※この記事を読まれる前に、うつ病の酷い方や、繊細な方は、読まないで下さい※
実話ですが、かなり描写がリアルです。
私が中学2年生の時に、初めて異性から、「お付き合いしてください」と告白されたB君が今でも忘れられない。
と言うのも、何故かと言うと、私の中学生時代は、まだまだ両親の教育方針や、思考に縛られていたのが原因だった。
告白されたことは素直に嬉しかったが、大人になりきれていなかった私は、B君を意識すると同時に、拒絶反応を起こしたのだ。
例えて言うならば、思春期に、女子が芽生える異性への認識が変わり、突然父親が汚いと思うような心境だったのである。
親から、異性とお付き合いする等、言語道断であった。言われるまでもなくそう言う家庭環境で育った私である。
咄嗟に、「好きな人がいる」と私は、断り文句として、思い付いた嘘が口から出ていた。
好きな人等、到底居るはずもなかった。
しかし、16歳の私には、そう応えるのが精一杯だった。
それまで、全く意識していなかったB君。告白されるまでは、冗談を言って笑っては、ふざけてお喋りする仲だった。友達とまでもいかなかったけれど、席が近いせいもあり、よく話はしていた。
その噂は、何故か、中学3年生に上がってから、クラス中に広まっていた。
私に、好奇の目でほくそ笑みながら近付いて来た同級生の女子に、「B君、貴女のことをね、中学1年生の頃から可愛いと思っていたんだって!」と言われたり、又からかわれたりしていた。
私は、繊細だったので、とても傷ついた。
B君もさぞかし気にして落ち込んでいるのではないかと、距離を置きつつも気にしてチラチラ見ていたが、男友達と笑顔で、将棋や、囲碁をしている顔からは微塵も気にしていない風に見えた。
そうして、高校進学と共に、B君は進学校に進む為、私の住んでいる街から去って行った。
お付き合いを断った罪悪感と、初めての恋と言う得たいの知れない物に触れた私の心は中学生以降もずっと心の中で複雑に渦巻いていたのである。
そうして、年月はあっという間に過ぎ、私は結婚、出産、を経験していた。
人生で最大な喜びを噛み締めながら無我夢中で走り続けていたのだ。
そう、B君のこと等、すっかり記憶から消え去っていたと思っていたのだ。
しかし、34歳で当時、結婚していた男(元旦那)に、長い間隠れて付き合っていた女が居ると発覚したことがきっかけで、私の幸せだった家族の崩壊と、悲しみと憎しみが一気に襲いかかり、一転して私は地獄に突き落とされることとなる。
身動きが取れない中、自殺未遂の繰り返しの日々が待っていた。本気で死のうとしていたので、リスカはかすり傷ではなく、血液がぶっ飛ぶような凄まじい深さまで、切り刻んでいた。
又薬は、50錠~100錠の精神薬を一気に流し込んでいたり、紐をドアノブや、カーテンレールや、引っ掛けられる所に引っ掛け、首を吊って死のうとした。
しかし、幸いにも、紐が切れたり、苦しいのを我慢出来ず止めたり、看護師に助けられたり、手首は止血され、何度も縫い、ODは2~3度、命の危険にまで及んだが、誰かが偶然にも助けてくれたのだった。幸いにも生かされた私だった。
うつ病発症後、約10年くらいは、希死念慮が強く出ていた。
地獄の血の海にいたような壮絶な年月だった。
生きていることが奇跡であると共に、生きていて良かったと痛感している。
今では染々、迷惑をかけた方々に感謝の思いで、言葉にならないほどである。
10年が経った頃、誰かが付き添えば、動けるようになり、入院仲間と少し付き合えるようになったある日、一通のメールが私に届いた。
女子の同級生だった。
同級生同士の集まり等が、盛んになった頃だったと記憶している。
話は、同級生の近況の話から、B君の話になった。
私は、正直ボロボロの心身の状態だったが、以前、私が取ったB君への態度の罪悪感から、その同級生からB君のメールアドレスを聞いた。
懐かしさと、申し訳なさとが入り交じった心情ではあったが、あの頃の情景が蘇り、メールで話をしたかったのである。
早速、私は携帯を持ってB君のメールアドレスを登録した。そして、直ぐ短いメールを送った。
内容は、今の私の簡単な近況を、簡潔に伝え、元気でいるのか聞いてみた。
心は、緊張と不安で指先が少し震えたが無事送信ボタンを押せた。実に十数年ぶりのことだった。
待つこと数十分後、ピロピロと言うメールの通知音に飛びついた私。
「B君だ!」……直感でそう思い、内心、心は踊り出していた。
慎重にメール文の一文一句を、ゆっくり心の中で辿っていった。
数秒後…
私は、固まっていた。
恋人でも居て、幸せに暮らしているのだろう、と期待していた私の予想は、見事に外れ、疑問符だらけの内容だった。
私がうつ病になっていることは言ってはいなかった。変に気を遣われるのが嫌だったからである。
B君からの返信は、支離滅裂な内容だった。
聞いても居ないのに、女子大生と遊びまくっていると、自慢話に聞こえるような書き方ではあったが、何処か憂いを秘めているような、、、何かが狂っているB君ではない別人のような感覚を受ける内容だった。
ど、どうしちゃったの?!
