やっぱり、感情を観る | 運命☆好転!ハッピーブログ  ~人生をよりハイクオリティにする1つの方法 IRM~ 

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近未来型メンタルヘルスケアメソッド IRM(アイアールエム イデアリーディングメソッド)をやさしくわかりやすくご紹介しています。

こんばんは。


「退会状態」になっておりました、上野です。


おかげさまで、復活できました。ありがとうございました。


本当に、つながらなくなった時(ぺタをつけようと思ったら登録画面になった)、

muimuiさんの記事 ではないですが「へ?」と思いました。

パスワードもいいはずだしな・・とか、いろいろ考えました。


muimuiさんの記事 は、ほんとに、僕を含め、いきなり退会になった(知らぬ間に大海に投げ出された←僕の被害者意識ですね)みなさんの気持ちを代弁して下さっているような記事で、丁寧にイラストまでついて、書いて下さっているという。(観てすごくスカッとしました。別にアメーバさんに恨みがあるわけではありませんが。)

それだけではなくて、どうしてこれとっといてあるの?というようなものまでとっておいていらしてここに出していて(何だかわかりにくくてすみません)、ほんとに、退会時の気持ちにフィードバックできるんですね。(そんなんしなくていいという方も多いでしょうが。)

本当に手が込んでいて、その分、より面白く、でもただ面白いだけじゃない、心の底からググッとつかみこんでくるようなよろこびを感じられる記事です。


もしよろしかったら、お読み頂けましたら・・・


で、戻りますが、

何かやっちまったかと、それこそあらぬ妄想をしたりとかしました。

新規登録しようとしてもダメだし・・・


そのうちにアメーバさんから出てる情報に気づき全体的なトラブルであることを知り、「復旧してくれてるんだ・・」と安心し、今に至るわけですが、でもほんとにこうなって、いかにアメブロさん、そしてこれをお読み下さっている皆様から力を頂いているかというのを深く感じた次第です。

(言い方が固くなってしまいましたが。)


改めまして、本当に、ありがとうございます。

これからも宜しくお願い致します。




<幸田先生語録>



とにかく、感情を観ること。




対処とか解釈ではなくて、基本はまず感情を観ること。



そういう感情は持っちゃいけないとか、出しちゃいけないとか、そういう常識的な縛りを外していくことが大切です。




ここ何日か、何とも言えないもんもんとしたものがありました。

もやもやというか。


それが何だかは全然わかりませんでした。


周りから認められてないっていう思いにとらわれてるのか、


何かあせってるのか、


何かもやもやしてるのは間違いなかったんですが、その正体はわかりませんでした。


今思うと、自己観察しても解釈(これはこういう風に思えばいいんだよね、的な)とか、対処(具体的な問題解決にあたる)とかに走っていました。


※問題解決に当たることが悪いわけではないんですが、根本を観ないとその問題が起きた根っこのところ(真の意義)は残ったままなので、また起きるということなのです。わかるべきことをわからないといつまでも起こるよ、ということなのですが、これは過去の経験から思うことです。



で、昨日、母が家の中で転んで、病院で調べてもらったら左の鎖骨が折れていました。


(他、頭などは無事なので、どうぞご安心ください。)


で、昨日も病院、今日も病院で、近くだからいいんですが、なぜか、もんのすごく腹が立っていたのです。


それこそ、今日は午前中仕事を休みにして(自営業なので自分で決められるんですが)病院に行ってたので、何も怒る必要なんかないはずなんですが、もっのすごく怒りが込み上げてきたんですね。


でも、それを出しちゃいけない、俺はいろいろ勉強してるんだから、みたいな頭が出て来るのか、何かまたもんもんとしていたわけです。


でもイライラは母に見事に伝わるのです。(顔色とか、声とか・・まったく、な上野です)


で、病院からの帰り道、こっちは早く帰って仕事に行きたいのに、途中のお肉屋さんに寄って行こうという顔をする母。

(仕事熱心というわけでもなく、留守だったよと言われるのが嫌、来て下さったお客さまに迷惑はかけたくない、もしくは会社に出ているという形を整えたい、の3つのブレンドの気持ちからだと思います。お客様に迷惑かけるっていうのもこちらの勝手な想像(創造)なのですが)


で、結局寄って、母のお昼用の品々を買って帰り、母用のお昼の準備をしていたら「その餃子、会社に持って行って食べるつもりなの!?」と疑いと怒りの顔で言いだす母。


もういい加減にしてくれ、と思って「そんなわけないでしょ!」と、ちょっと強い調子で言ったら「怒らないでよ」と母。


悪いなという頭はあるので、そのあと「さっきはごめんね」とか言ったのですが、まだまだ悶々としたものは渦巻きまくりかえっていました。


そんなこんながあって、会社に出てきて、まーなんだかいろんな電話がいろいろかかってきて下さって、それはありがたかったんですがほとほと疲れてて。


で、お家賃が遅れているあるお客様から「体調が悪くて仕事ができないので、この前言った予定よりちょっと遅れます」という電話が入りました。


その電話を切った後、こみ上げてきた思いが

「どいつもこいつもちゃんと金払えバカヤロー!!」

でした。


ここではじめて、「自分は怒っているんだ」ということを認めてあげられました。


で、何で怒っているのか?


勿論、支払いの約束を守らないから、なのですが、よくよく観てみると、そうではありませんでした。


自分のところが、いろいろな事情から立て替えているものの支払いの遅れに対して、怒っている事に気づきました。


当たり前と言えば当たり前のことですが、さらに突き詰めて、何でそれで怒るのか?


結局、うちからお金がなくなっちゃうとか、立ち行かなくなっちゃうんじゃないかみたいな恐怖感がその奥にありました。お金がない、お金がなくなる、という恐怖感。


この前の「時間の有限性」 じゃないですけど、そういう恐怖感があるのを感じました。


勿論催促するのは普通のことだし、むしろ義務だし、集金したいという気持ちは全然おかしくないのですが、その奥にこういうのがあるのが観えて、やっぱり思考は現実化する、だから、この恐怖感が現実化することが起こってくるのだと思いました。


これは違う、これは下らないと思いました。


その価値観は手放す、と決めました。


シーソー理論で、そのお金で助かっている人がいる、ということを感覚として掴んだ上で、また、そのお金がもどるか否かに関係なく、うちはしっかりやっていけるし、その上で、オーダーとして、そのお金は戻ってくる、とオーダーしました。



これからどうなるか、楽しみです。


で、肝心のもう一つ、母への怒りの方ですが、これはまだ観ていません。


これから観ますが、また何か気付きがあったら書かせて頂きます。


ともかく今日は、「あ、おれものすげー怒りがあるんだ」と気がついて、それをぐわーっと感じられたことがよかったです。

それだけでもずいぶん「もやもや」が取れました。


怒る、っていうことを否定してたんですね。そのことに気づきました。


このブログに書かせて頂いているおかげです。


本当に、本当に、ありがとうございました!