「私はなんの為に生きているんだろう(涙)」と思っている人ほど、実は人や地球の為になれるんです!!! -2ページ目

「私はなんの為に生きているんだろう(涙)」と思っている人ほど、実は人や地球の為になれるんです!!!

❤なにもできない役立たずな私が、意外と人のお役に立てるようになった❤ダメダメ人間でも人や地球のお役に立ちたいと思っている人の為のブログです❤

アクセス分析画面というのを見ていたら、なぜか、昨日のアクセスは、この塩の記事がナンバーワンでした。

なんでだろう〜?

この記事を書いたのが、2014年4月。

今になって、改めて思い返すに、世の中は嘘だらけ。

嘘に嘘を塗り固められた世界で生きている私たちは、毎日充分に気をつけて、耳をすまし、心を研ぎ澄まして生きていかなくてはならないですね。

       

 

2014年以降、さまざまな癌患者を救ってきました。

でも、一般で流布されている情報を信じて疑わない人は、そのまま普通に病院で治療を受けて、抗癌剤や手術で死んでゆきました。

 

一般に、「癌で死んだ。」という人は、よくよくどんな過程を経て亡くなっていったかを聞くと、「癌で死んだ」のではなく、「癌の治療で死んだ。」が正解なんです。

 

でも、医者の言うことに背くことが怖いそうで、きちんと医者のいう通りに治療を受けて死んでゆくのです。

 

おかしくないですか?

 

医者って何者?!

 

それに、

自分の命ですよ。

 

もっと、自分の頭で考えないと、殺されていくんです。

 

 

今の流行り病にしても、調子が悪いから念のため病院に行ったら、肺炎と言われて、普通にお薬もらって家で寝ていたら、次の日、保健所から連絡が来て、病院の検査では陰性だったけど、保健所の検査結果は陽性だったから直ぐに入院してくれと言われ、指定の病院へ行くと、某国のT大統領と同じお薬を投与され、その瞬間、みるみる容体が悪化し、死の覚悟までされたそうです。

 

その死の恐怖の中で、虚ろな意識を鼓舞して私にメッセージをくださったので、すぐさま、この2014年の記事でご紹介した水と塩を送りました。

 

常温だと酸性に近いため、白湯にして飲んだ方がいいので、ガラスの電気ケトルも一緒に送りました。

 

とにかく、この成分ゼロの水に、耳掻き一杯の粗塩を入れた白湯をひたすら飲むように告げると、実践しているうちに、どんどんよくなり、看護師さんも医師もほっとした様子だったと。

 

 

おい!こら!専門家が何やっとんじゃーい!!!

 

と、怒り狂いそうでしたが、ま、一命を取りとめることができて、本当によかったです。

 

この度の流行病も、ウィルスで死んでいるんじゃないんですよ。

治療で死んでいるんですよ。

治療薬や抗生物質で善玉菌まで殺すから、免疫がなくなって死んでいるんです。

 

このトリックに気づかなくてはいけません。

 

 

さらに、ある大きい病院の院長夫人とお友達の女性がいるのですが、

その女性のお婆さんが9月に突然亡くなられ、92歳と大往生だったのですが、とってもお元気だったのにと、家族みんな驚いたそうなんです。

そんな話をお友達の院長夫人にしていたら、「もしかして、わ○チ○打った?」と聞かれ、

「うん、打って2週間だったとこで、もうすぐ2回目打つとこだった。」というと、

「あ〜やっぱり。なんか、多いのよ。打って2週間で亡くなる人が。。。」と仰ったのだそうです。

 

打って2週間で亡くなっても、高齢者だと、

 

普通に大往生できてよかった。

介護しなくて済んで、よかった。

 

程度にしか、家族は思わないでしょうね。

私は、これはこれで、別に悪いこととは思わないですが、現実はそういうことだと。

 

 

物事をしっかりと観察し、その過程をしっかりと抑えて分析し、

自分の頭で考える。

 

これを一人一人がしないと、どんどん死者が増えます。

 

日本は、死者が少ないというのは、考える力のある人が多いということと思っています。

 

この賢い日本から、世界を守っていかなくては。

 

 



追記。

先ほど、めったにつけないテレビをつけたら、小池都知事が記者会見しておられました。

新型のオミク○ン株に感染した人が見つかったと。

それは、医療関係者で、感染経路がわからないと。


感染経路がわからないと知事が発言しているのに対し、マスコミは、エライ上からな口調で「なぜわからないのですか?」と追及していました。


わからないからわからないと言っているのに対して、なぜって、おめぇが考えろって言いたいわ。


つまり、PCR検査は、無効だとWHOも発表しているし、PCR検査を作った本人は「PCR検査でコ○ナ感染者を判定できない」と、必死で訴え始めたとたんに自殺(?)しちゃってるから、なんやねーんっ!って感じなんですょ。


マスコミなら、自分で調べてから質問してほしい。

それが、マスコミのお仕事です。


お金だけもらって仕事せぬまま、いい加減な情報を流すのは、無責任すぎる。


誇りを持って仕事に励んでいただきたい。




 

久しぶりに、ブログ書こうとブログを開けると、見たことのない記事や、書いた覚えのない文章がたくさんキラキラ

 

あれれ〜目キラキラ

 

っと思いながら、過去記事を読んでいると、こんな記事に遭遇!! ゲラゲラガハハハ〜!!


