うつびより5(本格的なうつ病発症) | うつ病 闘病記

うつ病 闘病記

34歳でうつ病を発症し、壮絶なシングルマザー年月を経て、うつ病を繰り返しています。その中で、うつ病の体験を元にうつから解放される為に何かに気付いたり、生きる糧になればと願っております。


ある朝、喉に異物感を感じる。

何か、詰まっているような感覚だ。

実母と一緒に内科に行き、検査を受けたが、異常無しだった。医師は、精神的なことでこう言う症状が出ると説明し、漢方薬を処方された。


実は、この二年前に、次男をおんぶして両手に買い物袋を持って帰宅した直後、心臓がバクバク大きく飛び出しそうになり、息が出来なくなり、立ったまま、死ぬかと思った時があったのだった。


慌てて、医大で診てもらったところ、異常はなく、私の手を握り、「大丈夫ですよ」と言ってくれた医師の優しさが当時は分からなかった。


喉のつまりを筆頭に、何故か、夜中に目が覚め、海の波の音が聴こえるような気がして、津波が来るかも知れない、と錯覚して不安に陥ったこともあった。


それから、漠然とした不安がつきまとい、どこか悪い病気なのではないだろうか?と思うことが多くなり、再び医大で診察を受けることになる。


色々な検査をしても、どこも異常は無かった。


診断された病名は


                  「仮面うつ病」

だった。


うつ病と聞いて、驚いたと同時に怒りがこみ上げて来た私は、医師に

「私は明るいですし、うつ病なんかじゃありません」
と言い放ったのだ。

仮面うつ病とは、【うつ病が隠れていて表には出ていない】と説明を受ける。

それでも、納得しない私は処方された抗うつ剤をゴミ箱に捨ててしまったのだ。


一応、紹介された心療内科に行ったが、そこの女医が高圧的で最悪な医師で、「旅行にでも行って気分転換してもいいのでしょうか?」と言う質問に、「あ~どんどん行った方がいいですよ!!」と大きな声で断言したのだ。


しかし、待合室にいた身体の不自由な高齢者に、高圧的な態度で、キツイ物言いで接しているところを目の当たりにし、嫌な印象しかなかった。


それから、私と息子二人と、私の友達とその子供の計五人で大阪、兵庫に旅行に行った。


真夏の暑いUSJでは、人で混雑する中、暴れ走る次男を抱っこし、お昼を食べる時は、次男を下ろして、席を探している最中、次男は何処かに行って迷子になるし、
そして、兵庫の遊園地でも、サーカスでも、ジッとしていない次男の世話でクタクタに疲れ果てたのである。後に次男が発達障害であった為であることを知る。
何も相手にできない長男が可哀想だった。


大阪から帰省した後も、具合が回復するどころか、悪化していく。


そして段々、家事が疎かになって行った。


長男、小学一年生。
次男、幼稚園 年長さん。だった。


この頃は、夫は、明らかに家を空けることが多くなった。


ある日、夫が携帯電話を、家に忘れて外出していた。



私とは違うキャリアだったので、どんな仕組みだろう?と携帯を何の疑いもなく触って見た。



何となくメールをみると・・・



衝撃な内容が書かれてあり…


夫の一年に渡る浮気が発覚したと同時に


私のうつが…体内に溜まったしずくが溢れ出し、身体の細胞の全てが崩れ落ちて行くような、そんな感覚に陥り、家事が全く出来なくなる。


私は、夫に付き添ってもらい、初めて「精神科」の門を叩くことになる。


そして、初めて「うつ病です」と診断され、


そのまま、入院することとなった。



悲しみと絶望と身体の怠さで、何が何だか分からない状態だった。



そして入院初めての朝

「おはようございま〜す」

「朝食です~」


明るい看護師さんが朝食を持って来てくれた声で目覚めた。



続く