なぜ、あの人は、透明なのにパワフルなのか? | まなブログ

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大阪府堺市で鍼灸院を開業しています。
日々の気づきをつづります。

空っぽだけど。

 

 

 

昨日の記事

節目こそ、スペースをつくろうと書いた。

 

投稿に頂いたコメントにも

「スペース」「透明」という言葉が。

 

スペースかあ~。

 

私の中では、スペースは中庸から生まれると。

中庸は、両極を体験することから。

 

まず、A。

次に、B。

 

両極のAとB。

統合したのが、中庸なC。

 

Cは、俯瞰の立ち位置。

引いて観るからこそ、

ゆとりが生まれる。

 

ゆとりこそ、スペース。

 

 

ピピッときたのが、こちら。

 

 

「並木良和の目覚め」

 

並木良和 サンマーク出版

 

 

> ポジティブで落ち着いた状態でいられる

> 美しい中庸の立ち位置です。

 

 

その中庸とは?

 

 

> 目の前で何が起きていても、

> 外からの刺激で傷つくこともなく、


 

スペースがあるんだけど、

タフでしなやか。

 

「何もない」けど、「すべてある」のが中庸。

すべてを生み出すエネルギーに満ちている。

 

漏れてすっからかんな「空虚」とは異なる。

 

 

なぜ、漏れるのか?

 

目の前で起きることに意識を奪われるから。

 

 

気は意識に導かれる

 

 

生命エネルギーは、意識に導かれる。

目の前の出来事に意識を奪われてたら、

内から外へ一方通行でダダ漏れ。

 

すっからかんに。

 

私がすっからかんになるのは、

自分責めした時だなあ~。

 

責めてる最中は、一見、力が満ちているように。

けど、内から外へどんどん漏れていく。

 

 

怒り、憎しみ、否定。

 

ネガティブな感情ってね。

漏れていくんだよ。

内から外へ。

 

一旦、落ち着いてから、手を握ってみて。

全然力が入らないから。

 

といって、いつもご機嫌でいるのも難しい。

感情はネガティブもポジティブも

起こるべくして起こる。

コントロールできない。

 

 

エネルギーに満ちた中庸なスペース。

どうすれば?

 

 

ピピッときたのが、こちら。

 

 

「癒やしと目覚め Q&A」

 

中野真作 青山ライフ出版

 

 

> 人間としての私は欠陥だらけです。

> でも、存在としてはもともと完全なのだ、

> とわかって、やっとこの欠陥だらけの私を

> ありのまま許せるようになってきたようです。

 

 

「人間としての私」。

個人としての思考、感情は、

勝手に起こり、勝手に去っていく。

 

ネガティブな感情も湧く。

ココロがとらわれ、苦しみが続く。

 

 

「怒りの感情に振り回されるなんて。」

「このままでは良くない。」

「すぐに何とかしなければ。」

 

 

いまの感情を否定してしまう。

否定するとき、エネルギーは漏れていく。

 

 

けど、いま、「わたしがある」という存在の感覚は

否定しようがない。

 

存在そのものは、「ただある」だけ。

絶対的で何かと比べようもない。

 

感覚だけの世界は、「いま」しかない。

比較もなければ、過去も未来もない。

 

否定も肯定もない。

ただ、そうであることを許せる時、

もっともエネルギーがめぐる。

 

 

個人としての私を完璧にするのはムリ。

そこで努力するのもアリだが虚しい。

 

そこで視点を変えてみる。

「人間」から「存在」に。

存在は常に傷つくことなく、完璧であり続ける。

 

 

「存在」を観る視点は、俯瞰だ。

この中庸な立ち位置は、

「人間」として両極を体験したからこそ。

 

濃ゆい生き方をしてきたからこそ、

「俯瞰」へとシフトできる。

 

 

エネルギーが満ちた中庸なスペース。

 

 

欠陥だらけの自分。

そのまま許せた時に見つかるのかもね。

 

 

 

今日は、ここまで。

また、明日。

 

 

 

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