空っぽだけど。
節目こそ、スペースをつくろうと書いた。
投稿に頂いたコメントにも
「スペース」「透明」という言葉が。
スペースかあ~。
私の中では、スペースは中庸から生まれると。
中庸は、両極を体験することから。
まず、A。
次に、B。
両極のAとB。
統合したのが、中庸なC。
Cは、俯瞰の立ち位置。
引いて観るからこそ、
ゆとりが生まれる。
ゆとりこそ、スペース。
ピピッときたのが、こちら。
「並木良和の目覚め」
並木良和 サンマーク出版
> ポジティブで落ち着いた状態でいられる
> 美しい中庸の立ち位置です。
その中庸とは?
> 目の前で何が起きていても、
> 外からの刺激で傷つくこともなく、
スペースがあるんだけど、
タフでしなやか。
「何もない」けど、「すべてある」のが中庸。
すべてを生み出すエネルギーに満ちている。
漏れてすっからかんな「空虚」とは異なる。
なぜ、漏れるのか?
目の前で起きることに意識を奪われるから。
気は意識に導かれる
生命エネルギーは、意識に導かれる。
目の前の出来事に意識を奪われてたら、
内から外へ一方通行でダダ漏れ。
すっからかんに。
私がすっからかんになるのは、
自分責めした時だなあ~。
責めてる最中は、一見、力が満ちているように。
けど、内から外へどんどん漏れていく。
怒り、憎しみ、否定。
ネガティブな感情ってね。
漏れていくんだよ。
内から外へ。
一旦、落ち着いてから、手を握ってみて。
全然力が入らないから。
といって、いつもご機嫌でいるのも難しい。
感情はネガティブもポジティブも
起こるべくして起こる。
コントロールできない。
エネルギーに満ちた中庸なスペース。
どうすれば?
ピピッときたのが、こちら。
「癒やしと目覚め Q&A」
中野真作 青山ライフ出版
> 人間としての私は欠陥だらけです。
> でも、存在としてはもともと完全なのだ、
> とわかって、やっとこの欠陥だらけの私を
> ありのまま許せるようになってきたようです。
「人間としての私」。
個人としての思考、感情は、
勝手に起こり、勝手に去っていく。
ネガティブな感情も湧く。
ココロがとらわれ、苦しみが続く。
「怒りの感情に振り回されるなんて。」
「このままでは良くない。」
「すぐに何とかしなければ。」
いまの感情を否定してしまう。
否定するとき、エネルギーは漏れていく。
けど、いま、「わたしがある」という存在の感覚は
否定しようがない。
存在そのものは、「ただある」だけ。
絶対的で何かと比べようもない。
感覚だけの世界は、「いま」しかない。
比較もなければ、過去も未来もない。
否定も肯定もない。
ただ、そうであることを許せる時、
もっともエネルギーがめぐる。
個人としての私を完璧にするのはムリ。
そこで努力するのもアリだが虚しい。
そこで視点を変えてみる。
「人間」から「存在」に。
存在は常に傷つくことなく、完璧であり続ける。
「存在」を観る視点は、俯瞰だ。
この中庸な立ち位置は、
「人間」として両極を体験したからこそ。
濃ゆい生き方をしてきたからこそ、
「俯瞰」へとシフトできる。
エネルギーが満ちた中庸なスペース。
欠陥だらけの自分。
そのまま許せた時に見つかるのかもね。
今日は、ここまで。
また、明日。
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