「忘れる」を否定していないから。
「僕の名前、覚えてないでしょ?」
週イチ非常勤の私立高校。
放課後の実習室。
昨年の卒業生が。
美術の先生のフリークラス。
有志の卒業生。
在校生のサポートに。
おー、Uくんに、Tさん。
さすが芸大生。
ファッションも、ヘアスタイルも。
おしゃれだね~、別人みたい。
奥にいるのは・・・
えっ。
あれ、誰だっけなあ~。
顔は覚えてるのに。
名前が出てこないや。
「先生、僕の名前、覚えてないでしょ?」
あっ、バレっちゃった?
何くんだっけ?
「Mですよ、M。」
ああ、そうだ。
Mくんだ、ごめんごめん。
去年、卒業したばかりなのに。
「いえ、大丈夫ですよ。」
その後、フツーに会話してたんだけどね。
我ながら、ショックでさ。
去年、卒業したばかりの生徒なのに。
先生に名前を忘れられるって。
残念に思ってないかなあ~。
あとで、美術の先生からさ。
「Mくん、全然気にしてませんでしたよ。」
フォローしてもらったけど。
名前を忘れた自分が情けなくてね。
しかし、何で忘れちゃったんだろ?
結構、人の名前、覚えてるほうなのに。
やっぱり歳のせい?
ピピッときたのが、こちら。
「自分に語りかける時も敬語で」
秋田道夫 夜間飛行
> 覚えておくのも良いことですが、
> 忘れてあげるのも良いことです。
あっ。
「どちらか」に偏ってたな。
先生は、生徒の名前を覚えておくのが良いこと。
っていうか、覚えて当然。
忘れてたら、生徒がかわいそう。
そう思い込んでる。
それも選択肢のひとつだけど。
それしかないのは、苦しいね。
> 忘れてあげるのも良いこと
今回は、「良い」とも思わないけど。
気づいたのは、「良い」も「悪い」もないこと。
覚えておくのが「良い」と思っているから、
忘れることが「悪い」に。
思いっきり陰陽の「相対的」でしょ。
で、さらにピピッと。
> おおむねのことは否定しないようにしています。
> そうした途端に感性の扉が閉まりだすからです。
これですよ、これ。
忘れることは、誰にでもある。
けど、その後の反応。
忘れた自分を責めたところでね。
何にもいいことは、ありません。
その場が重苦しくなるだけ。
実際、その時もね。
Mくんの名前を忘れたことが気になってね。
会話を楽しめなかったの。
ああ、ごめんね。
申し訳ないって。
そのほうが、残念だよね。
Mくんにとっては。
お詫びは、するんだけどね。
軽やかに、さらっと。
ここで、正中線を意識するとね。
軽やかだけど、「軽薄」にはならない。
自分責めや罪悪感があるとね。
相手を正視できないの。
目をそらせてしまう。
正中線が意識できない。
「良い」も「悪い」もなく。
忘れた事実を認める。
で、その時、生じる自然な振舞いにゆだねる。
そうありたい。
「どちらもおじさん」
一部の生徒から、そう呼ばれてる。
歓んでいいのか、ビミョー。
けど、授業はちゃんと聴いてくれてるみたいだ。
今回、Mくんの名前を忘れたおかげでね。
「どちらか」に偏ってることに気づけたよ。
Mくん、ありがとう。
「どちらもおじさん」、またひとつ気づけたよ。
自分にため息をつきたくなる時。
誰でもあるよね。
否定してもいい。
けど、「良い」も「悪い」もなく。
事実だけを観るのもあり。
選択肢を増やそう。
今日は、ここまで。
また、明日。
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