希死念慮の先は? | うつ病 闘病記

うつ病 闘病記

34歳でうつ病を発症し、壮絶なシングルマザー年月を経て、うつ病を繰り返しています。その中で、うつ病の体験を元にうつから解放される為に何かに気付いたり、生きる糧になればと願っております。


一番酷かった希死念慮が強い時期は、初めてうつ病ときちんと診断された34歳〜48歳頃までの間の30歳代と40歳代初旬頃まででした。


まだ、幼い子どもを抱えながら、自殺未遂を毎日のように繰り返す日々でした。(母親失格ですね。今では優しい子に育ってくれています)


入院中でも自宅でも、薬を大量に飲んだり、入院中の個室トイレで首吊りをしようとしたり、死ぬ気のリストカットをするものだから、血が噴水の様に吹き出ることもあったり、海へザブザブ入って行こうとしたりして…でも泣きながら母親に電話していたので、いつも屋外では、警察に保護されていました。


唯一、出来なかったのが、投身自殺です。


ある日、ある建物の屋上にスリッパで上がりました。私は、高所恐怖症でありながらも、その屋上から飛び降りようと、座り足をブラブラしていたらスリッパが脱げて片方だけ、落ちたんです。


それを見た私は、ゾッと恐怖し、投身自殺するのを止めました。何故かと言うとスリッパはゆっくり落ちて行ったからです。もっと一瞬で落ちて行くのかと思っていたので、恐ろしくなって止めたのでした。


色々、お騒がせしました。


母が手伝いに来てくれていた時も、母が買い物に外に出た瞬間、鍵をかけ大量の薬を飲んだこともありますし、自分の車の中で、昼間に人通りが多いところでリストカットしたり、だいたい自宅でODをやっていました。母とは同居ではないです。一人で自分を止めることが出来ませんでした。


救急車で運ばれること数十回。数え切れません。


リストカットもODも、希死念慮が強い時で、割と動ける時期だったような気がします。
時には、興奮状態の時もありました。


今は、落ち着いていますので、もう二度とあのような苦しい状態に戻るのは嫌なのです。


花の都、東京ピンクハートに近い場所に住んでいる私は、もう田舎の平凡な暮らしでもいい…穏やかに暮らしたい…と思えて来ました。


もう、華やかな世界は要らない。


希死念慮もなく、薬を飲んでいても、穏やかで小さな幸せに感動出来る生活がしたい。


関東に来る前のような生活に戻れば、それだけで幸せです。

関東でも、希死念慮に苦しみましたが、もう二度とこう言う体験はしたくないものだ、と思います。


希死念慮の先は、絶望ではなく、光りでありますよう、今闘っている方々に諦めないで欲しいと強く思っています。


視野狭窄になっているとも言われていますし、まだご自分に厳しいのかも知れませんね。


死にたい、と言う人程気をつけなくちゃいけません。


皆様のご理解をお願い申し上げます。