うつびより3(通えない小学生時代) | うつ病 闘病記

うつ病 闘病記

34歳でうつ病を発症し、壮絶なシングルマザー年月を経て、うつ病を繰り返しています。その中で、うつ病の体験を元にうつから解放される為に何かに気付いたり、生きる糧になればと願っております。


私の小学校では、全校生徒が校庭で朝礼をすることがしばしばあった。


背の低い順にクラス分けして並べられていた。


前列の方に並んでいた私は、いつも目の前がクラクラと廻り吐き気がしてふらつき立っていられない時が度々あった。


いつも、近くにいる教師に支えながら保健室に連れて行かれていた。


何故、立っていられないのか・・・

何故、授業が受けられないのか・・・


小学生の私がいくら考えても分からず、病弱だからかと自分に言い聞かせていた。


ある日、母親に『病院に連れて行って欲しい』と懇願した。

それに対し、母親は、少し遠い今の場所より都会の病院に連れて行くと言った。


母親について行くと驚いたのが『小児科』だった。
私が乳児の頃に世話になった病院らしい。


病院に入った瞬間、顔が真っ赤になる想いをした。
周りは乳児ばかりである。
恥ずかしくて引き返したかった。


体重、身長、等、簡単な計測と問診があり、そこの女医が放った言葉は
             『自律神経失調症でしょうね』
の一言だった。

原因も治療法も言わず、終わってしまったのだ。


恥ずかしい想いをしてまで、車と電車で6時間もかけて訪れた医師だったのにも関わらず、たった一秒で診察が終わったのには、心外だった。


人見知りをしていた小学生時代の私は、積極的に質問することも出来ず、母親も何も言わなかったので、病名だけ知らされると言う結果になってしまった。


この頃は、『うつ病』と言う病名も存在していなかったのではないだろうか…。


家に帰宅しても、布団に直行し、やる気が全く起こらない自分を、怠けているのではないか?と思ったり、授業について行けなくなり、友達との縁も薄くなり、益々学校に行けなくなるのに拍車が掛かった。


唯一、救われたのは、両親が学校を休ませてくれたことだった。


当時は、一階で布団を敷いて寝ていた為、木目の天井を、毎日毎日、見つめ、木目の模様が、人の顔に見えたり、妄想ごっこしたりして、学校に行けない罪悪感と闘いながら、布団でただただ、横になっていたのである。



この状態が、約2年間続き、小学6年生でやっとまともに学校に行けるようになったのである。


長かった…。

誰にも会いたくなかった…。


うつのしずく💧が、ポタポタと2年もの間落ち続け、水道の蛇口を締めたように、しずく💧が落ちなくなった小学6年生。


算数を何度、やっても分からないのは、不登校で学ばなかったせいだと、言い聞かせて来たが、後に発達障害の学習障害だと判明するまで、私を随分苦しめた。



寝たきり老人ならぬ、寝たきり小学生だったが、更に上を行く、うつの大量に溜まったしずく💧が勢い良く噴出するとは、今はまだ思いもよらなかった。



続く