なぜ、あの人は、ネーミングにこだわるのか? | まなブログ

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大阪府堺市で鍼灸院を開業しています。
日々の気づきをつづります。

自分を観てるから。

 

 

 

昨日の続きです。

 

『ボーッと観る会』、昼の部。

 

人生でツラかった出来事。

身体感覚として、再現。

その感覚に名前を。

 

 

アメリカ在住のAさん。

 

 

ツラい感覚につけたネーミングが、

 

 

「わー、ヤバい」

 

 

例えば?

 

 

「悪夢です。」

 

 

悪夢?

 

 

「子どもの頃、よく見たんです。」

 

 

ほー、どんな?

 

 

「大きな岩が落ちてきて、つぶされそうになるとか。」

「壁がせまってきて、はさまれそうになるとか。」

「一歩間違えば、谷底に落ちるとか。」

 

 

なるほど。

まさに、危機一髪。

ギリギリの切迫した状況。

 

 

「実際の人生でもそうでした。」

 

 

差し迫った状況が多かったのね。

 

 

「いつも間一髪で。」

 

 

それは、落ち着きませんね。

 

 

「これまで、そんなことの連続でした。」

 

 

なるほど。

 

では、ワークの本題。

そこから、Aさんのテーマを。

 

私たちは、人生の前半。

「ない」体験を繰り返します。

 

 

例えば、「愛」が人生のテーマなら。

虐待されたり、イジめられたり。

愛が「ない」体験を繰り返します。

 

転機を迎え、人生の後半。

「愛」にあふれた人生を体験するために。

 

「ない」を体験することで。

「ある」を十二分に味わえます。

 

「ない」を体験する人生の前半。

「ある」を楽しむための「仕込み期間」とも。

 

 

キンキンに冷えたビール。

最大限に味わうため。

 

干からびる寸前まで。

サウナで自分を追い込むみたいに。

 

 

さて、Aさん。

 

「わー、ヤバい」が「ない」だとしたら。

 

「ある」は?

 

 

「うーん・・・『余裕』でしょうか。」

 

 

ほー、「余裕」ですか。

 

たしかに。

「間一髪」の反対っぽい。

 

 

キーワードは、すぐにメモ。

ノートに「余裕」と。

 

で、「余裕」に意識を向ける。

 

 

・・・しっくりこない。

 

 

ハズレではないけど。

ドンピシャでもない。

 

そう、Aさんではなく、私の感覚。

 

 

それでいいの。

それしかないの。

 

Aさんの発する「いまひとつ」の感覚。

画面越しにカラダでキャッチ。

私の感覚として再現していると。

 

 

メモした「余裕」に意識を向ける。

 

はい、「予祝」。

ドンピシャな言葉が見つかりましたと。

先取りして、感覚を味わう。

 

ピピッと来るのを待つ。

 

 

・・・「余白」。

 

 

ほー、「余白」か。


 

「余裕」を「余白」に。

何が違う?

 

浮かんだ言葉。

思考で意味付け。

 

 

・・・心理的な「スペース」かも。

 

 

うん、しっくりくる。

ってことで、Aさんにシェア。

 

 

Aさん、「余白」ってどうですか?

心理的な「スペース」があるって意味で。

 

 

 

「『余白』ですか・・・あっ。」

 

 

あっ?

 

 

「いま、つながりました。」

 

 

あら。

 

 

「全部つながりました。」

 

 

というと?

 

 

「うちの幼稚園『〇〇園』ではないんです。」

 

 

アメリカで幼稚園を経営されてるAさん。

当初は、日本人の子どもたちを。

幼稚園だから、「〇〇園」に。

 

・・・しようかと思ったものの。

 

 

「しっくりこなかったんです。」

 

 

ほー。

 

 

「なぜかわかりませんでしたが。」

 

 

アタマで考えると、「〇〇園」でいい。

けど、カラダが全力で否定。

「違和感」というカタチで。

 

で、いまは?

 

 

「『〇〇園』ではなく」

 

 

ではなく?

 

 

「『〇〇スペース』にしています。」

 

 

ほー、ここで「スペース」ですか。

 

 

「『スペース』は、時間と空間という意味で。」

 

 

ひと言で「場」。

そんな場をつくろうと。

 

 

「けど、いま『余白』ときいて。」

 

 

きいて?

 

 

「卒園式を思い出しました。」

 

 

ほー、卒園式。

 

 

「先日、終えたばかりです。」

「いま、夏休みに入ったところで。」

 

 

新学期は、秋だもんね。

アメリカは。

 

その卒園式で?

 

 

「親御さんたちが、もう感極まって。」

「涙、涙なんですよ。」

 

 

あら。

 

 

「いろいろ相談も受けてきましたから。」

「ママさんたちの気持ちもよくわかります。」

 

 

共感しちゃいますね。

 

 

「子育てにいっぱいいっぱいだったんだなって。」

 

 

ほー、「余白」がない状況ですね。

 

 

「そう、時間と空間という意味だけではなく。」

 

 

だけでなく?

 

 

「心に『余白』を持ってほしい。」

 

 

なるほど。

 

 

「『スペース』には、そちらの意味のほうが大きいんです。」

 

 

あらためて、気づかれたのですね。

 

 

「言葉にしてもらえたので。」

「そうだ、そこだったと。」

 

 

スッキリされましたね。

 

 

「はい、ホントに。」

 

 

Aさん、表情も晴れやか。

 

 

『ボー観』もそうかも。

瞑想することで、自分を客観視。

心に余白が生まれます。

 

 

「だから、ご縁が。」

 

 

かもしれませんね。

 

それが人生のテーマなら、

 

 

「だから、〇〇だったのか。」

 

 

すべてテーマにつながります。

 

目から鱗。

腑に落ちまくりに。

 

 

「はー、スッキリしました。」

 

 

それもAさん自身が種をまかれたから。

 

 

「えっ?」

 

 

「〇〇園」ではなく、「〇〇スペース」に。

ご自分の感覚に従われたじゃないですか。

 

 

「ああ、ホントですね。」

 

 

アタマで考えると、「どっちでもいい」に。

意味的に大差なし。

 

「『〇〇園』でいいじゃないか」と。

さっさと「処理済」にしたくなりますから。

 

 

「違和感、スルーしなくてよかったです。」

 

 

ですね~。

 

 

さて、あなたは。

 

その言葉。

しっくりきてますか?

 

 

 

今日は、ここまで。

また、明日。

 

 

 

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