こんばんは。
本日もお越し下さいまして、ありがとうございます。
プロ野球の監督を歴任された、西本 幸雄さんが亡くなられました。
西本さんは、8度もリーグ優勝を果たしながら、日本シリーズでは1度も優勝したことがなく、「悲運の名将」と呼ばれていました。
1点差を追って、9回ノーアウト満塁のチャンスをつくりながら、その1点が入らず優勝を逃すなど、「あと一歩」ということが続いたのです。
しかし、西本さん自身は、「悲運の・・」と言われることをよしとしなかったそうです。
「選手に8度も日本シリーズに連れて行ってもらった。私は悲運なんかじゃない。8度もリーグ優勝をできたことを喜ばなくてはならない」
と語っていたそうです。
心より、ご冥福をお祈り致します。
<幸田先生語録>
全ては、情報の受け取り方です。
そこに「正しい」や「間違い」はありません。
どのように受け取れば、自分が楽になれるのか。
そのことを念頭に置いて、情報の受け取り方を磨くといいと思います。
ある時、こんなことがありました。
あるイベントをお手伝いすることになったのですが、その手伝い仲間の方が「主催者の方がこんなにがんばっているので、そのことに感謝して私たちもがんばりましょう」とおっしゃいました。
「?」正直、違和感がありました。
主催者の方は、それがどういう目的であれ、ご自身でやろうと思ったことであり、それに対してがんばるのは当然で、それについて感謝して、というのはどうなんだろう?と思ったのです。
でもそこで思いました。
これも情報の受け取り方だな、と。
僕が今書いた「・・・どうなんだろう?」の中にも、沢山の価値観が潜んでいます。
あくまで自分は手伝う立場で、極端に言うと傍観者で、主催者とは分離して考えている。
主催者ががんばるのは当然。
感謝する、ということに対して、条件をつけたり否定的にとらえたりしている。
など、いろいろな価値観が。
※この価値観が間違っている、とか持っていたらおかしい、こう考えたらおかしい、ということではありません。
でも、ここに潜んでいる価値観こそが、自分を苦しめている主要な原因の一つなんじゃないかと思いました。
まず、自分と他人を強烈に分離させているということ。
極端に言えば「それは主催者がやっていることで、自分は関係ない」と(深い部分では)とらえていると思います。
そしてそれは結局、自分でチャンスをつぶしていることになります。
そのイベントを自分で主催しているくらいの気持ちになって行動すれば、そこから得られるものは分離させていた時のそれに比べれば、格段に違うはずです。
よく言われることですが、素晴らしい何かが最初からあるのではなく、自分の関わり方で、それをどう素晴らしくしていくか、だと思いました。
自分と分離させることで、そういうチャンスを自ら「つまらないもの」にしてしまっているわけです。
たぶんこれはこのことだけでなく、僕の生活全般において言えることではないかと思いました。
自分で主体的にかかわらないことで「くだらないもの」におとしめて、それをみて「くだらない」とバカにするし、また実際に実感としてつまらない思いをするという・・・
自作自演です。
「主催者ががんばるのは当然」にしてもそうです。
例えば仕事。
「自分の仕事なんだからがんばるのは当然」なのですが、がんばれないときもあります。
月曜日の朝とか特に。
また、いろいろ言い訳したりして。
自分のことに置き換えてみれば、全然「当然じゃない」ことに気づきます。
それにイベントということで考えてみても、「手伝う人にまかせっきり」の主催者、というケースもあるでしょう。
(それがいい悪いではなく)
で、自分の実像をおいてけぼりにして、その「がんばるのは当然」を振り回すとどうなるか?(価値観だって持っていれば人情として振り回したくなると思うのです。)
がんばれない(僕の目から見てがんばっていないように見える)他人に対しては、それこそ厳しく当たるかバカにするか、になるでしょう。
自分に対しては、ごまかすことはできても、心底ではやっぱり、バカにするでしょう。それこそ自信も失うでしょう。自分の厳しさ(実情から離れた厳しさ)のせいで。
自分で自分を苦しめている、それこそくだらないことだと思います。
要するに、僕の場合、苦しむ時は、現状に感謝できていない時、ということです。
※念のため繰り返しますが、感謝しなくちゃいけないとか、この観方が正しいとかいうことでは決してありません。
もう、自動的に、情報の受け取り方のセンサーとしてそうなっている、感謝ではなく当然という方向に行きがちである、ということだと思います。
勿論、今までのままで快適ならばそれでいいわけですが、僕の場合は快適ではないわけです。
でもその受け取り方が自分の「あるがまま」であり、それをいじくるのは不自然なのではないか、ということもあるかと思います。
考えましたが、それを否定するすべはありません。
違和感や苦しい思いをしてまで「あるがまま」を大事にする必要ってあるのかなと思いましたが、それは自分が良いと思えば、「アリ」だと思いました。
それは自分の選択の範囲だと。
で、話を戻しますが、その言葉からそういう風な価値観を持っていることに気づき、自分の中で浄化して、気持ちよく手伝いに入ることができました。
そして、その違和感を感じた言葉のおかげで、自分の価値観に気づくことができました。
情報の受け取り方、といいますが、もう本当に、何の疑いもなく「これが当然だ」と思っていて、何の疑問も持っていなかったりするので、本当に見つけるのがひと苦労、というか、その前に違和感とか「イラ」とか出てきてしまって、それを相手にぶつけたくなったりするので、非常に要注意なのですが、感情が揺れ動いたところには必ず何かあるので、これからも気をつけて観ていこうと思います。
ここまでお読みくださいまして、本当にありがとうございました。
あなた様にとって、今日も最高に充実した1日でありますよう、心よりお祈り申し上げます。
それでは、失礼致します。