そのままの貴方でいい~摂食障害から見えた母と子 | うつ病 闘病記

うつ病 闘病記

34歳でうつ病を発症し、壮絶なシングルマザー年月を経て、うつ病を繰り返しています。その中で、うつ病の体験を元にうつから解放される為に何かに気付いたり、生きる糧になればと願っております。

私ごとですが、3月いっぱい諸事情でblogはお休みします。



断薬したあと、体調に波がありながらも、力を出来るだけ抜きながら過ごしていましたが、少し忙しくなりそうです。



blogを休むにあたって、うつ病で闘病中に知り合った人達のことを少し書きます。


34歳~40歳の6年間が、私にとって一番辛く苦しい時期で暗黒の時期でした。


その6年もの間、精神科に入退院を繰り返し、うつ病の私でも理解出来ない行動を取る人や共感を得る人など、数えきれない人達に出会いました。


うつ病だけではなく、私が知っている病名では、摂食障害、強迫性障害、不安障害、統合失調症、解離性障害、アルコール依存症の人達がいました。



皆さん、一つだけの病気だけではなく、2つ以上の病気を併発している人が多かったように思います。



病院内で、私がいつも過ごしていた3階解放病棟(入院患者の中で軽度の方がいる比較的自由で居られる)とは違う5階に、いつもエレベーターを使いいっていました。


5階にはコインランドリーがあり、私は洗濯物を洗う為に、よく利用していました。


エレベーターで上がる時がほとんどでしたが、たまに誰とも会いたくない時は、階段を利用していました。



階段を上がる途中の4階に上がった時、いつも目にしていた人がいました。



そこには、いつも細みの女性がいました。



彼女は、Sサイズであろうジャージを履いているのですが、それさえブカブカでヨレていて、骨しかないよう容姿で、いつも廊下に設置している窓にもたれ掛かり、遠くの外の風景を眺めていました。




人生初の精神科入院でしたので、その容姿に先ずは驚き、寂しそうに遠くの何かをじっと見つめながら佇んでいるのが印象的でした。



解放病棟ではなかったので、周りに友達らしき人はいませんでした。



私が洗濯をしに行ける時に知り合い、徐々に話をするようになったKちゃん。



当時の私は、入院してから検査を受けたばかりで、うつ病だと診断された自分の状況を受け入れることで、精一杯で不安な頃でした。



うつ病という病気でさえ、分からない状態でしたので、他の病気は無知の状態でした。



Kちゃんは、親しくなり始めた頃、私に不思議なことを言いました。



「○ちゃん(私のこと)は、見ているだけで、折れそうなくらい細くて心配だわ」

とKちゃん。


私は、咄嗟に浮かぶ言葉が出なく、一瞬の間を置き、Kちゃんは自分を客観的にみられない状態だと察したので



「そお?Kちゃんと同じくらい細いのは確かだね」



と明るく笑顔で返しました。



誰が見ても明らかに、私より細い彼女でした。



私は、入院したばかりで、うつ病も分かっていない状態でしたので、うかつな発言でKちゃんを傷つけたくないと思いました。



いつも、同じ場所に佇んでいた彼女でした。



ある日、Kちゃんらしき叫び声が1階の外来から3階まで、階段をつたって私の耳に届きました。



「お母さんが・・・・!!!」



という言葉が聴こえ、あとは何を叫んでいたのかは聴こえず、酷く興奮した状況であるのは確かでした。



お母さんに、怒って怒鳴っているようでした。


ただの喧嘩には思えずいた私はその後、何度かKちゃんの話を聞きました。



その時初めて『拒食症』だと言う病名を知りました。




ある日は、バタバタと小走りで医師と看護師二人が、Kちゃんの病室に入るところを目撃する度に私の心臓が高鳴り、とても心配になりました。



初めての入院でKちゃんと出会ってから、入院する回数が増える度に、摂食障害の方の患者さんに出会い、心の奥底に求めているものが見えて来ました。


それは


お母さん、私を愛して



という心の叫びでした。


私が接して来た後天性の精神障害者のほとんどは、家庭環境が原因であるという事実に直面しました。




そして、私が接した摂食障害の彼女の話から感じたのは、幼少の時期に母親から愛を向けられなかった、甘えられなかった、という現実です。




母親に認めて、褒めて欲しかったから、自分を偽り続けた過去の背景が浮かびました。



子育ては、難しいものです。



私も母親になってから、痛感しました。



一番身近にいる母と子。



未熟な母親と、もっと未熟な子ども。


子育てには正解はないかも知れないですが、母親が子どもと四六時中同じ場所でいることは、母親にとっても背負うものは大きく、子どもにとっても母親からの影響は大きいと思います。




また、シングルマザーだったり、おばあちゃんと同居してたりしていなかったり、父親が母親の子育てを手伝っているなど、周りの環境で子どもは良くも悪くも成長していきます。



一番身近にいる母親が、子どもにとって世界でたった一人信頼している人物であり、子どものお手本となる存在です。



私も幼い頃、母親について回っていたことを思い出します。



核家族化が進み、母親は孤立していき、一人では抱えきれないほどの心の余裕を失っていきます。



母親という肩書きを持っているだけであって、心身の限界を超える時があります。


母親は、一個人としての未熟な人間であると私は今思います。



だからといって、子どもを無視したり、母親自身の支配下に置き、子どもを意のままに教育したり、ぞんざいに扱うことは許されない行為だと思います。




母親にも、当然ながらその両親がいて、何らかの影響は受けているのは、間違いないです。



それに気づいて反省し、子育ては愛情をかけて育てよう、と思っても周りの環境
や人間関係が希薄過ぎたり、一人では限界があり、母親自身くたびれて心の余裕がなくなり、自然にイライラの矛先が身近な子どもに向いていくのです。



