次男と新しい生活が始まった。
まだ次男は、特にあどけなさが残る年長さんだった。
義母に幼稚園から保育園に変えられ、私も送迎に必死だった。
保育園に行きたくないと、泣く次男を抱いてあやすのも、何十倍ものエネルギーが必要とした。
登園時間が迫って来る中、無理強いはせず、根気よくなだめた。
私自身、着替えて、化粧をするだけでも精一杯な体力と精神力の時だ。
次男の準備をし、朝食を食べさせ、座ったまま抱きかかえ、トントン優しく叩きながら、次男に「行きたくないよね~」と話しかける。
そんな余裕などないはずだが、こんな小さな子どもに罪はない、と自分を奮い立たせていた。
頑張れ私!!
負けるな私!!
そう言い聞かせながら、出来ない自分を恨み、怠く重い身体に鞭を打つ。
ある日、以前のように動けなくなった自分に罰を与える為に、カミソリで手首を切り刻む。
汚く見える血が、溢れ出すと、ポタポタと床に流れて落ちる様を見て、神は許してくれるであろうか?と
涙が頬を伝う。
その罰で、ホッと安心するのであった。
起き上がるのも一苦労。
料理も出来ない。
自分の世話すら出来ない。
長男を心配するが、会わせてくれない。
資格を取ろうとするが2日で挫折。
頑張ろうとすればするほど
それ以上に大きなうつの大波に飲み込まれてしまい
動けず、苦しんでしまうのだ。
それでも、次男の保育園卒園、小学校入学と、頑張り続けた。
その間、再度入院もした。
ベッドで金縛りにあったかのような体制で横たわっている時、「神は不公平だ…神等いない」と思った。
結婚生活、夫の少ない給与で、夫の友達をいつも呼び、私の娯楽や、買いたい妊婦服、授乳服や、そんなものは無く、一生懸命切り盛りして尽くして頑張って来たことが、まさか、こんな形で自分に返って来ようとは思いもしなかった。
今頃、夫は浮気相手と笑顔で暮らしているのだろうと思うと、悔しくて情けなくて堪らなかった。
せめて、長男を返して欲しい。
そんなことを思いながら
自分は【生きている価値がない】と思い込んでいた。
そう言えば
鞄の中に、抗うつ剤セロクエルが溜まっているのに気づく。
咄嗟に、残っているセロクエルを全て口に含み、水で流し込んだ。
死ねる。
疲れた。
段々、意識が遠のいていく。
「〇〇さん!!〇〇さん!!」
「せーの」
グラリとベッドが動く。
叩き起こされた私は、太いホースを喉に突っ込まされ、床に置いてあるバケツに吐かされたが、
出たのは唾液しか出なかった。
幸い、致死量にも満たなかったので
死なずに済んだが、これをきっかけに
頑張れない自分を殺す行為の助長に過ぎない
出来事だった。
うつ病のシングルマザーは、本当にキツイことが解るし、親権は簡単に渡すものではない。
うつへの抵抗は、しばらく続くのだった。
続く