだけ経たないと違いが出ない、ということではなく、継続は力なり、ということで、より大きい違いとなって現れる、という意味です。
「引き寄せの法則」でよく言われるのは「自分が意識を向けたものが、強大になり、引き寄せられる」ということです。
引き寄せの原点も、やっぱり「意識」のようです。
「意識」
ほんのちょっとでも、そっちへ向けてみませんか?
ここまでお読みくださいましたあなた様、本当に本当に、ありがとうございました。
あなた様にとって、今日も最高に心豊かな1日でありますよう、心よりお祈り申し上げます。
それでは、失礼致します。
※繰り返しますが、これは僕の想像であって、先生のお話は全然違うものだったかもしれませんことをどうぞご理解下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。