~3度のうつ病闘病~生きる | うつ病 闘病記

うつ病 闘病記

34歳でうつ病を発症し、壮絶なシングルマザー年月を経て、うつ病を繰り返しています。その中で、うつ病の体験を元にうつから解放される為に何かに気付いたり、生きる糧になればと願っております。

久しぶりにうつ病のことを書きます。


細かく言うと、最初のうつ病は小学4~5年生の頃でした。


朝の授業で、身体を起こして黒板に向くことが辛く、常に怠い、重い身体でした。


当時、何故?こんなにも身体が重いのか理解出来ず、何に対しても意欲がなく、その内、学校に行けなくなり小学5年生に上がったばかりで寝込み、学校に行けなくなり、登校拒否児となり1年間行っていません。



原因は、私の繊細な性格と両親のしつけ、環境下に居たせいだと思っています。



病院にも行きましたが、精神科ではなく内科で、どこも異常は見られず、簡単な検査、判断で、自立神経失調症と診断されました。


それから何とか普通に回復しましたが、32歳頃うつ病らしき症状が出始め、神経科に通いながらも限界が来てしまい34歳で動けなくなり、うつ病と診断されました。


うつ病と診断される前に、入院しました。



もっと細かく言うと、32歳で、喉に何か詰まっているような症状が出て、大学病院で仮面うつ病と診断されていました。



最初のうつ病時の担当医は、うつ病の芽は小学5年生の頃からずっとあり、ごまかしながら何とか生きて来たようです。



だから、仕事が長く続かなかったのかな?と思います。


ずっと怠けている自分は、本当にダメな人間だと情けない想いをずっと抱えていました。


そして、正解に言うと、

1度目→10歳でうつ病発症

2度目→32歳で仮面うつ病発症
その後34歳でうつ病発症

3度目→51歳でうつ病発症


と言う順番になりますね。びっくりガーン


3回もうつ病を体験している私ですが、生きています。笑っています。



2度目のうつ病は、難治性うつ病でした。

それから13年後、長いうつ病の回復、断薬、寛解、四国から関東に一人移住しました。



本当に、想像を遥かに超えた壮絶なうつ病体験でした。



そして、更に再発。



再び、2度と飲みたく無かった抗うつ剤を飲むことになりました。51歳。


しかし、3度目のうつ病は、1年で断薬、寛解しました。


両親や、幼少の環境を恨んでいましたが、45歳頃、両親も未熟な人間で親と言う肩書きを持っていただけ…



私の両親にも、当然ながら親がおり、私の祖母、祖父からしつけられてきた犠牲者なのかも?と思うようになりました。



私の両親は、生きていく為に必死だったであろうし、私に向けられたしつけの中にも愛が存在していたと思っています。



45歳で、初めて両親を許せ、両親に感謝しました。


そこから転換期だったように思います。



薄紙を剥がすようにゆっくりゆっくりと一進一退しながら自分と向き合い、回復に向けて歩み始めたように思います。



希望を胸に抱いた2年前は、うつ病のことは頭から消え去っていました。



希望は、あっさり砕かれ、3度目のうつ病発症。


私の人生は、うつ病だらけ。

うつ病の漬物が出来ている状態です。笑い泣き笑い泣き


何故か、笑いに変わってしまいます。


今思うと関東には、頼れる親しき長き友人、親戚はゼロ状態。


今までの人間関係を断ち切り、51歳で新地に飛び込んだのですね。



関東に来たことで、うつ病に再度苦しめられましたが、違う環境で育った人達や、都会の中心を見れたことで、又私に深い体験と学びを得ました。


心底頼る人が居ない


自分のことを深く知らない


自分の病気を知らない


こんな状況下で、何とか小さなご縁を大切にして、助けられ、ここまで来ました。


四国での親、兄弟、我が子、友人達の有り難さは勿論、四国の自然豊かな環境の良さ等、本気で感謝出来たことは最大の私へのプレゼントだったと実感しています。


そうして、新たに築けたご縁にも感謝しています。




死ななくて良かった・・・・


どんな惨めな状態でも生きる


これが、人間にとって一番大切なことではないでしょうか。



結果を出せなくても


平凡で特技がなくても


誰にも存在さえ知られなくても



一生懸命生き続けることが、意味のある重要なことだと私は思います。



折角、この時代に生まれて来たのですから、思う存分楽しく生きて行きたいですね。



楽しくは、惰性的と言う意味ではありません。


産まれた時は未熟児。

直ぐ高熱を出して入院ばかりの赤ちゃん時代。


当時の医師から、「大人まで生き延びられない」と母は宣告されたそうです。



そうして、うつ病漬け生活。


私に限らず、もっと辛い障害者の方や、過酷な環境の方がいると思います。



しかし、誰もが魂があり、愛を感じて幸せを感じて生きて欲しいと強く思います。



頼ることは、恥ずかしいことではありません。


名誉が全てではありません。



一番大切なのは、何かに気づくことだと私は思います。




そして、一瞬一瞬上を向ける姿勢が尊いことだと思っています。






自分を諦めないで下さいね。