障がい者 子ども 心 教育 | うつ病 闘病記

うつ病 闘病記

34歳でうつ病を発症し、壮絶なシングルマザー年月を経て、うつ病を繰り返しています。その中で、うつ病の体験を元にうつから解放される為に何かに気付いたり、生きる糧になればと願っております。

私の息子は軽い発達障がいを持っています。

本人は、中学時代から「僕は人とは違う」という生きつらさを抱えていたそうです。

息子が発達障がいを持っていることが確実になったのは、社会人二年目。


移動と同時に、職場の部署のリーダーになってからです。


ある日、いつものように送り出した後、数十分後、暗い顔で帰宅してきたのです。


熱があっても、仕事に行く程、真面目な息子が、帰宅したと同時に「死にたい」と口にしたのです。


ただ事ではないと、話を聞くと、職場に着くも、どうしても入り口のドアを開けられなく、帰宅したのです。


そう言えば、中学の頃、私もうつ病で伏せていたので、気づかなかったのですが、教師から電話があり、「○○君、欠席していましたが、どうなさいましたか?」と連絡があったことがありました。驚いたことを未だに覚えています。



中学の頃は二度、虐めを受け、私と学校教師と再三、話し合い、息子を守りました。


息子の幼少時は、多動性が激しくて言葉が遅い、出て来ない、集中力がない、等、明らかに違う息子は、自閉症じゃないかと専門家に診てもらい、お世話になりましたが、言語教室を紹介され、薬を処方されたくらいで、病名は告げられませんでした。


薬は1度飲ませ、気分が悪くなったら辞めて下さい、との指示通り、具合が悪くなった息子は保健室で寝てたと言われ、即、薬は止めました。



それでも、何とか高校合格、卒業しました。知能には問題はないのですが、集中力が続かないので、勉強について行けず、親しい知人だった家庭教師を雇い、卒業する頃は、まずまずの成績で無事に卒業出来、感無量でした。



私がうつ病を発症したのが、息子が4~5歳頃。それから寛解した時は、社会人で立派に成長していました。



母子家庭で、私がうつ病になり、自分のことだけで精一杯な時期に大切な子育てにぶち当たり、生活保護を受けず、金銭面、精神面、身体面、等で、地獄のように壮絶な日々でした。でも息子はきちんと理解してくれています。
(お母さんはうつ病と言う動けない身体になっているんだよ、ごめんね、と話してたからかな。)



私は動けないので、布団で息子の話を寝たまま聞いていました。正直、傾聴するだけも、エネルギーが莫大に必要としましたが、なるべく一緒に寝る等、子どもに安心感を与えてあげたかったですし、それしかやってあげることが出来なかった母親です。


話は戻ります。

息子は、仕事に行けなくなり、私が上司二人と話し合い、発達障害からうつ病になったと診断を受けたので、半月休ませ、リーダーをおろしてもらえました。


今は、職場で友人が出来、何とかやっていっているようです。


私も息子も精神障がいを持っていることになります。



私は後天的なものとはいえ、一度うつ病になれば、生涯うつ病と向き合っていかなければいけません。そしてHSP(超過敏な性格)なので、対策を練り、気を付けて、自分の特性を活かして生きていこうと思っています。


そして最近、とても助けられている方との衝突が多く、大嫌いになりそうでした。


嫌いになりそうだった特徴を書きます。


人の話を最後まで聞かず、目に入ったものを衝動的に話し出す。(私の話の上から被せるように遮断して話してきます。)
しかし、相手が話す内容は、重要とは程遠い、くだらない話ばかりです。


最初は、私の話が長いから嫌だと思っているのかな?と思っていました。


最初にお会いした時は、常に貧乏揺すりをしており、「イライラしてるの?」と聞きましたが癖だと言っていました。

そうこうする内に、じっとしていることが苦手らしく、常にガチャガチャ音を立てて、私も落ち着くことが出来なくなりました。

常に、鼻歌を歌っていたり(私が寝込んでいるときも)仕事で、ちょくちょくミスが多い人だと思っていましたが、性格だからと、最初はあまり気にしませんでした。


そして、徐々に傷つくような言葉を私に言うようになってきました。


自分が瞬時に思ったことは、口に出す方で、その度、「もう無理だわ」と何百回思ったことか、解りません。


とうとう、私の話を聞いていないことが分かり、その場の空気を読めない人だと気付きました。(話が逸れたり、一方的過ぎる話ばかり。共感性が低い。)


最初は、性格が全く合わないからかな、等と思っていたのですが、昨日、ADHD(発達障害の一種)ではないかと思い、調べるとそうだったんだ~と確信し、納得しました。



息子の方が落ち着いているので、同じ病気だとは、全く思えなかったのですが、約1年間、友人として付き合わせて頂きましたが、今までのその方の行動や、発言、異常な一部だけのこだわりの謎が解けて、スッキリしました。



子どものような人が大人になった感じです。知能は普通なので、浅い付き合いだと、他人からは分からないと思います。



私は関東に来てから友人を作りたいと積極的に人と関わって来ましたが、最初は寄ってきた人達が、障がいを持っていることを、早い段階で言うと、何人か離れて行きました。


知り合いも全く居ない地で、1年6ヶ月の間で、うつ病だった、と公表した瞬間、離れて行った人が5人以上はいます。


私も以前は、離れて行く側だったと思います。偏見があった過去の未熟な自分が恥ずかしいです。
今の健常者のほとんどが、理解すらしようとしない偏見を持っている方々でした。



私は、うつ病を隠して生きるのは、自分を否定することになり、又他の障がい者の方々を否定し、益々理解が得られないのではないか、と思ったので、会う人、blog、Twitter等で発信しています。



精神、身体、性別、等で、何故理解されないのか、不思議です。誰しも明日、交通事故や病気等で、障がいを持つ身になるかも知れないのです。
優しさを持っている日本人が小さく思えます。



どんな知的障がいや、身体障がいを持っている方々でも、があり、があります。


AIは急速に発達しているのは良いことだと思いますが、AIが当たり前になって欲しくないのです。



人間は、どのようなビジュアルであろうと人間です。



だからこそ、見えない人の心や痛みが分かち合えるような、そうした方々の教育機関がしっかり充実して欲しいと思います。



特に、一番大切な学校教育が、その機能を果たしていないので、一度全て壊れてしまった方がいいのではないかと思うほどです。



長くなりますので、ここら辺で、終わりにしたいと思いますが、もっと人と人が真剣に本音で向き合うような体験をこれから是非増やして行って欲しいと思います。



貴方は、近くの人達に真剣に向き合っていますか?

家族と真剣に向き合っていますか?

自分目線になっていませんか?



心の交流を感じながら、障がいを持った子ども達の教育や、居場所を作って頂きたいと切に願います!


ありがとうございました。