息子は、いつでも明るく、前向きに頑張って来ましたが、有給休暇が一切取れない会社で5年間、愚痴一つ言わず、苦痛であっただろうに、毎日早朝出勤をして頑張って来ました。
そして、とうとう健常者と会社に合わせていくエネルギーが枯渇してしまいました。
発達障害ではないか?と気づき始めたのが、息子入社1年後。
私は当時、うつ病で投薬治療中で、精神障害者雇用で働いていました。(某有名大手企業)
私は、うつ病の症状に加えて、若い健常者と同じように働く過酷さを体験中で、毎日余裕がない日々を送っていました。
実際の精神障害者雇用は、まだまだ障害者の理解度は低く、普通のように働くことは困難だと痛感しました。
私は職場のリーダーに、「特別に教育して欲しい」と嘆願しても、なかなかその時間を設けて頂けなくて、1日短時間だけリーダーから教育を受けたものの、後は放置されていました…。
どういう障害者雇用対策をしているのか、リーダーに激しく問い詰めたことがあります。
プライドの高い男性リーダーは、ムッとした表情を見せるだけで、回答は無い状態でした。
私は、会社の中で一番の高齢者であり、うつ病の症状があり、普通の人のように、仕事を最速で覚えられず、凄く苦戦しましたが、ある若いスタッフが、そんな私に気づいてくれ、特別に半日、みっちり教育時間を取ってくれ、教えて頂けたことに、とても感謝しています。
精神障害者雇用一般就労で、思ったことは、周りのスタッフが普通に「何故?出来ないのか?」と言う目で見てくる、指示して注意してくることは、当たり前です。
だから、障害者は、普段の数倍頑張ろうと、身体に鞭を打って自分の出せるエネルギーを振り絞って出そうとします。
実際の障害者雇用の会社は、このような感じなのではないかと思います。
息子が発達障害だと思った理由を書きます。
息子は、胎内仮死で産まれました。
普通に順調に陣痛が来て、子宮口が開き、後は赤ちゃんが出てくるだけを待つ最終段階になっても、赤ちゃんは動きを辞めず、降りて来ない…
その内、胎内にいる赤ちゃんの心臓が止まるブザーと、赤い0と言う数字の点滅が同時に起こりました。
私は、何が起こっているのか分からず、混乱していると、看護師や医師達がバタバタ、慌ただしく走って来て、「赤ちゃんが苦しがっていますから、今すぐ出しますね!」と穏やかな口調で言いながらも、緊迫した空気が伝わりました。
医師が、思い切り吸引器で引っ張り出し、無事大きな初声をあげて産まれた息子。
私は壮絶な痛みと不安から解放されたことだけに、安堵していました。
助産婦さんが、赤外線?の暖かい光りが当たる器具の中で、息子の身体を綺麗に
優しく拭きながら、『無事に産まれて良かったね~』と涙ぐみながら、我が子を見るような目と愛しい顔で、息子に言い聞かせていました。
私は、何があったんだろう?と不思議な目で助産婦さんを見ていました。
後で聞くところに寄ると、息子は胎内で、ヘソの緒が首から足に巻きついており、首が締まり、窒息状態に陥り、胎内で死んでいた状態だったそうです。
それで、苦しくて動いていたのだと思うと、今でも涙が出そうになるくらい、無事に産まれて良かったと痛感すると共に、息子と医療スタッフの皆様の懸命な対応、優しさ、尽力に感謝で一杯です。
幼少時期の息子は、他動的、衝動的、じっとしていられないので、いつも目が離せない状況でした。その上、言葉の発達も送れ、若干、学習能力が人より遅かったです。
しかも、私は最も重いうつ病を発症していました。
それでも、重い身体を起こして、小児の精神科に連れて行くも、特別な病名はつけられず、薬を出され、言語教室に数回通うことで、終わりました。
今では、落ち着いてきましたが、言葉は上手く人に伝えることが困難で、コミュニケーションも、人に合わせている状態でしたが、高校生活は学業以外は、友達に恵まれ、楽しそうでした。
中学生時代は、2度苛めに合い、「自分と人は違う」と違和感を感じていたようです。
苛めにあった時は、担任と何度も話し合い、重いうつ病であった私でも、必死で息子を守りました。
こう言った経緯があり、高校卒業と同時にAEON系列の会社に一般就職出来ました。
一度、うつ病になりかけたのですが、発達障害が原因ではないかと、上司に有給休暇を貰い半月休み、リーダーとなっていた息子を辞めさせました。
息子は、マルチタスクが出来ません。例えば、※会議を聞きながらメモを取れない※電話で話ながらメモを取れない※効率良く動けない※集中力が短く気が散りやすい※勝手に身体が動く。等の症状があります。
5年間、私が苦手なことをサポートしていましたし、本人も自分を殺して、出来ない自分を責めながら、相当頑張り続けていたと思います。
本当に、よく頑張り抜きました。
私が元気で、もっと早く対処してあげれば良かったと反省しています。
過去を嘆いても仕方がないので、過去を教訓にして、これから息子は障害者の方で楽に、好きなことに囲まれて生きていけるように、母子共に、明るく笑顔で過ごしていこうと思っています。
うつ病以外の症状のことを、更に学ぶことが出来ることに感謝して、新しい年明けを迎えることを嬉しく思います。
私の内輪話で申し訳ないですが、この話が、誰かの耳に届き、何かにいち早く気づき、お役に立ち、少しでも早い段階で幸せに近づくことが出来れば幸いです。
ありがとうございました!
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