うつびより6(精神衰弱と身体疲労) | うつ病 闘病記

うつ病 闘病記

34歳でうつ病を発症し、壮絶なシングルマザー年月を経て、うつ病を繰り返しています。その中で、うつ病の体験を元にうつから解放される為に何かに気付いたり、生きる糧になればと願っております。


「おはようございます」「朝食置いて置きますね」

明るい看護師さんの声が耳に響く。

「入院していたんだ・・・」


眩しい光りがカーテンの隙間から入って来て、


私は、重い身体を起こした。


小さなテーブルの上には、豪華過ぎる朝食がトレーに載せられて置かれていた。


豪華過ぎると言った理由は、ご飯の量が多かったのかも知れない。


私は、顔と手を洗い、早速、和食の朝食に手をつけることにした。自宅から持って来た箸で、食べようとするものの、ご飯を一口、口に運ぼうとするものの、白いご飯粒が受付けない。


お味噌汁のお椀の蓋を開けても、全く飲める気がしない。
こんな固形物を口にするのは、久しぶりだと言うことを改めて認識したのである。


食べれない・・・。


重い身体を引きずって、ナースステーションまで行き、朝食が食べれないことを告げた。


その後、体重測定をするように言われ、体重計に乗った。

151センチ、29キロしかなかった。
あばら骨がくっきり見えていた程だった。


それから二日間、絶食、点滴のみだった。


益々、体力が無くなっていくのを実感し、点滴を止めて貰い、三日目からは、食事を無理にでも食べるよう努力した。
その精神科の病院食は、結構なボリュームなメニューだった。


しばらくして、夫が息子達を連れてやって来た。
息子達は、「お母ちゃん、お母ちゃん」と無邪気に、はしゃいでいたが、力が全く出ない私には、息子達に笑顔で相手をする元気もなかった。



夫への不信感や裏切りは、独りでいると、どんどん大きくなっていくばかりで、深い悲しみよりも憎しみの方が大きくなっていった。



浮気相手の女性は、退くつもりはなく、又その周りの親族も変っており、「結婚していてもいいから付き合っていて欲しい」等と言う有り様だった。
浮気相手の女性は、水商売の仕事をしており、又その両親も働いておらず…暴力的支配で金を支給してもらっているらしい。昼間は浮気女性の母親もパチンコしている人だ。


夫とは、やり直すつもりでいたが、こんな私では家庭を守り抜けないと思っていたし、又影で絶対に浮気が始まるのは、目に見えていた。


そんなことを、ぐるぐる考えているものですから、夫と一緒に診察を受けても、医師の前で喧嘩が勃発するようになっていった。


しかし、私は入院している身であって、息子達の面倒は、義母にお世話になっていたので…
病院の公衆電話から、義母に礼を言う為電話したのである。
電話すると、電話の向こう側から、思いも寄らない強い口調で私の弱った心を刺して来たのだ。
私は、優しかったはずの義母の豹変ぶりに、パニック発作を起こし、その場で崩れ落ちた。



それを見た看護師の一人が気づいて、私を支えてくれ、病室のベッドまで運んでくれたのである。



直ぐ、担当医が私の個室に来て診察をしてくれた。



薬を処方され、しばらく安静にして置くように言われた。

朦朧としていた。

驚きのあまり、ショックを通り越して、弱りきった私は震えていた。



程なくして、退院した私は、もう夫には家事もやってあげられないし、家庭を守ることも出来ない、と思い、別居することにした。


別居=離婚である。


退院したばかりの私は、自宅に戻った。


しかし、もうそこは、私が住む自宅ではなかった。


テーブルの椅子には、夫、夫の母、夫の兄が座り…


私は、床に座っていた。

開口一番
「どうなってんの?!この家は!!」

「・・・・・・」

「あんたに、百万あげるけど、これは誠に貸すお金だからね!!」

義母の怒った声が部屋中に響いていた。
貯金がないのを怒っていたのだろう

続けて、夫が

「百歩譲って、次男をあげるわ!!」


意気揚々と叫ぶ夫。

夫側の圧力に対して、何も抵抗出来ないまま


衰弱しきった私は、涙をボロボロ流しながら


ひざまずいて

                「すいません」


と言うのが精一杯だった。


それだけ、思考も回らず、精神的にも弱りきっていたのである。


後に、あと三ヶ月で幼稚園を卒園する次男を、私の反対を押し切って、無理矢理保育園に変えた義母への憎しみは、今も尚健在である。



幼稚園の先生は、とても良くして下さり、入院先まで次男の写真とお手紙を送って下さったこと、今でも感謝している。



この後、義母は、浮気相手と夫を結婚させる為、そして長男の親権を奪い取った為、浮気女を長男の母親にしようとして、私と会わせてくれず、長男の服を買って持って行っても、玄関の前に仁王立ちして


       「あんたはもう母親じゃない!!」


と言われ、追い払われることになる。


こんな悲しいことは、人生で初めてで


胸が張り裂けそうだった。


私は、次第に、死ぬことしか考えられなくなっていくのだった。


続く