受信力 | マイ・ビューティーライフ! Let’s 素適に暮らしすと!

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私からのテーマは、50歳過ぎたら人生と暮らしを見直してほしい。自分らしくいられる残りの時間は意外に少ないかも。だから、提案したい。今日からあなたは日々を過ごしながら、瞬間的な人生の気づきを大切にできる、「素・適に暮らしすと」であるように!

2024-06-18

 う~ん、昨日ほど呻った日なかったかも・・。

よく霊能力っていうけれど、受信者はそれぞれいろいろなタイプのものを受信していて、一概に一律ではない。たとえば、亡くなった人を受信する人、星座からのメッセージを受信する人、神を名乗る人から受信する人とか、全部できますっていう人にはあったことないですね。私はこれを、ラジオ局のチューニングのように、AMなら霊系、FMなら宇宙系、短波なら神系とかに例えると自分の周波数がよくわかるかもしれません。

 しかし、今回のことに関していえば・・。

 

 今年に入り、何故か母のことをよく思い出す、と以前のブログでも書いたと思うけれど、先月は母手作りの最後の服を着てみたり、好きなものをお供えしたりしたのだけれど、何か気になり行けるうちにと思い立ち母の実家を訪れてみることにしました。

 母は前橋出身。最後に行ったのが祖母が亡くなったときのお葬式。高校生の時でした。小学生までは夏休みの旅に訪れたりしていたのだけれど、母が亡くなる時(自分の好きだった草津温泉で倒れました)、その魂が抜け出る死のプロセスや故人がやり残した想い、家族に伝えたいことなどのドラマが一気に押し寄せ、同時に私は人生の一大事中だったため、一気に5キロほど痩せるという事態に。

 それでも私は一人っ子だったので、父と共に葬儀やもろもろの後始末等を済ませた後、ようやく自分の人生をまとめる時間となりました。そこで行動に出たのが、イエデ です。わずか2泊三日でしたが、友人のいる高崎を訪ね、一泊させてもらった後伊香保に泊まり、榛名湖に行ったり、水沢うどんを食べたり、グズグズと時間を稼いでいたのね。でも仕事とかもあるため、高速に乗らず国道を走っていたら、突然「そこ右!」「次左!」と感じてハンドルを切り、赤信号で止まっていると見たことのある景色が。母の実家の前に止まっていました。もちろん車で行ったことはなく、最多で行っていたのが小学生だったので道を知るすべもなく・・。連れてこられちゃった・・。

 でも、母の臨終時に対して、弟である叔父さんと病院で大ゲンカして、それから絶縁になったため家には入れませんでした。

今から36年前のこと。当時はまだ、アーリオーンも、弁財天も神系も知らず、ただ母の死の周辺からやたら霊的な感覚が芽生えてきたのです。直観力というか。母が成仏できていないのを感じ、知り合いの霊能者さんに供養を頼みました。3か月たってようやく成仏したという知らせの日、私は初めてのUFOを東京の空に観ました。

 

 ここは母の実家のすぐ近くの広瀬川と弁天商店街。

 この橋を覚えていて、今回は前橋から歩いて行ったのですが、昔のままの姿に驚きました。

 高崎ダルマがしっかりあります。

 

 お昼時だったので、橋のたもとの見覚えのあるレストラン「ポンチ」でランチ。そこでのメニューを眺めていると、「あ!ここで初めてハヤシライスなるものを食べた!」と記憶が。なんと私は昨日、トマトがあまりに完熟になっていたので、セロリもあったので超久々にハヤシライスを作って食べていたのです!ここへは、小学生のときよく連れてきてもらっていた。

 母の実家だったところや、家の前の呉服屋さんはなくなっていて、もう誰もいないのだろうな、と思っていたら、ポンチの70代後半であろうママさんが教えてくれて、従兄がどうもそこに居るらしい情報を得て、尋ねてみるといないので手紙を書いてポストに残しました。

 

 広瀬川沿いにある萩原朔太郎記念館。

 

 今回ナビがあるので、ナビを頼りに歩いていると「萩原朔太郎記念館」なるものがすぐ近くにあり、立ち寄りました。母の実家から1分のところ。

 だってね、私はBTLの黄色い館時代、サロンを始めるにあたってあまりに最初から大きくやりすぎてしまったので、スタッフの確保が大変でした。しかも、アーユルヴェーダという未知の領域の、商品販売、接客、レストランでの料理、サロンでのマッサージ、通販、etc  やることがあまりに多すぎて大変だった時に、スタッフのほとんどは「マッサージの技術を覚えたい」人たちばかりだったので、なかなか営業的にむずかしかったのだけれど、もうイチかバチかで応募スタッフに自分と同じ17日土曜日生まれの子がいたので採用すると、その子が本当によくやってくれて、黄色い館から移動してもいろいろ手伝ってくれていたのです。なんでここまでしてくれるのか、、と思うほど。

 ある時、この子は前世で娘だったのでは?と直観するとそれが合点するような出来事がどんどん起きて、私は確信しました。

その子が結婚し、第一子を出産したとき、パパが好きな詩人の名前をとして付けられたのが「朔太郎」。ちょうど、新月の日で、その朔太郎は萩原朔太郎からとったのだと。その子も1月7日生まれの、17数秘なのです。カバラの神秘数。

 萩原朔太郎記念館は、2017年にできたそうで、だから今まで知らなかったのですが今回この偶然にまた呻りました。しかも、訪れた日は6月17日だ!すごいよこれ!

 

 

 母の実家は住吉町というところにあり、住吉は住吉三神 をよくイメージされますが、宗像の3女神と並んで、オリオンの三ツ星から来たと言われます。そして弁天商店街には大蓮寺があり、そこに弁財天がいます。弁財天=サラスバティは、インドからやってきた芸術の女神。このサラスバティとシヴァ神は、アーリオーンのエネルギーによるものです。私はサラスバティに惹かれ、日本の5大弁財天をすべて制覇し、その他の弁財天もかなり参っています。最後の宮城県金華山神社は4度訪れ最後の時に、かなり啓示をもらっていたのですが・・。その後残念ながら3.11が起きてしまいました。金華山沖は震源地でした。

 

 母に連れてこられた36年前にはしらなかったけれど、その後アロマセラピー、アーリオーン、そしてアーユルヴェーダに導かれ、神のことや天使たちの事、あらゆる霊系、スピリチュアルなこと、神秘主義、錬金術に至るまで研究に明け暮れ、色々なことが理解されてきましたが、今回新たに観じたのは、「全てのことは最初から揃っている。どこで気付き、どこまで謎解きに迫り、生まれる意味と家族や出会う人の関りの深さや何を経験して学ぶのか・・」ということをしっかり伝えよ、ということでした。

 多くの人は、スピリチュアルの名のもとに、著名な人や存在しか信じないことが多いけれど、もっと自分の受信力を高めれば、導かれていることがたくさんある、ということがわかるでしょう。

 

 今回母が念を送ってきたのは、まだ叔母さんが生存しており(多分90歳近く)かなり弱っているらしく、最後の挨拶をせよということなんだと思います。私が、あの時失礼をしてしまい縁を断ってしまったので、謝れと・・。それと同時に、多分私の守護はもう終わりです、という挨拶もあるようです。母もようやく次のステージに向かうことが出来るのでしょう。それは、私の受信力も増してきて、色々感知できるようになったからでしょう。私も、次のステージへの準備をしなくちゃ、です。