こんばんは。
本日もお越し下さいまして、ありがとうございます。
今日、スポーツ新聞を開くと「岩田男泣き」とカラーで大きく出ていました。競馬の記事でした。
ブエナビスタという最強馬が復活を果たし、1着をもぎ取った、という記事でした。
岩田さんというのは騎手さんのことですが、その談話が載っています。
「最強馬に乗せて頂いているのに、ずっと結果を出せなくて、最強という言葉を表現させてあげられず、ブエナの名誉を守れず悔しい思いをさせるばかり。だから、真っ先にゴールに飛び込んだ時に、やっとブエナの強さを見せられた、という思いが一気に込み上げて来て・・・」
正直、競馬のことは疎いのですが「人馬一体」というか、本当に自分より馬のことを一番に考えているのが伝わって、ジーンときました。
そういう気持ちが、馬にも伝わるんだろうと思いました。
ゴールした時の写真が載っているのですが、お馬さんの顔、姿がまた神々しいんですね。見とれてしまいました。
馬の本質を表現させてあげるために、騎手は最大限の努力を費やす、少なくともそのチャンスを与えられている・・・
魂の本質を表現させてあげるために、人は最大限の努力を費やす、少なくともそのチャンスを与えられている・・・
騎手と馬の関係から、こんなことが発想されました。
すごく近いものを感じました。
岩田騎手、ブエナビスタさん、ありがとうございました!
<幸田先生語録>
自己観察で大事なのは、感情を観ることです。
「これはこういうことだ」と解釈に走るのは悪いことではないし、それでこの先ずっと楽になるならいいのですが、感情を観ないでそうするのは根本的な解決にならない可能性があります。
なぜなら、感情に大きな原因があるからです。
早速ですが、前回の記事 に、補足があります。
後から考えてみて、感情を観ていないことに気づきました。
「こういう風に考えるといい」という解釈に走っています。
解釈で悪いわけではないのですが、それだと感情が癒されないことがあります。
観てほしくて、癒してほしくて感情が揺れて騒いでいるのに、感情を観なかったら余計に騒ぎ出す・・・・。
駄々をこねている赤ちゃんと一緒です。うるさいからと無視されたらもっと・・・
もう1回、観ていきます。
出来事
主催者に感謝、という言葉を言われた。
感情
怒り
価値観
まず、感謝しなさい、と言われているように受け取った。
それで、「なぜあなたにそんなことを言われなくてはいけないんだ」という怒りが出た。
つまり、その人よりも自分が格上だ、という意識、価値観があったわけです。
言い換えれば、無意識のうちに軽視していたわけです。
だから(それも自分の勝手な思い込みなのですが)「感謝しろ」と上から目線のように言われたと感じ、違和感となったのです。
で、なぜ「怒り」とすぐわからなかったかというと、「そんなことで仲間に怒りを抱いてはいけない」という価値観があるからです。
また、そこに行きつくと「軽視している」ということも目にせねばならず、それも認めたくない、ということがあるのだと思います。
何でそんなに軽視したいのか?
勿論、顕在意識で常にそう思っているわけではありません。
でも、ふとした瞬間に出てきてしまいます。
確実に、人を軽視したい価値観を持っているのだと思います。
何でか?
軽視、ではきれいすぎます。バカにしているのです。人をバカにする癖がどこかであるのです。
普段は理性で抑えて出なかったとしても、テンパった時とか、ふとした瞬間に出てしまうのです。
絶対自分の中にある。
人をバカにする感覚を感じながら「どうして?」と問いかけます。
なかなか出てきませんでした。
でもやっと出てきたのが、
「自分の人生に対する、すごく深く潜在しているあきらめ感、ふてくされ感」
でした。
バカにする→下らない存在だと思う→世の中の人、こと、全てくだらない→何やったって、下らない。やったってどうせ出来っこないから。やるだけ無駄→そんなこと考えてる自分も当然くだらない
奥底深くに、こういう無限ループができているようです。
その原因はおそらく、子供の頃、他の子が普通にやるようなことをほんとに何にも出来なくて、親から「ダメだ、ダメだ」と言われていたこととか、あるいは、過去に自分が負った失敗やら挫折やらで、そういう風に根づいてしまったのか、その原因が何かはわかりませんが、どうやらそういうのがあるようで、それが、潜在意識の奥深くに居座っているようです。
もうそんな感情は感じたくないから、感じた時のままでフリーズさせて、そのまま潜在意識の奥底に沈殿させていたのだと思います。
でもそれも浄化されたくて、「バカにする」(何度も出てきてお見苦しくてすみません)という感情を通して顕在意識に上がってきてくれたわけです。
それを観察して、光を当てることで浄化できるのだと思います。
その、あきらめ感、ふてくされ感を感じてみます。
学校を出て最初に就職した学習塾、その次の人形劇団で挫折した時のことが出てきました。(塾は半年、劇団は約3年で、です。)
(それが真の原因かどうかはわかりませんが。)
では、もしそれが原因だったとして、そこで挫折したことがなぜあきらめ感、ふてくされ感の元になるのか?
