うつ病とは、自分をコントロール出来ないこと | うつ病 闘病記

うつ病 闘病記

34歳でうつ病を発症し、壮絶なシングルマザー年月を経て、うつ病を繰り返しています。その中で、うつ病の体験を元にうつから解放される為に何かに気付いたり、生きる糧になればと願っております。

今日は、寛解している今の私の近況ではなく、ドン底に堕ちていた時の私の状態をお伝えしたいと思います。



その前に、今現在の私は二度目のうつ病が再発して、寛解途中にあり、フリーランスで仕事が出来るように資格勉強をしている最中です。


何故、資格が必要かと言うと、1級資格を取らなければ、プロとしてお仕事が出来ないからです。現段階では2級資格まで取っています。



身体も軽く、関東で一人暮らしをしています。普通に日常生活が出来ています。



話は、一度目にうつ病を発症した頃の話をします。


私は36歳で、ある出来事をきっかけに、身体が動かなくなってしまい、色々な病院を転々とした結果、精神科に行き、入院させて頂きたいことを申し出ました。



入院時は、自分がうつ病だとは解らず、ご飯は喉を通らず、家事、子育てが出来ない状態で、歩くのがやっとでした。


自分で、何が起こっているのか解らず、とにかく、家族がいる自宅でずっと寝たままの状況でいるのは耐えられず、主婦として、妻として、失格だと思っており、逃げ場が欲しかったこともありました。そして、大きな出来事に打ちのめされ、「何もかも疲れた」状態でした。



それから、色々ありました。


退院後、別居。そして離婚。


身内が近くに居なかったこともあり、自分のほんの1㍉の力を振り絞って、子どもの為の最低限なことをやっていました。


動くのがとても辛い時期でしたが、休めるようなそんな環境ではなく、毎日、自分の身体をフルパワーで動かし、そして数日間寝込む、と言う生活を送っていました。


そんな無理な生活を、ずっと続けられる訳もなく、入退院を繰り返していました。


何が一番辛かったか?
それは沢山あり過ぎて、全ては伝えきれません。



それでも、抜粋して、絞って下記の通りになります。


□身体が動かないことを周りは理解してくれないこと。

□うつ病を理解されず、酷い暴言を吐かれたこと。

□幼い子どもがいること。

□子ども一人の親権を理不尽な理由で取られたこと。


でも、最も強烈だったのは身体が



動かなくなる


ことでした。


以前の私は、うつ病とは、弱い人がなるものだと思っており、落ち込み、塞ぎ混む、だけだと思っていました。


一言



衝撃!!


でした。


意欲もなく、お風呂さえ入れないのがうつ病です。


酷い時期は、永遠に寝込んでいました。


寝込んでいる間、寝ているだけではなく、時折襲って来るうつの波が、私を飲み込もうとし、自分をコントロール出来なくなります。


そして、あまりにも苦しくて辛くて・・・




を考え、実行してしまっていました。


社会から阻害され、信頼していた人に裏切られ、母親は近くに居ない状況での子育ては、想像を絶する大変さ、でした。



自分一人でさえ、扱うことが難しい時。


孤独感で苛まされ、何とか一人で子育てをしないといけない辛さは、うつ病で子育てを余儀なくされた方ではないと理解出来ないと思います。



私の変なプライドもあり、生活保護は受けず、母親の支援で生活していました。



遠くにいた母親でしたが、金銭的に13年間、支え続けてくれたことに、今は本当に感謝しています。



私は、次第に自分を自分でコントロール出来なくなり、毎日、自殺未遂を繰り返していました。


投身以外、全てやりきりました。



そんなギリギリの精神状態でも、理解しようとしない裏切られた人達からは、同情を引く為にわざとやっていると言われたりしました。


今でも、酷い誹謗中傷してきた人達が、信じられないでいます。


でもって、今考えると、その人達のいるステージは、底はかとなく低いから、上がっておいで…と言われていたのかも知れませんね。


貴方は、もっと高いステージに上がるべきだ。


今は、そうだと思えます。


ここまで来るのに、本当に長い長い暗いトンネルを這って来たように思います。


動けない

眠れない

トイレしかいけない日々


そんな13年間でした。


最近は、前向きなポジティブなことばかり書いていますが、ドン底の年月を送った後、又再発しているのです。


うつ病以外にも、ここでは書けないくらい壮絶な出来事もありました。



その事を書くことの勇気が今はありませんので、割愛させて頂きますね。


色々恨みました。



憎しみ続けながら、どうしてこのような状態になったのか、少し状態が楽な時に、本をひたすら読みまくりました。


うつ病の本
スピリチュアルの本
自己啓発の本


等…


当時は、原因を知りたい気持ちがとても強かったように思います。



そんなうつ病も10年が経とうとした頃から、薄紙を剥がすように、一進一退しながら、回復してきました。



その一つに息子が大きくなってきたことが大きいですね。



私の息子は、本当に良い子に育ち、



「お母さん、そんなに頑張らなくていいんだよ。僕のように、力を抜いて、ダラーッとするんだよ」



と言って、笑って、私を穏やかにさせてくれました。


高校生の頃は、毎日、自分でお弁当を作って行っていました。


うつ病は、朝が一番調子が悪く、起きられないのです。



私のように、このようにうつ病を長く引いていらっしゃる方々は、何処かで頑張ろうとしています。


私は、今思うと、ずっと母親に素直に何もかもやって貰ってたら良かったのではないか、と思います。母親に回復するまで素直に息子を長期間、預けていたら、こんなに苦しまずにいたかも知れません。


母親とは、犬猿の仲でしたので、喧嘩ばかりしていました。


母親の束縛や、親のしつけで、うつ病になったと責めていました。


確かに、私は小学生で、うつ病を発症していて、それを大人になるまで隠し続けていたことが、医師の診断で発覚しました。



自分の気持ちが負のスパイラルに陥ると、何でも、そのせいにしてたんですね。


今でいう毒親でした。


そんな毒親でも、未熟な一人の人間だった


ことに気づけて、改心して、今は感謝しかないです。



今、ドン底にいる方々、どうか頑張ることを止めて、今まで突っ走ってきた自分を労って頂きたいと思います。


太宰治の人間失格にありますように、道化者を演じなくていいのです。


罪悪感も要らない


良い子を演じないで、我が儘くらいに開き直って、生きて頂きたいです。


今、命を投げ出すと、必ずあの世で後悔します。



苦しいでしょうが、苦しくしているのは、自分自身だと言うことにいつか気づくときが必ず来ます。



どうしても自分をコントロール出来なくなった時は、安定剤で寝て思考を止めるか、私で良ければ、弱音を吐いて下さい。


聞くことしか出来ませんが、一人じゃないこと、命あって良かった、と思って下さると嬉しく思います。



一人でも、大切な大切な命が、今日も一人でも救われるように、心から祈っています。



ありがとうございました。