磯野家の呪いかも。
『ボーッと観る会』、昼の部。
ワークを終え、最後に観じたことをシェア。
アメリカ在住、Aさんは?
「ワークで『開かれた関係』と言われてましたが。」
はい、リーダーがコントロールすることを手放す。
「教える」でも。
「与える」でもなく。
結果がどうなろうと。
起こることにゆだねる。
つまり、心を開く。
オープンな場をつくってみようと。
「まさに、タイムリーだったんですよ。」
ほー、どんな?
「うちの家族です。」
うちの家族?
「わが家は、ひとり一人が気ままなんです。」
まさに、アメリカン・スタイル。
「自由と言えば、聞こえはいいんですが。」
ですが?
「家族として、まとまりに欠けるなと。」
というと?
「みんな好き勝手やってて、趣味もバラバラで。」
ほー。
「助け合いがないというか。」
「いい家族ではないなと。」
そこに、物足りなさというか、歯がゆさを?
「ええ、ことあるたびに。」
「私が吠えるわけですが。」
ですが?
「うんとも、すんとも。」
響きませんでしたか?
ご家族には。
「言えば言うほど、徒労感が。」
そこは、Aさん、日本的ですね。
「家族はひとつ」って。
『サザエさん教』の洗礼かも。
「土」気旺盛な日本人。
「チーム一丸」になるのが、お好み。
「今日のワークで、開かれた場って。」
ええ。
「その観方だと、うちの家族。」
「実に、開かれてるなって。」
ほー。
「私の理想は、まず『家族』ありき。」
「次に、ひとり一人『個人』という優先順位で。」
なるほど、ムラ社会の日本人らしい観方。
「けど、まず『個人』の自由さがあって。」
あって?
「そのうえでの『家族』っていうのもありだなと。」
なるほど。
「ずっと悩んでいましたが。」
「みんな個性や価値観が違ってて、自由。」
魅力的なあり方じゃないですか。
先日の記事の『シャンパンタワー』と同じ。
まずは、「わたし」が満たされてから。
「家族という単位だけど。」
「異文化が混ざってる小さなコミュニティみたいで。」
まさに「人種のるつぼ」。
アメリカという国家と同じ。
「それって私が理想としてるコミュニティ。」
「なんだ、すでにそうなってるじゃん。」
なってましたね。
「やっぱり自分が育った環境を元に。」
「『家族とは助け合ってて仲良しで』という定義。」
「勝手に作ってましたね。」
そりゃ、影響を受けますよ。
「家族は何も変わらないのに。」
のに?
「やっと許せた気がします。」
けど、これまでの体験があってこその気づきかも。
何にも変わってませんもんね。
唯一、Aさんの観方だけ。
ピピッときたのが、こちら。
「癒しと目覚め Q&A」
中野真作 青山ライフ出版
> 信じることで救われるのではなく、
> 信じる必要がなくなったときに救われる。
完全にそうであるとき、
「信じる」という言葉は生まれない。
例えば、「死」。
いつか誰にでも訪れる。
けど、
「いつか死ぬことを信じています。」
とは言わない。
そもそも当たり前すぎて、言葉にしない。
強いて、言うなら、
「いつか死ぬことを知っています。」
に。
知っている > 信じている
「信じる」のは、まだ疑いの余地がある時だけ。
「信じる」ことで、その穴を埋めようと。
信じる必要があるのだ。
家族は、ひとつに。
ひとつにする必要があると。
穴を埋めるためとも言える。
「なんだ、このままでいいじゃないか。」
「すでに、このままがよかったんだ。」
家族を信じる必要がなくなる。
すでに、家族だと知っている。
サントリー『山崎』もびっくり。
なにも足さない、なにも引かない。
もちろん、現状に甘んじず、
理想に向け、精進するのもあり。
それも同じ「体験」。
けど、体験は多様なほうが、
気づきが得られやすい。
理想に邁進したのなら。
そもそも「理想がない」を体験するのもあり。
「理想に邁進」を満喫したからこそ、
「理想がない」を体験する時機が訪れたとも。
さて、あなたは。
何を信じていますか?
今日は、ここまで。
また、明日。
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