年の瀬、湯屋にいく道中、珍しき男に会へり。

 痩せこけた身に白装束を纏ひ、憔悴している風ながら目はギヨロリと鋭く、ここで死ぬべしと声高らかに、道真ん中に陣取つては胡坐をかけり。何人も通れず。新年を待ち遠しくする諸々、あれは何だ化け物かと道の端で節々と語るは、男の雰囲気人にあらず。獣にあり。正月を迎ふる支度とて、いよいよ閉まるといふ湯屋に駆け入らん我が身なれど、男、其の儘止まりて、通さず。ままに数秒経てり。 

 男、動かざれども、それがしが動くは心許さず、睨みあつたままさらに数分経てり。つひに黙すること諦めて、なんだおのれはここで死なむならそれがしが殺す、と聞けば、男、そうだそのつもりであるから早くしろと、まもなく返す。大晦日、日暮れの刻、年の最後の見世物にとぞ、此処彼処から人集まりける。

 もとより仏法を信ずる身なれど、此の時ばかりは其の心虚しく、浮世の守りと、懐に忍ばせてゐた脇差、猛々しく取り出して、男に向きけり。男、いよいよ喜びて、忽ち立ち上がりては、ごくらくじゃうどにいざ行かむいざ行かむ、と小踊りす。


然るに男の踊り、盛りを迎へると、やれ道があひたぞと端から童ぞ現れける。男の横をつれなく通りけり。

男、驚きたる後、詠んでみるに、

何為れそ をさなき心に 興ざらむ 死にてしかと 思ふ心が

童、足を止め、答へて日はく、

何為むに 浄土有りと 興ずるか 去りし際の 母の面思へば

 

それがし、脇差しを収めるより前、男、大声で泣きけり。正月、来。





(現代仮名、『年の瀬』)

 年の瀬の事であるが、風呂屋に向かっている途中で、普通とは違う男を見た。

 男は痩せ細っていて、白装束を着ている。やつれていながら目だけは鋭く、「ここで俺は死ぬのだ!」と声を張り上げながら、道の真ん中に陣取って胡坐をかいている。その為に誰一人道を通る事が出来ない。年越しを楽しみに待っている(街の)人達は男を見て、「何だあの男は。化けものみたいだ」と、(男が道の真ん中にいる為に)道の端で騒ぎ立てている。男の様子からすると理性があるとは思えず、雰囲気や(ぎょろりと鋭い)表情からしてまるで獣のように思えた。私は正月を(気持ちよく)迎える用意として、じきに閉まってしまう風呂屋に駆け込むため(道を)急いでいたけれど、男が道の真ん中に居座っていたものだから、通るに通れなかった。その状況のまま、時間だけが経った。

 男は相変わらず動かないが、だからといって自分が(他の道に)動くのも嫌で、ついに睨みあったまま時間だけが流れた。私は黙ったままで状況を変えようとするのを諦めて、「何だお前は!ここで死ぬというのなら今私がお前を殺そう!」と(試しに)言ってみると、男は「そうだ、そうしてくれ。やるなら早くしろ」と躊躇することなく私の脅し文句に答えた。いざこざしていると、周りには人が多く集まってきた。
 

 もともと私は(殺生はしてはいけないという)仏の教えに忠実であってきたが、(感情的になっていた)この時ばかりはその教えもどこかに飛んでしまっていて、この生きるのが辛い世の中、何があるかわからないからと懐に隠していた護身用の小刀を、威勢良く取り出して男の方に向けた。すると男は喜びだして、急に立ちあがったと思うと「極楽浄土にさあ行こう、さあ行こう」と小踊りをし始めた。