あまりの変わりように、携帯を持って、しばらくただずむ程だった。
今考えると、自暴自棄になっていたんだと察することが出来たのに、この時は、ただただ、どうしちゃったんだろう?としか思えなかった私が悔しい。
この数年後、例の女子同級生から、連絡があったのだ。
「B君、亡くなっちゃたんだって」
彼女のメールに、息を飲んだ。
「え、、、どうして?」
同級生 「よく分からないんだけど、自殺しちゃったらしいのよ」
私 「・・・・・・」
同級生は、続けてメールし続けてきた。
「聞いた話なんだけどね、B君、うつ病だったらしいの。それで自殺する2日前、同級生達とお酒を飲んでて、元気がないB君に、皆が、頑張れ、頑張れ、と言っていたらしいの。」
「・・・・・・・」
私は絶句状態。
「それでね、お酒を大量に飲みながら、お薬を沢山飲み過ぎて、血を吐きながら、苦しんで亡くなったみたいなんだ。 でもお母様は自殺とは言っていないんだって。」
私は、頭に鉄のボールを放り投げ、殴られたくらいといっても良い程の大きなショックを受けていたので、早々、メールは切り上げた。
「教えてくれてありがとう」と書き、ピリオドを打った。
私は、携帯をテーブルに置き、しばらく放心状態だった。
どういうこと?
何を言っているの?
うつ病?
血を吐いた?
私は、ぐるぐる言葉だけが頭の中で回っていた。
そうして数分後、やっと理解出来た。
あまりにも悲惨で、しかも、うつ病。
涙が出ないほど、信じたくないショックを受けていた。
その日は、大きな大きな不安の塊と悲しみが、私を包み込んだ。
直ぐ布団に潜り、掛け布団を頭からスッポリかぶって、シクシク声を殺して泣いた。
私と同じ、だったんだ……。
女子大生と遊びまくる話は、彼の精一杯のプライドと、嘆いた叫びだったんだ・・・・。
今だに忘れられない出来事である。
良かれと思い、数人が酔っぱらって、【頑張れ】を連発した結果、B君は自殺したんだと思う。
B君は、唯一、助けを求めに行った同窓会で、留めの釘を何個も打たれたんだと思うと、自分のことのように、胸が痛くて痛くて仕方ない。
そして、あのメールで私がうつ病だと言っていたら、自殺はしていなかったのかも知れない。
今でも、この大きなショックは忘れられない訳で、だからこそ、うつ病であることを隠さず、堂々と居ようと心に決めた。
長い話になったが、私の周りで命を絶った方は、他に身近で二人居る。
生涯、忘れられない出来事である。
そうして、このような最悪な事態を回避し、明るい道が幾つもあるように、伝えていきたい。
少し乱暴な書き方をしたが、しっかり肝に命じて、blogを続けていきたいと思った。
死んだら、おしまい。
消えて楽になることは決してない。
死んでやり直しは、効かない。
だからこそ、一言一言、言葉は大切だと思う。言霊だと言える由縁が凄く身に沁みる。
うつ病だと知らなかったとしても、心情を読み、「何かあったんじゃないのか」「大丈夫か」くらいで、留めて置いて欲しい。
もっと密に人間同士、語り合い、自然に触れ、自分の心を取り戻す社会に一人一人意識して変わって欲しい。
長文、拝読された方へ。
具合が悪くなりませんでしたか?
大丈夫ですか?
頑張れ、はうつ病患者を潰します。
私は、これからは、もっと言霊を大切に受け止めて、発信し続けていきたいと思います。