両方とも、突き詰めれば自分の力不足の情けない姿を、生徒や周りに見せたくなかったということ、それに自分も見たくなかったということ、それと、周りに頼れない変な見栄、プライドの高さみたいなものが辞める(挫折の)原因だったわけですが。
それがあきらめ、ふてくされになるのは、挫折したことを1から10まで否定しているからです。
もしかしたら、そこに就職したことすらも。
でも、考えてみれば、楽しいこともあったわけです。
その塾はどうしても入りたかったところで、(じゃあ辞めるなよって話ですが)思い返してみれば楽しい思い出がいっぱいあるわけです。
蓋をしてたから、そんなことすら忘れて、今思い出して、身体がふるえたりしています。
人形劇団のときなんか、本当に今思い返しても感動的なことがあったわけです。
でもそれも「挫折」の二文字で闇へと葬り去っているわけです。
でも何かというとそれを引き合いに出しているわけです。意識的にも、無意識的にも、マイナスの要因として。
もしかしたら、そのことが許せなくって、今回こういう形で顕在意識に上がってきてくれたのかな、なんて思いました。
「そうじゃないだろ、楽しいこともあったろ、ふてくされる必要ないじゃん、諦める必要もないじゃん、それが半年だろうが、その半年、苦しかったかもしれないけど楽しいこともあって、充実してただろ、その間、そういう経験ができたってことだろ、それはそこに就職できたからで、望みが叶ったから、それもできたわけじゃん。それを否定しちゃいけないよ。」と大きな声で叫んでくれていたのかもしれません。
これを書いていて今思い出しましたが、ここ最近、すごく「結果より過程が大事」というメッセージを目にしていました。
プロ野球ソフトバンクの優勝について、その他、何度か「プロセスが大事」というのを見てきていて「これ何だろうな?結果ばっかり気にして過程をおろそかにしていることがあるのかな?」と、今やってることでそういうことがあるのかと思っていました。
どうやらそうではなく、このことを言っていたようです。
挫折(それも一つの観方にすぎませんが)という結果ばかりにとらわれず、そこまでの過程を今一度よく蓋をしないで感じてみなさい、というメッセージだったんだと思いました。
「結果よりプロセス」のメッセージを下さった皆様、ありがとうございました。
実際、就職にまつわるこの2つのことは僕の中でもすごく大きなもので、事あるごとに出て来るのですが、「1から10まで否定しているから・・・」という視点は初めてでした。
いままでと違った風に捉えられそうです。
そうすれば、あきらめ感、ふてくされ感も手放せそうです。
ここまでお読みくださいまして、本当にありがとうございました。
話があっちこっちに行って、読みにくかったのではないかと思います。そうだったらすみません。
今回、こういう風に観られたのは、嘘でも何でもなく、これをお読み下さっている皆様のおかげです。
お読み下さって、数々のコメントを頂いてものすごくヒントになりましたし、また、コメントという形に現れなくても、読んで下さることや、ご自分の内面に向ける意識などがひとつの集合エネルギーみたいになって、それが働いてこういう風に観られたのだと思います。
本当にありがとうございました。
それでは、今日もあなた様にとって最高に心豊かな1日でありますよう、心よりお祈り申し上げます。
では、失礼致します。