徳を積む貪瞋痴 (煩悩と無明)
徳を積む貪瞋痴(煩悩と無明)煩悩私たちを苦しめる「煩(わずら)わし」「悩ませる」心を「煩悩」といいます。前回のブログでは、108つの煩悩のなかで、心の三毒と言われている貪瞋痴を説明しました。煩悩の親玉みたいな貪瞋痴ですが、分かっていてもなかなか消せないのが煩悩ではないでしょうか!108つの煩悩とは何かですが?三毒と言われる貧、瞋、痴それに三根と言われる慢、疑、見合わせて六大煩悩といいます。その六大煩悩に(眼・耳・鼻・舌・身・意)の六根を掛け合わせます。五感に意識を加えた、六感が六根です。意識に影響を与える情報源のほとんどが、目や耳や思考からですから頷けます。それにより、6×6=36、つまり36の煩悩が生じる事になります。生じた36に現在、過去、未来の3を掛けます。これも過去からの執着や未来への不安など、想いにも現在、過去、未来の3つがあり、36×3=108の煩悩となります。その108つの煩悩と無明について、考えていきたいと思います。煩悩と無明は二つ心の難病とされ、大変厄介な心の病と説明されます。難病というと、治らない病です。その、治らない難病が煩悩なのです。お釈迦様は、その難病の煩悩を治そうと、あらゆる修行で望んだのですが、叶わなかったそうです。煩悩は枝葉のようなもので、切っても切っても、結果としての煩悩が実って無くなりません。それに対して、治る難病が無明なのです。無明とは、真理を知らず、迷いや煩悩に支配された心の状態をいいます。前回お伝えした煩悩の三毒、貪瞋痴の中の『痴』が根本的な煩悩であり、別名「無明」と言いこの『痴』を治すことだと知りました。『痴』は真理道理に暗い無知、愚かさです。特にこの痴が煩悩の根本であり、ここから貪も瞋も、その他の煩悩も起こってくると考えます。三根と言われる慢、疑、見を簡単に見てみましょう。慢(まん)は慢心(まんしん)、他人と比べて自分が思い上がる心をいい、いい気になって自慢したり得意になったり、天狗になることをいいます。疑(ぎ)は疑念(ぎねん)、真理や人、物や出来事に対し、本当かどうかと人を疑ってしまう心をいいます。そして見(けん)は悪見(あっけん)、悪見は物事の本質を見ようとせず、自分の都合のみで判断し、正しく物事を見る事が出来ない心をいいます。仏教では、この世界は空とみます。つまり、この世界を幻であると考えていますので、この身体は幻であるため存在しないとみます。これを、仏教では有身見 (うしんけん)と言いい、量子力学でも同じ見解をいいます。しかし、この存在しない身体を存在するという、間違った考え、見方をはじめ、偏った情報や考え方に、誤った教えを悟りの道と信じ、その教えに執着する見解をいいます。この無明『痴』を悟ることにより、人間の心身を悩ませる迷いの心、煩悩(思い、悩み、苦しみ)が浄化されていくのです。精進!精進!下記の動画も併せてご覧ください。- YouTubeYouTube でお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be