うつ病再発 そして 仕事休職 | うつ病 闘病記

うつ病 闘病記

34歳でうつ病を発症し、壮絶なシングルマザー年月を経て、うつ病を繰り返しています。その中で、うつ病の体験を元にうつから解放される為に何かに気付いたり、生きる糧になればと願っております。

今日は、曇り勝ちな晴れのお天気だった千葉県。




4月半ば、千葉県に四国から移住してきた。




7月。
暑い、と感じる余裕さえなく、仕事に必死だった。
人間を信じ抜いた後…、かなり刺激的な日々だったはずだった。

人に対して、思い遣りの気持ちの余裕すらなく、何かに、救いばかりを求め続けていたような気がするこの時期。






関東に移住する前は、不安と希望だけだった。不安は良い不安だった。







人のせいにするのは、簡単。
でも、決定したのは自分。(精神科医が認知)(うつ病寛解)






全て、どうするか、どのようなタイミングで動くのか?他者の意見も含めて決めるのは、私。






千葉で、フルタイムで仕事を始める前から、もう体調に異変は起きていた。

今、思うと、うつ病が寛解したこともあり、あれもこれも、手を出しすぎていたことが原因だった。




引っ越し数日後、2度の高熱。
インフルエンザ発症。
少しづつ体調が悪くなっていくことに比例して、私は無理して笑顔で元気に出勤していた。自分に負けるのが怖かった。






一睡も出来ない日が2日間続いた翌日。
経営者に注意された。

『○○(私の名前)さん辞めたいんでしょ❗本当は辞めたいんだよね❗』と、爆発寸前の経営者が、患者が多数居る前で、声を荒げていた。




ポカンと唖然としている私に、間一髪、『辞めたいのね❗』と言われ、ハッと我に返った。





後から聞いた話だが、無表情で、淡々とゆっくりと検査をしていたようだ。
自分では、【一睡も出来ずの二日目】で集中力が途切れないように必死だった。








叱られたその日を境に、余計に、自分に力を込めるようになった。只でさえ、力が入りっぱなしで、交感神経バリバリ全開だった私は、さらにスピードを加え、素の自分を脱ぎ捨て、満面の笑顔で、誰に対しても、同じように接していた。






51歳で、当てもなく関東に移住し、不器用ながらも、仕事に食らいついていた私を、他のスタッフからすると奇妙に移ったのではないかと思う。






経営者の指示は素直に受けいた。全て応じていた。感謝すらした。あるスタッフの声にも応じていた。このスタッフのご厚意により、私は就職出来たのだと、感謝していたのだ。






いつも頭は、仕事の事ばかりを考えていた。






元々基本から、覚えていくスタイルの私には、かなり厳しい内容だった。
しかも51歳となると、早口なベテラン師に教わって、メモして、家で整理して勉強しても、なかなか頭に入らない。
日にちさえ忘れてしまう始末。手のひらに毎日、日付を書いていた。(睡眠薬の副作用による健忘症の為、常に頭がボーッとしていた。)





仕事は、体力的には楽な方だったが、精神的な部分、特に、脳が上手く働いてくれなかった。
教わる人は特定されていて、眼鏡専門歴40年のお方だったので、ど素人で、強い睡眠薬の副作用で集中力が欠如している私に、チクチク嫌みな言動を取られてしまうこと数回あったが、誰にも言わなかった。(その方も大変だっただろうとお察し致します。)





仕事が出来ることで言われなくなるからと、益々、私の身体の神経細胞は、棘のように、幾つも付き出し、グングン伸び、終いには、針に変わってしまった。






最初は、経営者と紹介されたスタッフのご好意で、色々夜遅くまで、お付き合いをし、帰宅が早くて22時。遅くて真夜中だったことも多かった。(雑談多々)





どんどん食欲不振に陥って行き、手作り弁当から、手作りお握り一つ、そうして、栄養ドリンク剤1本、1日にたったこれだけが私の主食に変わって行った。






私は、新人だから、特に皆に見られているよ、と紹介されたスタッフの一言で、益々火を噴いた。
例えて言うならば、毎日40℃の熱で、ずっとマラソンしている状態。





そのような状態で、足を止めないと、死ぬに決まっている。





環境の変化、人間関係、仕事、全てが新しく、凄く大きいものなのに…。





日を追う事に、ドンドン身体が重くなっていき、朝起き上がれなくなりつつあった、、、。
周りのスタッフから、「もっと食べなよ」、と言われて、無理に貰った食べ物を口に押し込んでいた。
今考えると食べられない状態だから、おかしい、異常、と気付く人は自分を含め、誰も考えてなかっただろう。





それでも改善されず、前持って休みを増やして貰った。
良いとされるプラセンタをほぼ毎日千円出して打ち続けた。




お金が尽きそうなギリギリで、プラセンタは辞めた。
一向に回復しないからだ。





良い意味では、アットホームだが、勤務時間の細かい説明もない。福利厚生の説明もない。質問しても、途中でバタバタと何処かに行く。私の紹介も挨拶の場もない。経営者自信が落ち着いていない。穏やかではない。金欲が強い。(見返りを求める)
正直、全てに置いて、スタッフに聞きながらやっていた事には疑問を感じていた。





経営者が、いつもピリピリしているムードを出しているのが、私の心臓まで突き破っていった。『あれしなさい、した方が絶対いいよ』『適当にやればいいんだよ』『いや‼全力でやってもらわなくちゃダメでしょ❗』日によって、違う言葉を発する経営者に困惑しながらも、抵抗出来ない自分が居た。





