自己承認欲求 | うつ病 闘病記

うつ病 闘病記

34歳でうつ病を発症し、壮絶なシングルマザー年月を経て、うつ病を繰り返しています。その中で、うつ病の体験を元にうつから解放される為に何かに気付いたり、生きる糧になればと願っております。

承認欲求は誰にでもあります。



人に認められたい

人に称賛されたい

人にかまって欲しい

人に囲まれたい

人に良く思われたい

人に誇示されたい



このように思いながら、成功という目標達成に向けて背中を押して頂けるのは事実です。




SNSで、いいね!をつけられると嬉しいものです。



ただし、いいね!をつけられないと生きていけない、と思うのは、あまりにも悲嘆的、自己否定が強過ぎて、自分の中身が空っぽ、つまり虚像と同じことになると思います。



また、それにより自己承認欲求が強くなり過ぎてしまい、誰かや何かに依存したり、執着し過ぎるのも良くないと思うのです。




自己承認欲求は、あくまでも自分を高めてくれるもの。

自分に自信がなく、嘘でもいいから、生きる為の手段ではないですね。



今日の私は、低気圧の影響か、脳が疲れ過ぎているのか、鬱っぽいです。



特に午前中は、あまりにも虚無感に支配されて、ボーッと虚ろな目だったのですが、次第に涙がポロポロ出て止まらなくなりました。




そんな時、あ~私は疲れているんだな〜…と思うようにしています。次にネガティブに流されそうになります。



客観的に見ると大したことのないような事象に対して、少しの自分の愚かさを見つけては落胆し、果ては、私は生きていていいのだろうか?と言う極限のネガティブ思考に陥りそうになります。



そんな時、とても自己承認欲求が強くなることが多いです。



元来、自己肯定感が低いせいなのでしょう。



今まで、散々自分と向き合って、何十年も自問自答してきました。



この自己承認欲求は、何処から来るのかと思った時に、疲れた脳や身体から来るのだと痛感しています。




そんな時は、何もしない…ことを心がけているのですが、何もしないって意外と難しく、つい携帯を手に取ってしまう私がいます。



意欲はないのに、携帯を触る意欲は残っているのは、不思議です。



でも、楽しい状態になる訳でもなく、つい自分の投稿のいいね!の数を見てしまったりするものです。




いいね!欲しさに投稿しているのではなく、自分の欲求に素直に従っているだけなのです。



最悪、いいね!が0でも投稿出来た自分に自分でいいね!を心の中でつけたりしていますが、投稿は試験でもなく、採点でもなく、自分の価値の証明ではないのです。




自己承認欲求が強いと、何が起こるかと言うと、小さな嘘です。



小さな嘘が、いつの間にか大きな嘘に膨大に変わります。



小さな嘘に、心が痛む内はいいのですが、小さな嘘から逃れたくて、思考を止めて快楽に走ることが大きな損失・・・・・



つまりは




自己承認欲求が強い=自己肯定感が低い=嘘をつく




の構図が成り立ち




ついに




生きていく中で一番大切な人との【信頼関係】が一気に崩れ落ちる時が来ます。




人との繋がりの大切さを、私は単身で51歳で関東に来て、とても痛感しています。




誰と繋がるか

誰と一緒に居るか




それによって、自分の環境が変わり、行動も変わります。



自己承認欲求は大切ですが、強過ぎると、とんでもない方向に転換していき、抜け出すのに時間を要します。



まずは、自分の身体作りが(栄養面、睡眠、瞑想、運動)一番重要不可欠になると思います。




鬱になりやすい人も、思考だけではなく、自分の身体や生活面に問題があることに気づかされました。



良い言葉も

良い心理状態も

良い出来事も





                   身体が資本です。




先ずは、自分の生活スタイルに問題があると思いますので、投薬治療と並行して、栄養面、運動、日光、睡眠を少しづつ変えていきましょう






そして、自己承認欲求の加減は自分自身を受け入れることからスタートしてみて下さい。ウインク





皆様の穏やかな心を取り戻せる日々を祈っております。




ありがとうございました。