今でも忘れられない言葉があります。
関東に来て、仕事を完璧にこなそうと、先輩からのモラハラをうけながらも笑顔で、仕事を完璧に出来たら何も言わせなくなると思い、いつも頭の中は仕事のことだらけでした。
恋愛もしており、それも大事にしていたので、夜遅く帰っても夕飯を作り真夜中に夕食を食べていました。
彼には、当分仕事のことで頭が一杯だから仕事を第一優先させてね!とは言っていました。
彼は都内の西の方に住んでおり、私の家まで2時間以上はかかっていました。それでも私は彼のことが大好きで、休みの前の日には遊びに行っていました。
彼は、仕事以外でもアルバイト等をしており、全く休みが取れない状態でした。
そんな私と彼は最初こそは、上手くいっていましたが、段々二人共、余裕がなくなり、彼は遠ざかって行ってしまいました。
その前に私も、眠れなくなり、食欲がなくなり、自分で握ったお握り一個持って行き、お昼はそれを食べていました。朝、夜は食べた記憶がありません。
段々と固形物も食べれなくなり、栄養剤一本(一日)仕事に行く途中に飲んで行っていました。あとプラセンタも打って貰っていました。
せっかく16年間うつ病と闘病して寛解、断薬、して51歳で関東に独りで来た私の夢をつぶされたくありませんでした。
まだ、大丈夫、まだ、大丈夫、と睡眠時間ほぼ0時間で栄養ドリンク一本で、這いつくばうように仕事に行っていましたが、とうとう熱が出て立っていられなくなり、座ってする仕事に変えて貰ったりしていましたが・・・・
ある休日、独りマンションにいると、もう限界だと感じ駅に向かって歩き、改札口を通って死ぬしかない、、、、と思いながら歩いていたところ、ドスンと誰かのリュックに身体が当たり、その衝動で目が覚め、ポロポロと涙が落ちてきて止まらなくなりました。
必死で、ハンカチで涙を拭い、精神科に飛び込んだのでした。
それから、数日後、会社を退社。
その頃、友達(男性)として付き合ってくれていた人に会ったりしていたのですが、関東に頼れる親戚も友達も居なかったので、寂しくて寂しくて、ギリギリまだ寝込んでいなかったので、カラオケに行ったりしていました。
帰宅後は、バッタリ寝ていましたが・・・、その友達の前では、出来る限り明るく接していました。
そうしたら・・・
「お前さぁ~カラオケ行ける元気があるんだったらさ、近くのコンビニにでも働けよな~」
ガーン!!!
この時のショックは、今でも忘れられません。
それから1か月後くらいから、私は本格的にうつ病のトンネルの穴に入っていってしまいました。寝込みました。
今の私を見ても、一般の方々はそう見えるのでしょうね。
凄い長文、失礼致しました。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
氣愛♥