うつびより13(閉鎖病棟) | うつ病 闘病記

うつ病 闘病記

34歳でうつ病を発症し、壮絶なシングルマザー年月を経て、うつ病を繰り返しています。その中で、うつ病の体験を元にうつから解放される為に何かに気付いたり、生きる糧になればと願っております。


相変わらず、自殺行為は収まらない私であった。


入院中のある日、看護師の隙を盗んで、昼のご飯の配膳車に隠れて、一緒にエレベーターで屋上に登った。


興奮していた私は、何を思ったのか、屋上のフェンスにしがみつき、登り始めたのである。


「飛び降りてやる」と言う元夫達への憎しみを抱いて、一心不乱だった。


しばらくすると、数名の看護師と婦長が来て、怒鳴って来た。


私は、何も悪いことはしていないのに、更に怒鳴られたことに興奮して、フェンスにしがみつきながら、泣き叫んでいた。


数分のやり取りで、これ以上、上には上がっていけない自殺防止柵があるのを見て、諦めた。


降りた途端に、数人の看護師に取り囲まれる。
興奮して暴れるのを必死で阻止され、3階まで連れ戻された。


3階に降りて、担当医が来ても暴れまくる私を、数人の看護師と医師が私を抑えつけ、「保護入院です」と担当医が叫び、私はある一室にそのまま放り込まれた。


そして、鍵をかけられた。


ドンドンドン


「開けて下さい」


ドンドンドン


「開けて下さい」


ふと我に返った。


開放病棟に入院していた頃、悲鳴が聞こえていたのは、このことだったのか・・・と。


気づいてから叫ぶのを止めた。


冷静になって部屋を見回して見ると、ドアの反対側にプラスティックの窓のような仕切りがあり、その向こう側は廊下で、窓がある為、暗くはなかった。



しかし、壁はコンクリートで、誰かが傷をつけてある跡があり、右端上には畳部分があり、その上に布団一式引かれている。そして、段ボール箱で作られた四角い箱があった。多分テーブルに使うのであろう。



右端下部分には、様式トイレが設置してあり、蓋がなかった。



そして、左斜め上には、防犯カメラが24時間体制で設置されていた。


それだけである。



それを見て愕然とした。



こんなところに入れられて、更に死にたくなった私は、ジャージのポケットにハンカチを入れていることに気づいた。



トイレの細い引っかかる部分にハンカチを通し、首に巻きつけ、ギュッと縛った。



丁度、防犯カメラからも死角になる場所だった。



これで死ねる。



顔に血が溜まっていくのが分かった。



程なくして、直ぐ男性二人の看護師が飛び込んで来た。


「チアノーゼをおこしかけている!!」


直ぐ、バタバタと後からハサミを持って来た男性看護師が、ハンカチを切った。



それから数日、着の身着のまま、独房のような部屋で過ごすのだが、「私だけがどうしてこんな目に会うのか?」どうしても納得出来なかった。



この間にも、元夫は浮気女性と笑顔で楽しく過ごしているのか、と思うと憎しみは膨大に膨らむだけだった。私を傷つけた義母も許せなかった。



この世の終わりだと思った。



床を見つめ…憎しみと絶望しかない。



それでも、日数が経つに連れて、落ち着いて来た私は、お風呂が許された。



鍵が開けられ、閉鎖病棟の中のお風呂に一人入る。


開放感があり気持ち良かった。


何日、その部屋にいたのだろう?


次に移ったのは、同じ閉鎖病棟の個室である。


ベッドと、ポータブルトイレだけが置かれてある部屋で鍵を又かけられる。



部屋が狭かったので、ポータブルトイレの直ぐ前は、扉で窓があり、看護師が覗けるようになっている。



前の重症部屋よりマシだが、広さは前の部屋より狭いので、恥ずかしさは一層に増す。



女性としての恥じらいが出て来たので、正常な脳になって来ていたのかも知れない。



何日も閉鎖病棟にいた。



この時期は「私の人生は終わった」と何度、思ったか分からない。



でも、今になって考えると、重症部屋も良い体験だったのかも知れない。



命を救う為に、最善を尽くしてくれたのだと思う。



その頃の看護師には、今は感謝しかない。




けれど、もう二度と、重症部屋には、戻りたくないと思う。



続く