徳を積む

五常の徳

・義・礼・智・信)

1.  仁

徳を積んで氣の

エネルギーを高める

 

私が何故、

徳を学んでいるのかと

申しますと、

氣功やエネルギー療法の際、

もっと質の良いエネルギー

をクライアントに

届けたいからです。

 

これは、

私の課題なのですが

施術者は正(良い)の

エネルギーも負(悪い)の

エネルギーも受けてしまい、

そのため氣功師やエネルギー

療法師は短命

といわれています。

 

癌に特化して治そうと

すれば、

自分も癌のリスクが、

難病に特化していれば、

自分も難病になる危険性、

精神が病んでいれば

施術者も同等のエネルギー

を受けるのを覚悟

しなければなりません。

 

最近怪我が多くなってきた、

不運に見舞われるも

同じエネルギーなのです。

 

エネルギー療法と

氣功の違いは何でしょうか?

 

それは、

エネルギーの質です。

エネルギーには

良いエネルギーと

悪いエネルギーが有ります。

 

良いエネルギーを

正氣といい、

悪いエネルギーを

負気(邪気)といいます。

 

皆さんは氣功師や

エネルギー療法師から

どちらのエネルギー

を受けたいですか?

 

誰だって質の良い

エネルギーに

決まっていますよね。

 

殆どの氣功師や

エネルギー療法師

は疲れています。

それは沢山のクライアント

から負のエネルギー

をもらっているからです。

 

クライアントは

負のエネルギーで体調を

崩しているのですが、

施術者のエネルギーが

弱くなると、クライアントの

負のエネルギーが施術者に

溜まり続けてしまいます。

そして、

もう一つ怖いのが、

その負のエネルギーは

次のクライアントに

循環してしまうのです。

 

負気(邪気)の

たらい回しです。

 

でも、

クライアントは施術者を

選ぶことが難しいですよね。

 

鍛錬されている、質の良い

エネルギー療法師や

氣功師は徳を積んでいます。

 

私も毎日2時間ほど、

氣の鍛錬をやって

エネルギーを循環

させています。

 

質の良い施術者は

受けていても光に包まれて

いる心地よさがあります。

 

やればやるほど自分の

氣が充満して元氣

になっていく方法、

それが徳の学びから得た

エネルギーなのです。

前置きが長くなりました。

 

それでは五常の徳の

お話しに入って

いきたいと思います。

 

五常の徳とは

2000年以上前に

孔子と孟子が解いた、

自己の最善を他者に

尽くしきる学びです。

 

質の良いエネルギー療法師、

氣功師とは、一言でいうと、

そこに徳の心が有るか

無いかです。

 

生まれつき五常の徳を

持っている方がいます。

 

徳を積んでいる

松下幸之助さんのように、

心で人を動かしている人が

人徳者です。

 

今の戦争のように、

権力や支配力で人を

動かすのとは真逆な

徳の有り方なのです。

 

私の五常の徳の学びは、

まだまだ程遠く

修行中の身にあります。

 

五常の徳

(仁・義・礼・智・信)

のなかで一番尊いのが

仁です。

 

仁という字の成り立ちは、

人が向かい合って

座布団に座って、

話し合っている姿を

横から見たところが仁

(人偏に座布団2つ)

の成り立ちです。

 

仁の究極の学びは

無償の愛です。

その心は一元の光の

世界です。

 

仁は二元のこの世の世界

ですので、表裏の

2つの感情の中で学んで

いかなければなりません。

 

常に、愛には情が二元と

なって存在しています。

 

愛情には、

愛に情が絡むので、

愛と憎しみの二元が

存在します。

 

愛情は愛が急変し憎しみに

転化することになり、

愛するが故に憎悪に

落ちるのが人間です。

 

病の我が子を看病する

母親の慈悲愛(無償の愛)

の姿こそが、正しく

仁なのです。

我が子の身代わりに

なっても助けたい親心が、

無償の愛(一元の光)です。

 

しかし万人にその意識

で接するのは、神業であり

我々凡人にはやはり二元

の学びの世界となります。

 

仁も度を超すと弱くなります。

伊達政宗の中庸の徳に

『仁に過ぐれば、弱くなる』

と言いう言葉があります。

 

優しさや思いやりが

過ぎると、かえって

弱くなってしまう

ということです。

 

私は氣功の時に

聖観自在菩薩を

俯瞰しています。

 

それは、

表裏(愛と憎しみ)の

二元の私の心にせめて

氣功の時ぐらいは一元の光

(無償の愛)を

届けたいからです。

私は、

鎌倉の英勝寺にある

聖観自在菩薩をイメージ

して俯瞰しています。

 

聖観自在菩薩の真言は

「オム・マニ・ペメ・フム」

(Om・Mani・Padme・Hum)

です。

その中のマニが、

まさにこの五常の徳

にある仁の心なのです。

 

マニ(Mani)は

宝石を意味しています。

 

慈悲の他に秩序や他者への

思いやりなど悟りを

開くための真言で、

宝石が貧困をなくすための、

利他への無償の愛を

表現したものです。

マニの音のエネルギーに

光の意識をクライアントに

届ける行為が無償の

愛のエネルギーとして

癒やされていくのです。

 

下記の動画も併せて

ご覧ください。