うつびより11(親権の取り戻し) | うつ病 闘病記

うつ病 闘病記

34歳でうつ病を発症し、壮絶なシングルマザー年月を経て、うつ病を繰り返しています。その中で、うつ病の体験を元にうつから解放される為に何かに気付いたり、生きる糧になればと願っております。


ハァハァハァ・・・


私は、弁護士事務所があるビルの階段を登っていた。


うつ病で身体は限界に達しており、少ないエネルギーで、階段を登り、一つ一つ、弁護士事務所を訪ねていた。


2階から、一つ一つ、断られ、それでも諦めず、最上階の5階まで弁護士事務所をノックしようとしていた。


最上階まで来て、断られた私は、弁護士事務所の前で座り込み、動けなくなってしまっていた。


大阪から高知まで帰省してきたのに、「無謀過ぎたか…」
体力と精神力の限界に達したと思っていた時、5階の弁護士事務所の扉がスッと空いた。


室内から、スーツを着た同年代と思われるショートカットの柔らかい顔立ちの女性が出てきた。


「大丈夫ですか?」

うずくまっていた私が顔を上げる。

「はい…何とか大丈夫です」

「お話をお聞き出来るようなので、お入り下さい」

そう言って、私を促した。

あぁ、やっと聞いて下さる・・・

嬉しさで力がみなぎる。

「失礼致します」

目の端に、先生と見られる色白で縁の細い丸い眼鏡を掛けた小柄な30〜40歳くらいの男性が、こちらに向かい、「どうぞ」

と、ソファに私を促してくれた。

「よろしくお願い致します」

私は、深々と頭を下げた。


私が持って来た、資料を見ながら、事細かく説明していく。

秘書が二人ほどいる部屋の中は、多少乱雑に書類や本が置かれていて、黙々と仕事をしていた。

お茶を出され、「ありがとうございます」と、茶を口に浸す。

簡潔に私の話が終わると、先生からいくつかの質問があった。


そして…

「慰謝料は請求しますか?300万請求出来ますよ。浮気女性からも50万請求出来ますよ」


との話に驚いた。

請求したい気持ちはあったが、大阪の裁判所まで浮気女性を呼び、私も同席しなければいけない。


うつ病で、今でさえ精一杯なのに、私一人でそこまで出来る気がしなかった。

何故なら、私は三ヶ月だけ、大阪の弁護士事務所の秘書として勤務していたことがあった。


足が悪いのに、スーツにヒールで、大阪の大きな裁判所周りを歩き回るのは、右足に負担がかかり、痛くて大変だった思い出があったのだ。


梅田から、大阪の裁判所まで相当歩かないといけないのは熟知している。
うつ病の今の私には到底無理だった。


誰か、一人助けてくれる人がいれば良かったのだが、今のパートナーとは、冷戦状態だったのだった。


慰謝料も300万も貰えるのは驚きだった。
義母から、仕方なくあげるような態度でくれた慰謝料は、たったの100万。


悔しい・・・・。


うつ病にさえならなければ・・・。


しかし、本題は、親権の取り戻しだった。
今の環境を聞かれ、そこに焦点を置いて進めて行こうと言う話で終わった。


大阪に戻った私は、うつ病が益々悪化していた。
不眠状態が続き、食欲が激減していき、苦しくなっていった。


元々パートナーは、情がない人で冷たいところが、最初から見え隠れしていた。


親権の話もしていたつもりだったが、
「聞いていない!!」の一点張りだった。



そして、お腹に宿っていた小さな命も、心臓が動いていなくて流産してしまい、これで二度目の墮胎手術を受けた。

かなりの精神的ショックを受けたにも関わらず、些細な喧嘩で、手術当日も電話に出てくれなかった。


弁護士と話を進めていたのに、夫婦間に亀裂が入ったことで、親権の取り戻しは出来なくなってしまった。


仕方なく、面会の義務だけ、申請することにしたのである。


その後、眠れない日々に疲弊し、遂に米粒一つも食べれなくなり、一日一缶の栄養剤を飲む生活までになり、毎日、希死念慮とイライラ感に襲われ、最悪な状態になってしまったのだった。


次男にも、この頃、厳しく当たってしまい申し訳なかった。


離婚間近、パートナーが次男に対する態度が冷たくなっていった為、次男を呼び、一緒に寝るようになった。


今考えても、私は、あのパートナーとは相性が悪かったと思う。

お互い、一目惚れで、スピード結婚したが…
早過ぎた。


大阪で親しくしてくれたママ友二人とお別れ会をして、私は、ボロボロになって高知へ帰省するのだった。


親権は、取り戻せなかったが、面会の義務の申請を弁護士と一緒に申請し、晴れて長男と会えるようになるのだ。


それだけでも嬉しかった。


早速、申請後、長男に会いに行った。


あいも変わらず、「会うな」と元夫が阻止。



「こちらは、法的措置を取りました」


と言っても、元夫は、その意味すら分からない。


直ぐ、弁護士に電話する。


後日、裁判所から二人が、元夫宅に訪問し、面会の義務があることを伝え、決まったことを元夫は、しっかり聞かされるのであった。


この頃は、面会の義務だけで、慰謝料も養育費も結婚生活も、うつ病も、全て上手く行かず、から周りしている年月だった。


何より、私の小さな命二つが天に召されたことが、何より一番悲しい出来事だった。



小さな命だけでなく、自分の命まで天に召されようとする日が来る…とは…



続く