うつびより7(うつへの抵抗) | うつ病 闘病記

うつ病 闘病記

34歳でうつ病を発症し、壮絶なシングルマザー年月を経て、うつ病を繰り返しています。その中で、うつ病の体験を元にうつから解放される為に何かに気付いたり、生きる糧になればと願っております。


次男と新しい生活が始まった。


まだ次男は、特にあどけなさが残る年長さんだった。


義母に幼稚園から保育園に変えられ、私も送迎に必死だった。


保育園に行きたくないと、泣く次男を抱いてあやすのも、何十倍ものエネルギーが必要とした。



登園時間が迫って来る中、無理強いはせず、根気よくなだめた。
私自身、着替えて、化粧をするだけでも精一杯な体力と精神力の時だ。


次男の準備をし、朝食を食べさせ、座ったまま抱きかかえ、トントン優しく叩きながら、次男に「行きたくないよね~」と話しかける。


そんな余裕などないはずだが、こんな小さな子どもに罪はない、と自分を奮い立たせていた。


頑張れ私!!

負けるな私!!


そう言い聞かせながら、出来ない自分を恨み、怠く重い身体に鞭を打つ。



ある日、以前のように動けなくなった自分に罰を与える為に、カミソリで手首を切り刻む。


汚く見える血が、溢れ出すと、ポタポタと床に流れて落ちる様を見て、神は許してくれるであろうか?と
涙が頬を伝う。


その罰で、ホッと安心するのであった。


起き上がるのも一苦労。


料理も出来ない。


自分の世話すら出来ない。


長男を心配するが、会わせてくれない。


資格を取ろうとするが2日で挫折。


頑張ろうとすればするほど


それ以上に大きなうつの大波に飲み込まれてしまい


動けず、苦しんでしまうのだ。


それでも、次男の保育園卒園、小学校入学と、頑張り続けた。


その間、再度入院もした。


ベッドで金縛りにあったかのような体制で横たわっている時、「神は不公平だ…神等いない」と思った。


結婚生活、夫の少ない給与で、夫の友達をいつも呼び、私の娯楽や、買いたい妊婦服、授乳服や、そんなものは無く、一生懸命切り盛りして尽くして頑張って来たことが、まさか、こんな形で自分に返って来ようとは思いもしなかった。


今頃、夫は浮気相手と笑顔で暮らしているのだろうと思うと、悔しくて情けなくて堪らなかった。


せめて、長男を返して欲しい。


そんなことを思いながら


自分は【生きている価値がない】と思い込んでいた。


そう言えば


鞄の中に、抗うつ剤セロクエルが溜まっているのに気づく。


咄嗟に、残っているセロクエルを全て口に含み、水で流し込んだ。


死ねる。


疲れた。


段々、意識が遠のいていく。


「〇〇さん!!〇〇さん!!」


「せーの」


グラリとベッドが動く。


叩き起こされた私は、太いホースを喉に突っ込まされ、床に置いてあるバケツに吐かされたが、



出たのは唾液しか出なかった。


幸い、致死量にも満たなかったので
死なずに済んだが、これをきっかけに
頑張れない自分を殺す行為の助長に過ぎない
出来事だった。


うつ病のシングルマザーは、本当にキツイことが解るし、親権は簡単に渡すものではない。


うつへの抵抗は、しばらく続くのだった。



続く