 さて、男の踊りもいよいよ絶頂を迎えると、道の端から少年が出てきた。(騒いでいる周りとは違って)そしらぬ顔で、その横を通り過ぎる。

 男は、その少年に気付きはっとした後、興味を示して、

「どうして(好奇心旺盛であるはずの)いとけない心に興味がわかないのだろうか。死にたいなどと思う私の心が」

と詠んだ。

子どもはこの歌を背中に聞き、(歩こうとしていた)足を止めて、返した。

「どうして極楽浄土の事などに興味を持つだろうか。(極楽浄土があるとするなら)この世の別れで(僕に)最後に見せた母の顔は、あれほど辛そうなものでは無かった」

 私が少年の言葉に平静さを取り戻して脇差をしまうより前に、男は大声で泣いていた。皆に、正月が来た。




「完結はしても完成ってのは無いだろう、小説には」


小説をとある場所で書き始めてから半年くらい。同士が集うその小説サイトの掲示板で、こんなことを言ってみた。


文章ってそうなんだと思う。上手い下手じゃなくて、雰囲気と心。



【大好きだよ。それだけだよ】



先週末、実家の掃除をしていた折に出てきた2文だけのラブレター。


へたくそな字で、へたくそな表現。


でも、上手くないけれど、何か”良い”。

……渡し損ねた七歳の春。


幾年も経た我が身だが、大切なときには同じ文章を充てたい。



インターネットを歩いていると、色々な議論に出会う。色々な人がいる。

とんでも無い事を言っている人がいたり、またそれに感心する人がいたり。

巧みな論理を使っていたり、でもそれがソフィスト的な修辞だったり。

自己弁護もあれば、他者排撃も。熱心もあれば、冷めた姿勢も。

大人としての分別が持て囃されれば、個としての情熱が叫ばれたり。

反論あるところに雄弁があれば、正論とされるところに詭弁を見いだせたり。

リリック。ロジック。レトリック。誹謗中傷の永劫回帰。ネット状勢は複雑怪奇。

――

「それは違う!こちらの学術の方が確かな裏付けが……」

そこまで言って私は席に座った。熱くなっているのは自分だけと、ふっとそう感じた。

大学を卒業する間際、「社会福祉政策についての考えを」ということで議論をしたことがあった。社会福祉法人の意見交換の場所で、なんとはない議論であったが、熱くなった。周りは全て一周り二周りも年長者であり、その落ち着いた風で慈愛の目を向けられると、私は場にいるのが苦しくなった。結果、決議を待つこと無く退席した。帰りながら、(今ごろ会議は終わってて、きっと笑われてるんだろうな)、と一人傷つき続け、同時に強く後悔した。失ったものも少なくなかった。

二年間くらい研究を続けていた福祉政策で、持論には自信があった。抗する意見があるのが信じられないほどだった。

「それは理論としてが限界。法の効用が強すぎると現場は窮屈になる」

この立証無き一点張りの反論に、私は煮詰めていくことになる。しかし今思えば、その立証を聞き出せなかった自分に非があると思っている。私も聞く耳を持っていなかったのだから。

退席後、私は世にも不名誉な帰路につくわけだが、先程も述懐した通り余りにも心のバランスを崩していたので、ふらふらと図書館に寄り、読んだ事も無い哲学書に手を伸ばすに至る。

だが全く頭には入らない。ただ分厚い本に並べられている文字を眺めるだけ。それだけで心が落ち着いた。

そうして3時間ぐらい本棚の前で、ぼうっと立ち尽くしていた頃だろうか。人生の巡り合わせとは実に不思議なもので、その最悪の一日の何とは無い時間に、生涯の座右の銘と邂逅することになる。

今でも忘れることは無い。その重厚、その衝撃。きっと、座右の銘に出会うときというのは全身から鳥肌が立つものなのだろう。

『「違った在り方も可能とするもの」、それが議論が成り立つ定義である』

アリストテレスである。まさにそのときの私には運命的な言葉に思えた。傷心に効く、劇薬であった。

――

人生とは人と人との交流で、それは議論にも等しくはないだろうか。自己との議論、他者との議論が続く。とすれば人生とは内外の交流であり、議論である。

違った在り方もあるということを思うこと、延いてはそれが自己の違った在り方を可能としてくれるものだということ。広い視野を持つというのは、多方面の角度から問題解決に続く発想を生み出せるということだ。これは、自己の内外で問題噴出の世の中にあって、非常に尊い能力である。

議論無くして決議無く、決議無くして何も変わらず。何も進まず。議論を交流という言葉に入れ替え、そのまま人生に準えたい。