うー
うー
辛い
辛い
動けない
堕ちていく
底なし沼に引きずり落とされていく
上がるエネルギーがない
生きていくコントロールが効かない
ベッドの上で、無言で耐える辛さ
時には、コントロールが効かなくなり100錠もの精神薬を飲む。
水でお腹が膨らむ。
その度に救急車で運ばれていく私。
それでもまだ、生きている。
今度は、部屋の鍵をかけて誰にも言わず
ひっそりと逝こうと思った。
大量に薬を飲む。
真冬だった為、ファンヒーターはつけ、ホットカーペットもつけたまま、大量の水で躊躇なくゴクゴク飲んでいく。
「トイレに行きたい」
大量の水を飲むせいで、トイレに駆け込む。
トイレから出ると、真っ直ぐ歩けず、バタン、バタンと、身体が倒れて、壁にぶつかり、まともに歩けない。
やっと、リビングまで辿り着いたところで意識を失う。
どのくらい経ったのだろう・・・。
目覚めると、又病院のベッドだった。
点滴をいつものように受けている。
「そう言えば…薬を飲んだんだ」
「??・・・誰が助けてくれたんだろう??」
当時仲良くしてくれていた智ネェと言う歳上の女性がいた。
二日後、いつものように、平日、仕事の合間に智ネェが遊びに来ていた。
「この前、不思議なことがあったんだよね~。
又自殺未遂しちゃって、誰かに助けてもらったのよ」
「あ…それ、あたし!!」
「えー!!!!」
淡々と言う智ネェに驚いた。
詳しく話を聞くと、
保険の外交員をしている智ネェは、当日偶然、私の家の前を通りかかったらしい。
ふと、気になり、インターフォンを押しても誰も出ないので、怪しく思った智ネェは、1階だった息子の部屋の窓の鍵が空いていた為、そこから侵入し、倒れていた私を発見し、救急車を呼んだと言う。
怪しいと言う推察も凄いし、たまたま、息子の部屋の窓の鍵がかかってなかった偶然から、私は命を救い出されたのだった。
智ネェに、感謝を述べながら、恥ずかしくもあった。
そんなことがありながらも、私の希死念慮は止まらず、それから、何回目かのオーバードーズで、危篤になった。
身内に、医師が「脈が弱くなっています。今夜が山です」と伝えられていた。
そんなことも知らず、目が覚めた私は、目の前の光景に驚愕した。男性が人工呼吸器をつけて横になっている姿を目前にしたのである。
それと同時に、飛び起きて、後ろを振り向くと、プラスティックの透明の仕切り版の向こう側が、ナースステーションで、数人居た看護師の内の一人と目があったのだ。
ニッコリ微笑んだ女性の看護師さんが、こちらに向かって来てくれた。ICUに入れられていたのだ。
私は、又も生き延びたのである。
本格的なうつ病発症から20数年間、希死念慮と闘い続け、負けそうになる度、助けられて来た命。
首吊り
リストカット
入水
オーバードーズ
投身(試みたが出来なかった)
と、数え切れないほど、自分を痛めつけて来たが、うつ病と言う病は、それほど恐ろしく苦しい病気だともっと、皆さんに理解して欲しい。
今、脳腫瘍を患っているけれど、脳腫瘍の方が心配されがちだが、同等レベルの病気だと思う。
しかし人間として、終わった・・・と思ったのはこの時ばかりではない。
続く