うつ病で学んだこと | うつ病 闘病記

うつ病 闘病記

34歳でうつ病を発症し、壮絶なシングルマザー年月を経て、うつ病を繰り返しています。その中で、うつ病の体験を元にうつから解放される為に何かに気付いたり、生きる糧になればと願っております。

いつも、うつ病が寛解する度に思うことがあります。




うつ病が寛解すると、不思議と今まであれ程辛かった体験を忘れてしまうのです。



完全に忘れる訳ではないのですが、お風呂も入れないようなダルさとは、一体どのような感覚だったのでしょうか?



あれ程、消えてしまいたいと思っていた私は、どう言う気持ちに陥っていたのでしょうか?




等・・・・身体の感覚が、ネガティブに陥ることが出来ず、どうしてもポジティブに考えてしまうのです。




そう言った点から、うつ病で得た学びと言うものは、自分と向き合うことで色々教えて下さったことがあるのです。



寛解間近になると、青い空に感動したり、雨露しのげる家に居る、暖かい布団で眠れる、少しのことで笑えたり、楽しめたり出来るようになります。




お風呂に入るのが、こんなに楽に入れるようになったり、買い物に行けたり、息が楽だったり、働けたり、、、、と言い出すと切がないほど、廃人だった自分が、身も心も動けることに、とても感謝出来るのですね。





     認知が如何に歪んでいたか、を知ることが出来ます




     自分のエネルギーの限界を知ることが出来ます




      病気で寝たきりの人や、同じうつ病の人達を思いやれる心を持てます




    そして、当たり前に動けることに感謝出来ることが出来ます




私は、うつ病になり、数十年間行ったり来たりしていますが、最初は空白の時間だわ、と思っていましたが




実は、様々なことを学んでいた、と言うことに気づいたのです。




苦しい渦中にいる人達には、酷なお話ですが、うつ病になってから、色々な体験をしてきたんだなぁと思います。



決して、空白ではなく、苦しい暗闇の中は様々なヒントや改善、変化を促すように、自分の身体から教わった気がします。



また、再度うつ病になり、大きな挫折感を味わった私ですが、今回の課題は何だろう?と感じています。




変に曲がったプライドを消しなさい



人から、良く見られようとしなくていいよ



そんな声が、聴こえて来たように思います。





先日、朝散歩していると、自然に堂々と自分の生き方を知って大輪の花を咲かせているヒマワリに圧巻されました。






私も、いつかヒマワリのように堂々と、自分は自分である、と言う風に生きていけたらなぁ…と思ったものです。




揺るぎない自分軸を持ちつつ、植物にも何でも形あるものには限界があるのです。




自分に優しく



人にも優しく





今日もお疲れ様でした。




休息第一です。