こんばんは。
こちらのブログにお越し下さいまして、ありがとうございます。
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くれぐれもお元気でお過ごし下さい。
それでは、参ります。
<幸田先生のお言葉>
自分を観察すること。
精妙に観察すること。
それによって、初めは夜空を見上げても見えなかった星が見えて来るように、
何か、観えて来るものがある。
<私の実践>
ここのところずっと、部屋の片付けに取り組んでいます。
でも、いったんは片付くのですが、いつの間にか元通り、というような感じでした。
これは何かなあ、と思って、自分の中を観察してみました。
すると、長いこと片付けられずに、ものに埋まるようにして生活していた、今は亡くなった姉の姿が浮かんできました。
(実際、一番片付けにくかったのが、元の姉の部屋であり、今私がこの文章を打っている部屋でした。)
その、片付けられなかった姉を「何で捨てないの?」と責めてきた私だったのですが、その散らかし具合の規模は違いますが、やっていることは同じです。
要するに、所有への執着であり、過去への執着です。
自分自身はそんなに深い意識もないのですが、極端に言うと「これを捨てたら(失ったら)、全てを失ってしまう。これから先もこれ以上素晴らしいものを手に入れることはない。」というような価値観を潜在意識の中に持っているのだと思います。
正直なところ、その感情というか、姉の姿というか思っていたことというか、心に浮かんだことを観ているのは、最初は嫌な感じでした。
でもだんだんと、感情が和らいでくるのが感じられるようになりました。
「ああ、姉も同じことでブレーキがかかっていたんだ」というような、同じものを抱えた者同士、というような眼で観ることができました。
それから、「片付けます」とオーダーを出して、片付け始めました。
勿論いきなりすぐに全部は片付きませんが、なんとなく、それ以前とは違う感覚でのぞめる感じがしています。
本などでは「過去への執着が物を捨てられない理由で・・・云々」というのを読んだことがありますが、自分のこととして感じたのは初めてでした。
そして、それがキーワードではと思ったのも初めてでした。
これからも、このように自分を観察して、進んでいこうと思います。
自己観察、I.R.M.の詳細は、こちらをご覧ください。
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くれぐれもご無事でお過ごし下さい。
それでは、失礼致します。
上野 聡一朗 拝