私を紹介したスタッフが、経営者に従った方がいい、と細かく言われ続けていた。





私は、人が見ていない所でも、自分の力は抜かなかった。それが私だから。それが仕事だから。




ある日の経営者。いつものように忙しくしながら、
『○○さんのせいで、私がうつ病になりそうだわ!』と大声で爆笑した。





ご迷惑かけていることは十分理解していた、、、。本当に申し訳ないと心から思っていた。




けれど、職場の医師の優しい言葉かけに、涙してると、「ふふふ」と笑う経営者の顔と目が合った。この不気味な笑いで、私は一瞬にして地獄に突き落とされる。

この時、経営者が真剣に改造されたロボット人間に思えた。


未熟な経営者だった。




そんな日々と格闘しながら、ある休日

自宅マンションを出ようとした私の顔は歪み、体重は千葉に来て4キロ落ちている、痩せこけた身体を丸めて、外に出た。(38㎏)




直射日光が厭に眩しく、顔をあげられない状態で、トボトボ暑いコンクリートを歩く私。



気づけば、駅……





涙が勝手に溢れながら、駅の改札口をフラッと出た。





『そう言えば、○○○駅が自殺多いな』




そう考えながら、虚ろな目で足を進めていた。誰に言ったとしても理解はしてくれない。




人間は、共通するものが多いほど、喜び、引き寄せる質だとすれば、私は、確実、線路に引き寄せられていた。




ドン❗




鈍い音が身体の中で谺した。





誰か通行人の肩に、私の身体がぶつかったのだった。頭をハンマーで叩かれた程の衝撃だった。




何処に行くつもりだったのだろう……
ひょいと踵を返すように、改札口を戻り出た。




周りは見えていない。見えない。見たくない。




ザワザワする通行人の声と熱気だけは、感じられた。





次の瞬間、、、目前の風景が変わっていた。ワープしたかのように全然違う景色が、目の前に広がっていた。



心の底から安堵した私に変わっていた。




故郷の田舎の家の近くに立っていた。




一瞬にして、心が喜びに満ち溢れ、顔が微笑みに満ちていた。



「あぁ、良かった、、、あの公園で休もう」と歩き出した瞬間!!

又千葉県のとある駅前の光景に戻ったのだった。喜びも束の間だった。


ザワザワ…ガタンゴトン、ヒューー。




周りを見回す私。




視界に入ってきた光景。




額の汗をハンカチで拭う人々の雑踏の中だった。呆然と立ち尽くし、今にも、泣き崩れそうになった…。
私は、即座に下を向き、小走りに精神科に駆け込んだ。





もう限界だった。




これ以上、顔さえ上げたくない状態だった。涙を溜めながら、精神科まで顔を上げる事なく、扉を開き診察室に行った。





医師に一言、『限界です』とだけ伝えた。





それから1週間たっただろうか、休職して……




自分で気付いてから、即、区役所に2回足を運んだ。




自立支援医療の更新
生活保護申請
介護サービスの申請(以前、トイレしか
いけない年月があった為)
障害者年金




色々、手は尽くした。





貯金は底を尽きていた。
四国に居る家族には、金銭的支援を一切受けないと誓って関東に来たので、正直、限界に来ていた。


しかし、先々を考える能力を持てたのは、自分の過去の体験と、ある人物のお陰で何とか家族に迷惑をかけずに済んだが、カードローンが限度額まで到達していた。(と言っても人が考えているより少額である。)





過去の体験がなければ、動けなかったであろう。(色々な方々に助けられていたのである。)
私は身寄りのない、ただの行方不明者だっただろう。



過去に私を支えて下さった方々に、感謝してもしきれない。
ありがとう。




周りの少ない私の知人、いざというとき、助けて下さったことの大きさに感謝。
本当に、ありがとう。





そうして思う。

皆、孤独を少なからず抱えている。





笑顔の裏側…等

成功者の過去
笑顔で対応している店員
大きな声で呼び込みしている人
アクビしながら満員電車に乗ってる人
元気そうな学生
金持ちっぽいオバサン
障害者
つまらなさそうにガムを咬みながら歩いてる少年。



沢山の人達の歩く姿が奴隷にも見えたし、喜怒哀楽が、よく見えるようになった事は嬉しい。




皆、【帰る居場所】はあるのだろうか。
休息出来る、心を開ける居場所はあるのだろうか、と・・・・。





綺麗事を言っているのではなく、より良く自分を変えて行く為には、体感した後の自分の真実の眼が大切だと思っています。




時には、深く

時には、シンプルに

時には、適当に

時には、自分を出せる空間を作るにはどうすれば、良いか。





今は、休んで充電期間と割りきる。











時間の余裕は、心の余裕・・・・・・・・・






そして…体感から生まれる心身からの無意識に出る…微笑み…優しさ…






大切です。





季節を感じるより自分で自分に鞭を打っていた日々。




感覚は、大丈夫か。



何かに縛られていないか。





ゆっくり呼吸しやすい居場所、見つけよう。



行き詰まる前に休息。
思うより、先に休息。


仕事は、休職する。






休息をし、エネルギーを得る大切さを新たに実感。心に栄養を与える余裕時間。





そう言う環境
そう言う仲間




の一人で居よう。






先ずは、気付く。