怒りの正体 | うつ病 闘病記

うつ病 闘病記

34歳でうつ病を発症し、壮絶なシングルマザー年月を経て、うつ病を繰り返しています。その中で、うつ病の体験を元にうつから解放される為に何かに気付いたり、生きる糧になればと願っております。

昨日、私は号泣していました。




ここ一年間、ある方達への怒りが心の底にありました。





客観的に見ても、私には一切の落ち度がなく、相手方が全面に悪いと思い、正義感を振りかざし、相手に怒りをぶつけ、そのことにより、又そう言う自分が嫌で、不安で不安で、自分のしたことが罪のように思え、一年間も過去の裏切りを手放せなくて、法的措置を考えていた程です。






時には、私は裁判官になり、相手を恨み、裁いていました。






それだけ、私自身が、その渦中にいることが許せなかったのです。






しかも、2度目の仕打ち。






相手を許せず、自分を許せず、怒りが悪い事のように思えて、怯えていまして、なかなか人を信頼出来なくなっていました。






相手方の一人は、今必死で私に謝罪し、信頼関係を取り戻す行動を取っていますが、他の方は反省の色を見せるどころか、反発し、嫌味を言われ、つい感情的になっていた自分がいました。






崖から突き落とされた私は、うつ病を再発しそうな気配を漂わせて、心身共おかしくなっていました。





とうとう、耐えきれず、どうしたら嫌な過去から脱却出来るのか、考えました。





そして、自分で自分を癒やすしかない、と思ったのです。




相手方だけではなく、自分までも攻撃していたからです。




恨みに変わりそうだったので、今私はどうして怒って、執拗にも相手に感情的に攻撃しているのか分析した処





怒りや攻撃する事によって、自分の中にある大きな恐怖や悲しみを感じたくなくて、自分の心を守り、心の安定を求めていたのだと実感したのです。





これは、マズイ!!





ずっと又苦しい年月を送らないといけないと思い…





一旦、自分の怒りの攻撃の裏にある、大きな恐怖と悲しみを自分に受け入れる事にしました。





素直になって見たんです。





自分は、本当は、悲しくて、恐怖感を膨大に感じている事に素直に向き合い、受け入れる事にしたのです。





もう、号泣、号泣・・・・・。





一人、涙が止まらず、赤ん坊のように大きな声で泣き叫び、私は傷ついて、大きな恐怖を抱えているんだ、と素直に受け入れました。





悲しい



不安



恐怖



自分の心が壊れてしまう






このような感情を素直に出し切り、自分の想いを受け入れたのです。





そして、裏切った相手方の一人に、悲しかった、恐怖だった、それによって心をドンドン追い詰めていた事を話しました。





そうする事数時間後、自分に声を、アドバイスをかけられるようになりました。





本当は、相手方と離れた方が良いですが、うつ病再発を考えて、相手方と話し合い、一人で立ち上がる日まで、静かに見守ってくれる事を、自分にアドバイス出来たのです。





そのくらい、酷い事をされたのに情もあって優しくしていたのを、少し緩め、自分をまずは労ろう、優しくなろう、我儘じゃない、と思いました。





怒りを抑えて、何でも許そうとすることは、自分の心に蓋をすることで、返って自分を苦しめます。





怒っていいのです。





無理に許さなくていいのです。





ただ、感情的にぶつけ続けることだけはしないで、自分の潜在意識にある、大きな恐怖と悲しみ、不安を受け入れて見て下さい。





怒りは、悪いことではありません。





ただ、感情的に相手に攻撃し続けることが、自分をもっと苦しめます。





理不尽であろうと、まずは自分の心に正直になり、子どものように泣いて、私は悲しいんだ!!と受け入れて見て下さい。





そうすると、スッキリ自分を出し切ることで、自分の状態が分かり、自分をもっと大切にしようと言う心が芽生えます。





皆さんも、怒りを貯めず、怒りを冷静に相手に伝えてから、自分を受け入れてみてくださいね。






正義感の強い人は、そうして自分を客観的に見て、自分で自分を癒やして下さいおねがい






今日から、新たに気持ちよくスタートが切れそうです。照れ




時間が勿体ないですね。





拝読された皆様



怒りは、必ずしも悪いことではないですよ。




聖人君子には、なれないですから……





ありがとうございました。