子どもは、素直で純粋です。



母親に裏切られても、嫌な態度を取られても、必死に母親に愛されようと頑張ります。



だって、母親が唯一無二の存在だからです。



社会情勢や経済情勢の移り変わりで、急速に劣悪になってしまっている子育ての現状に、非常に強い危機感を覚えます。



母親の心の在り方次第で、子どもを天使にも怪物にも出来ます。



お隣の家や部屋は、誰が住んでいるのかさえ分からない…という現代社会において、母親は、必然的に孤立していきます。




本当に、これから将来を担う子ども達が心配でたまりません。




母親の心が愛に満たされていれば、子どもに対する心もちが変わります。




要は母となる存在は、真面目過ぎて頑張り過ぎてもいけないですし、
夫婦仲が冷めていたり、旦那さんが一切子育てに無関心だったりするのも、考えものですね。



母親は、明るくて太陽のような存在であるべきだと私は思います。




太陽は、世の中に明るい光りを与えつつ、どっしりと構えて大地を守り、手出しをせずに見守っています。



私も、このような太陽のような母親でありたかったと今更ながら思います。




私も未熟な二人の息子の母親でしたが、生真面目過ぎて、一人ですべてのことを完璧にやろうとする性格がゆえに、自分に潤いがまったくなかったように思い、反省しています。



子育てに於いて
うつ病にならない為に於いて


重要なことを16の私なりの鉄則を書いていきます。


①手抜きをする。

②緩く緩く生きる。(ルールは作らない)

③毎日笑う心の余裕を持つ。


④誰かに頼る。委ねる。


⑤子どもの話を聞く、受け止める。

(受け止められないときは、素直に子どもに話し謝る。)

例) 「お母さん凄く疲れているから、今は休みたいの。ごめんね。」
(幼い子どもには、ヌイグルミを使ったり、絵本を見せながらこう言う感じと話すと理解しやすい)


⑥赤ちゃんからなるべく抱っこする。おんぶする。抱きしめる。(スキンシップは、最大の愛だと思います。)

『抱き癖がつくから良くない』は、間違い!!!

遠い昔のモノがない時代のお母さんを思いやっての言葉であります。その頃のお母さん達は、薪でご飯を炊き、赤ちゃんをおんぶして畑仕事や桶で洗濯をしていました。
また、そんなお母さんに代わり、おばあちゃん、おじいちゃん、近所の方々が子どもを愛しお世話をするのが日常でした。

今は、母親以外気にかけて愛をかけてくれる人がいないに等しい時代です。

この言葉を間に受けて、母が抱き癖がつくと放置していることに、ものすごく憤りを覚えます。

大間違いである情報を強く発信したいです。情報を直ぐ鵜呑みにしないで下さい。

私は、託児所で無表情な赤ちゃんを沢山見て来ました。
泣いても、誰も来てくれないからです。



⑦自分の感情を子どもにぶつけない。(母親自身のメンタルの限界の許容範囲を知って置く)
    ↓↓
叱ると怒るは違います。


⑧母親が幸せ。(穏やか)


⑨子どもとして捉えるのではなく、一人の人間と尊重して見る。

母親自身が間違ったことを言ったとしたら素直に子どもに謝る。


⑩夫婦がよく話す。(旦那さんとのコミュニケーション、距離感、大切)


⑪絵本を読んであげる。
   ↓↓
親子との繋がり。
子どもが疑似体験をする。


⑫一人の時間を作る。(絶対必要)


⑬自分を愛し、自分を許す。


⑭子どもを縛らない。(過干渉にしない)


⑮母親が気長に待つ姿勢は大切
(子どもが自分でやろうとすること)


⑯出来ないことは出来ないでいい。(母子共に)完璧な人間はいない。



この16点の私なりの鉄則が、母親としての私の反省点であり、実践して良かったことです。


本当は、周りの環境や社会が変わることが一番の願いです。



そして、被害者になってしまった少年、少女、大人達、には、どうか自分を許し、ご両親を許せる日が来ることを願っています。



一つ一つ、無意識に縛られている習慣を外していきましょう。



心から叫んで、愛して欲しいと言ったり思うことは、罪ではありません。
自然なことです。




徐々に本来の自分を、少しづつ取り戻し、自分の欠点さえも笑い飛ばせるくらいになれることを願っております。




肩の力を意識的に抜いて、自分を愛して下さいね。
(自分を愛するって難しいですけど、自分を愛せないと、他に際限なく愛を求めて…間違った人やモノに当たる。)



もう偽らないでいい。
心配しなくていい。
苦しまないでいい。


もう十分ですよね。



ダメな自分でも、欠点があってもいいじゃないですか。


あなたは、自分が思っているよりずっと愛される人です。愛されている人です。



そのままの貴方は素晴らしい!!!



と思っています!



離婚してしまったけれど、幸せでした。ラブ



離婚時は、旦那さんに付き合っている女性が発覚して恨みましたが、今思うと、私も完璧過ぎるがあまり、潤いがなくて、旦那さんに「自分は存在していない」「頼られていない」「女性としての魅力がない」と思わせていたことでしょう。


今はキレイごとではなく、恨みはなく幸せであって欲しいですし二人の子どもをありがとう、と伝えたい…キラキラキラキラ照れ





このように



未来は変えられないけれど、




過去は変えられます!!!



過去を変えられると言うことは、



失敗はない



です。ニコニコアップ





ありがとうございました。ブーケ1おすましスワン

남사합니다.♡♡