立ち向かわないから。
『ボーッと観る会』、昼の部。
いつもの瞑想タイム。
Mさんは、今日はいかが?
「イイかんじだったのですが。」
ですが?
「後半、眠くなってきました。」
なるほど、ゆるまれた証拠だね。
直前までZOOMでミーティング。
お仕事で気が張った後にゆるむ。
そりゃ、眠くなるよね。
「眠気に勝てませんでした。」
ほー、負けちゃいましたか。
あっ・・・じゃあ、試してみてほしいことが。
「なんですか?」
次に、眠くなったらね。
抵抗するのをやめてほしいんです。
「そのまま、寝ちゃいません?(笑)」
はい、寝ちゃってもいいから。
いつもの陰陽の法則。
相対するは、相補う。
陰と陽は、釣り合おうとします。
眠気に勝とうと抵抗するほど、
眠気も同じぐらい強くなる。
抵抗しないの。
あきらめる。
そのうえで、
「そのうえで?」
眠気も私の中にあると包み込む。
「包み込むんですか?」
そう、包み込む。
抵抗する時ってね。
対峙しているの。
私の真正面に「眠気」があるかんじ。
「たしかに。」
でしょ。
けど、眠くなるということは、
眠気は私の中にある。
いま、私に起こっていることだから。
「なるほど。」
だから、眠くなってきたら、
「ああ、いま、眠気が登場した。」
と、そのまま、認め続けるの。
眠気がそこに「ある」ことを。
眠気に対処しない。
対処することではないから。
対処しようとした瞬間、
眠気は「問題」になる。
このまま、寝ちゃってもいいやと。
ただ眠気に気づいて、観続ける。
「はい、やってみます。」
じゃあ、もう一度、瞑想タイム。
・・・Mさん、いかが?
「眠くなりませんでした。」
でしょ~。
「不思議~。」
抵抗しなかったからですよ。
「逆に、クリアに意識が広がったかんじで。」
そうそう。
気が通ります。
抵抗が流れをせきとめるんです。
「あっ、実は私も。」
おや、今月からご参加のHさん。
「私は、眠気でなく、怖さで。」
ほー、恐怖心ですか?
「瞑想が深まると、自分が消えてなくなるような怖さが。」
はいはい、出ます、出ます。
ボー観メンバー、誰しも経験してます。
「さっきは、『怖い』と思った瞬間、身を固くしてたんですが。」
ですが?
「怖さに抵抗せず、ただ観続けてみました。」
どうでした?
「怖さとともにあるってかんじで、フツーにしてられました。」
そうそう、実況中継するかんじ。
カラダが反応して、身を縮めても。
「ああ、ビビってるな」と、
他人ゴトのように観てられます。
怖さも私の中にある。
怖さと対峙しない。
ピピッときたのが、こちら。
「わたしは王 風の王になる」
金城光夫 ヒカルランド
> 満月でも新月でも、
> 月は丸いままです。
> 三日月に見えても、
> 月は丸いのです。
本来、「わたし」には、すべての感情がある。
喜びだけではない。
怒りも、悲しみもすべて。
月も丸い。
けど、満月以外は、どこかが欠けてる。
太陽の光が当たっている部分が、
自分が受け容れられる感情と同じ。
喜びは認めるけど、怖れは認めないみたいな。
けど、怖れももちろん、
「わたし」を構成する大切な感情。
三日月の暗い部分と同じ。
認めようが認めまいが、怖さも私の中にある。
眠気も、恐怖心も。
いま、私が体験しているコトは、
すべて「わたし」にあるものばかり。
いま、生じたのではない。
元々あるのだ。
ただ、いま光が当たっただけ。
そう考えると、
ネガティブな要素にも対峙しなくなる。
まあ、反射的に対峙しちゃうけどね(笑)
月は、いつでも丸い。
けど、感情的になっている時、
ひと息ついてから、思い出してみてね。