努力しても結果が出ない | うつ病 闘病記

うつ病 闘病記

34歳でうつ病を発症し、壮絶なシングルマザー年月を経て、うつ病を繰り返しています。その中で、うつ病の体験を元にうつから解放される為に何かに気付いたり、生きる糧になればと願っております。

こんばんは




うつ病と発達障害グレーゾーンを持っているみわです。




今日は、どんなに努力して頑張っても結果はついてくるものではなくて、色々なことが関係してくるものなんだな、と思ったことを話したいと思いました。





努力して頑張っている方を否定しているのではなく、私のような環境で育ち、かつ隠れ発達障害を持っていると、努力が身を結ぶことなく、返って悪い方向に行ってしまうことがあるよ、と伝えたいのです。




私は、厳格な両親に育てられ、毎日父親の怒鳴る声で育ちました。母親は、優しかったのですが、私を物凄く監視して束縛していました。




潔癖症で敏感な父親には、兄共に従うしかなかった幼少期を過ごす日々でした。




幼少期から、外から帰ったら、玄関で靴を揃え端に置き、お風呂場で必ず足を洗わされ、私物は自分の部屋以外(鉛筆一本でも)置いてはいけないルールがありました。両親の言うことに逆らえない怖さがあり、小さな音も立てられないので、階段はソロリソロリ上がり、自分の部屋でも、ビー玉一つ落とすと、父親が怒鳴り散らすのが怖くて怖くて、殺される勢いのように、毎日を過ごしていました。




保育園が凄く嫌いで、集団がとても怖くて中に入ることが出来ず、ホールの入口で独り立っていた記憶があります。内気で、家でも外でも私の居場所がなかったように思います。



保育園も、まともに行けない劣等感を持っていた気がします。



常に怯えている子どもでした。



身体が弱かったせいもあり、小学校を休みがちで、友達にも馴染めなくなり、先生にも心を開かず、勉強はついていけず、とうとう朝の授業中でも身体がだるくて動けなくなり、一年間登校拒否しました。



ろくに行けなかった保育園、小学生時代でした。



活発で明るい子が羨ましかったです。



私は、特に算数が苦手、簡単な計算、暗算が小学生から今も出来ません。



自分は、なんて馬鹿過ぎるんだろう!といつも自分を責め続けていた54年間でした。



敏感過ぎる性格



融通が利かない



こだわりが強い



かんしゃく持ち



極度の方向音痴



一度、やり出すと止まらない



白黒ハッキリさせたい



このような性格です。



最初は、こんな自分が大嫌いで、嫌われないように保育園から、自分を偽って来ました。



恥ずかしいことに、指しゃぶりは小学校6年生まで続いていたのです。



歪んだ両親の愛情が原因だったと思います。



両親、共稼ぎで忙しい日々でした。



1人が楽でしたが、たまに寂しくもあり、心に穴がポッカリ空いたような、、、心の栄養失調みたいな感覚でした。



母親は、節約家で料理が苦手。



楽しいはずの夕飯が苦痛になった理由は、おかずの少なさと、味です。味のついていない煮魚を2匹、テーブルの真ん中に置かれ、それを家族4人で食べるのです。



ご飯と家族があるだけ、マシだと思われる方もいるかも知れませんが、3日間、同じおかずで耐えられますか?



ハンバーグやお肉が食べたい年頃。



食が細い私でも、せめて毎日違う1人分のたっぷりのおかずを食べたかったです。



厳格な父親を笑わせる為に、ワザと冗談を言ったり、ふざけたりしたものです。



中学生で、やっと指しゃぶりも治まり、元気に登校していましたが、高校で又内向的な自分が出てしまい、大分嫌でした。



どうして、私だけ皆と同じように振る舞えないんだろう。



門限も高校まで17:00でした。

お泊りも禁止でした。

交際等、もっとご法度でした。




自分の良いところは、頑張ってやることしか能がない、と思っていましたので、結婚して子どもを持ったら、自分の親のようにはならないし、どんなことがあっても努力すれば、結果はついてくるはず…だと思い込んでいたのです。




結婚した後、自殺したニュースを見ると、死ぬほどなら、努力して死ぬほど頑張ればいいのに!!!と




今考えるだけで、恐ろしいことを思っていたのです。




初めて、うつ病と言う言葉を聞いたのは、元旦那の運転中の車から流れるラジオからでした。




ご結婚されて、特に不自由もない生活の主婦が、うつ病になった、と言うお話でした。



うつ病?



あらら~、なんでかしら?と、落ち込むだけの病気なんだけどなぁ〜と浅い知識で、他人事のように楽観視していたのです。



結婚後は、無我夢中で自分なりに頑張り努力しました。



家事、育児、仕事。




それが当たり前な、自分の理想像の主婦であり、母親だと思っていたのです。



インフルエンザで、高熱を出してても、育児に奮闘して休もうとしなかったので、最後は死ぬかと思うほどで病院に運ばれ、入院とが度々言われたことがあります。





徐々に、体調不良になって来て、病院に運ばれる頻度が多くなっていたので、よく医師から入院しないと、貴方は又常に動き回るでしょう…と叱責されていました。





今思うと、動き回り続けるのも発達障害だったと思います。




算数が出来ないのを苦に、結婚後、小学4年生の参考書を購入し勉強するも、出来ない。




仕事でも、叱られた経験あり。




発達障害の軽いADHDとLD(算数障害)を持っているのを知ったのは、極最近です。




ショックと、納得の両方の感情が押し寄せて、感情がグチャグチャになりました。



担当医師に、努力しても算数は出来ない、と言われました。



それなら、計算機を使ったり自分なりに工夫していこうと思うようになりました。




素直に計算が苦手だとは、友人に言ってはいましたが、何故なんだろう?といつも疑問に思っていました。




ずっと自己肯定感が低すぎて育ち、今は諦めて努力して誤魔化すのは、もう辞めたいと思います。




諦めると言うのは、あきらかにすると言う意味もあると知りました。




頑張るのと、無理をして自分を偽るのは、又違います。



正直、疲れました…。




うつ病の繰り返す原因は、隠れ発達障害があったせいでもあった訳です。




発達障害ではない方でも、努力しても結果が出ないことなんて、いくらでもあります。





これからは、自分を偽らず、ありのままの素直な自分を認め、楽しい努力ならしてもいいのかな、と思いました。



余白は余裕。




時代も変わってくる中、私もうつ病を通して変わって行けたらいいな、と思います。




自分を知ると言うことは大切ですね…。




一昨日から、過眠症でだるく辛いので、今の自分を愛してゆっくり休みたいと思います。zzzラブラブ



美味しい飲み物で、ホッとして過ごしたいですね。





長文失礼致しました。



拝読して下さった方にも似たような方が居て、少しでも、自分に気づいて医療機関できちんとしたテストを受けられることが出来、自分を苦しめる思考を知ることが出来れば嬉しいです。




拝読して下さり、ありがとうございました。