承認欲求 | うつ病 闘病記

うつ病 闘病記

34歳でうつ病を発症し、壮絶なシングルマザー年月を経て、うつ病を繰り返しています。その中で、うつ病の体験を元にうつから解放される為に何かに気付いたり、生きる糧になればと願っております。

皆さん、こんにちは!

昨日、朝早くから掃除して、部屋をピカピカにしました。綺麗好きということもありますが、来客があったからです。


その来客が帰った私は、ドッと疲れが身体中に瞬く間に広がり、痛みとして身体から危険信号が発せられ、鎮痛剤を飲み、横になり、1時間後、熱は毎度の37.6℃ありました。


お腹が痛かったにも関わらず、又過食。


今朝、胃もたれしながら身体を起こす。


朝食は、お腹を壊していたので、お粥にしたにも関わらず、又過食。


身体は重い。
眠い。



仮眠して起きた時も、嫌な感じが拭えず、思わず、愛が欲しい!と叫びそうになりました。


前回、自己信頼と言うblogを書かせて頂きました。私はblogを書く事に寄って、自分を改めて、冷静に見つめられるから書いています。


自分も気付くし、皆さんも気付きがあれば良いと言う想いで書いています。


いいね、が欲しいとか、思っていなくて、日記のように書いていました。


けれど、「自己信頼」のblogが、沢山の方々に読まれて、メンタル部門でも上位に上がったと文字で連絡が来た時、凄く嬉しかったんです。


私は、いいね、等気にしていたらblog等、書けないと思って、書いていました。だけれど、いいね、をしてくださった方々の意図は何であれ、何か感じてくれたのではないか?と嬉しかったのです。


ありがとうございます。


・・・・ここで、気付いたのです。


本当は、自分の存在価値を認められたいのではないのだろうか。


承認欲求が人一倍強いのではないのだろうか。



今まで、自分を認めて!自分を誉めて!自分は、こんなに頑張ってるんだよ!とFacebookで、訴えている方が多々いるのを目にしていて、深層心理では、誰かに愛して、認めて欲しいのが強い方々ではないのか、と思いました。


私の仲の良い同世代の人達は、Facebook等、公のSNSは、ほとんどやられていません。アナログ世代ですし、面倒臭い、やる時間がない、プライベートが充実している、等の様々な理由があると思うのですが、1番思うのが、自分を1番大切にしていて、愛に溢れているの人達が多い、、、、。



誰でも、承認欲求はあると思いますが、周りの範囲で十分満足しているので、ワザワザやる必要がない訳ですね。


自分を信頼する。
自分を愛する。
自分を大切にする。
生きている事に感謝する。


出来ているでしょうか?


自己信頼を書いたblogにも、心を失っている人達が多い、と言ったように、日本は、高度経済成長と共に、モノがどんどん生産され、お金にも最低でも生きていける安全に安心して暮らせる国になりました。


又整理収納アドバイザーの勉強に関連していますが、モノが豊かになるに連れ、それが当たり前になり、生産者の意図、作戦、の誘惑に、心が波打っている時に、価値の順番が逆になって来ます。


心が1番大切なのに、心を利用する生産者の思うがままに流され、一時的、又は一瞬、モノを得る事で幸福度が上がります。



本当に幸せに生きている人は、モノに欲がありませんし、自分を認めて貰いたいが為に、ブランドモノを着飾って大きく見せていません。


質の良いモノを大事にずっと使っていて、余分なモノは買わない心の筋肉がついています。


人間は、誰しも自分の存在価値を認められたい欲求は少なからず持っていて、それがいけない、ということではなく、行き過ぎた承認欲求のことを指しているのです。


モノがない時代は、必死で働き、動いていたと思います。毎日、一杯の白米を食べられることが、如何に感謝していたことか、わかりません。


当然、便利な家電製品もなければ、携帯もありません。TVがない時代も私の母親は体験しています。


その頃の人間としての在り方は、どうだったでしょう?



電話が無いから、遠くても会いに行くか、手紙を書いて、どうにかコミュニケーションを取ろうとしていました。


私が20歳前半時期でも、携帯がないので、待ち合わせをするにも、密接に友人と話し込んでいたと思います。正直、今思うと、大変でした。


時間も今の数十倍、何に対しても奪われていたかのように思いますが、その奪われると思うであろう時間は、人と人との交流の時間でした。



当時、寂しい想いもしましたが、今現代程、承認欲求と言う言葉も出なかったですし、友人に会えただけで、大喜びしていたと思います。


無事で会えた。
顔が見えた。
声が聞こえた。


これだけで、幸せを噛み締めていました。


今は、一人きりでも、誰とでも繋がる時代ですが、人間関係の中身は、お世辞ばかり、名ばかり、で、何と希薄になったのでしょう・・・


モノが増え、モノが成長しているのに、人は、それが当たり前で、日常化され、感動も薄れ、どんどんモノに支配されて行き、
自分は何?自分の存在する意味はないんじゃない?と思い、どう生きて良いか分からなくなり、レールの上をひたすら歩いて、走って、そして…


ある日、突然、


自分が居ないことに気付く。


私は、今、それを二度も体感して、再度考えさせられています。


周り口説く、書きましたが、自分の思う、願うように生きていいのです。


自分の心を取り戻し、やっと外の世界にも光が見えて来るのだと思います。


1度目のうつ病の寛解の理由は、「身体と言葉は繋がっている」事に気付き、
落ち込んでいても、発する言葉をブツブツポジティブな、美しい言葉に変えたのが、うつ病が寛解したキッカケでした。


まずは、感情に振り回されないこと。それには言葉、行動、を少し変えてみる。



違う事を意識的に、変えてみると現実が違うベクトルに動き始めます。


そして、モノに支配されないこと。


一度、モノを最低限度、生活出来るモノまで減らして行きましょう…


私は、うつ病発病1度目では、言葉はダイレクトに身体に、心に響き、行動を変える事で、治りました。(勿論、これだけで治った訳ではありません)



今回は、モノの豊かさ、モノを持つことで、人は安心する。インターネットで、人との繋がりは多くなりますが、中身は希薄になっていること。



後、一つ、痛切に想うのが、


感謝することが分からない…



今の日常が当たり前になっているのでしょうね。


どうして心の病気になったり、間違った方向に行って、人生を狂わしてしまっている人がいたら、病気を治す以前に、シンプルに、自分の根元にあるマグマとなる核が、何なのか?


解きほどいてみましょう……


自分を縛りつけている正体の根元は、何なのか、今一度、私も皆さんも考えて行って欲しいですね。



笑顔の日が日常的に、素直に無意識に出てくる日を願っています。




明るい道を切り開いて行きましょう地球乙女のトキメキおねがい