 

さすが、父だわ。。。。爆笑

 

それにしても、この時のことは、今も忘れられない。

 

裏競馬にハマり、半年で3000万の退職金を使い果たし、母に怒られ、新聞配達を始めた父。

 

もっと良いバイトないの!?と聞くと、田舎なため、60歳も超えた父のような高齢者には、新聞配達か、旅館のお布団敷きのバイト、2つしかないのだとか。

旅館のバイトだと、深夜に雪の中険しい山道を何時間も車で通わなくてはいけないので、とても危険な上に、安定し仕事が入らないそうで、新聞配達の方が毎日働けるからまし。

 

よって、新聞配達を始めたそうなのですが、配達するために、軽自動車を買ってみたり、軽トラを崖から落としてしまって、新しい軽トラを購入したりと、波瀾万丈な新聞配達の日々を送る父。

 

ハッキリ言って、新聞配達したために、かなりのお金がかかっている。

 

父の新聞配達でもらえるお金は、月4万円。ガソリン代が3万円。計7万円相当。とはいえ、軽自動車しか通れない道が多いために、他の新聞配達員は皆、軽自動車で配達しているからと、父は軽自動車を購入。しばらくして、冬になったら、道が氷に埋まったり、手入れが行き届いていない山林の道は、木の枝や竹が雪の重みで、道を阻むので、軽トラに斧やチェーンソー、ノコギリなどを積んで行き、途中途中で、木々を切り倒し、道を整備しながらの新聞配達。。。

 

新聞配達の時間は、夜も明けていない真っ暗な中なので、昼間に行って、切り倒した木や竹のお手入れにも通うという、、、なんとも、割りの合わない新聞配達生活。。。

 

そんな父のことが心配だったので、31日に帰省し、明けて1日(元日)の新聞配達を手伝うことに。

 

実際について行ってみると、事前に父に聞いた話以上に、大変過酷な作業でした。

 

雪も大変ですが、ど田舎なために、新聞を配達する家から次の家までの距離がとても長い上に、あり得ないほど険しい道がいくつもあるのです。

 

普通にアスファルトが敷かれていない私道などもあり、沼の中の水浸しの道を通ってゆく家もあるのです。

沼の水面が半分凍っていたために、水かさが増して、いつもはギリ水浸しにはなっていないそうなのですが、この元旦未明の時間は水浸し(氷浸し)の土の道。

 

「お父さん、軽トラ、スリップするんじゃない!?また車落としたら大変だから、私、降りて、新聞届けてくるよ!」というと、

 

「大丈夫だから!美希の靴が濡れるし、冷たいから、車で行くから!いっつも行ってるんだから!」と。

 

沼の真ん中の水浸しの道は、水面が、道と沼の水部分の高さが一緒なため、深夜2時くらいで真っ暗だし、どうやって行くんだろう?と、怖かったけど、父のいつも通っている勘でなんなりと通り抜け、到着し、新聞を新聞受けに入れて帰ろうとすると、知的障害の背の高い男の子が、ものすごい笑顔で玄関から飛び出してきて、父も喜んで車から降りてきて、「お〜!おめでとう!」と父が言うと、男の子が「明けましておめでとうございます!!わっわっわっ!」っと、喜びを全身で表現していて、中から、おばあさんと、そのお母さんも出てきて、「明けましておねでとうございます!こんな時も大変ですね!いつもありがとうございます!」と、とっても素晴らしい笑顔で挨拶してくれたのでした。

 

お正月の華やぎを感じる、恐怖の沼の家。。。

 

「こんな家もあるんだね。」と、車に乗って、その家を無事離れてから父に言うと、「ほだぁ。あのおばあさんは、小学校の校長先生してだんだど。ほんで、その娘もうんと優秀だったみたいなんだけど、結婚したら、あの知的障害の孫が生まれでや〜。離婚して家に戻ってきたみてぇなんだ。」

 

「へぇ〜。。。」

 

「男手もおらねぇがら、沼もあんなんだし、オラ、気になって、昼間、道の整備にきたりしてたがら、ああやって感謝してくれて、毎朝出迎えてくれるんだ!」

 

「へぇ〜。。。いろんな人生があるんだね〜。」

 

なんて、話しながらも、配達先の一軒一軒が遠いため、移動中の眠気にはほんと、悩まされました。

 

そして、トイレガーン

 

行きたくても、どんなにぶっ飛ばしても、あと30分はセブンイレブンまでかかる。。。とか。

しかも、セブンイレブンまで行くと、遠回りになって、50分は遅れてしまうから、その辺でしろ!

 

と言われて、雪の原野に降ろされ。。。

 

えええ〜〜〜〜!!ここって、田んぼ?畑?空き地?真っ白にキレイに雪化粧しているところにおトイレできないよーーーガーン

しかも、誰も見ていないとは言え、なんの囲いもないところで、

「オラ、見てねぇがら、早くしてこい!」って言われても、

なんか緊張してしまって出るものも引っ込み、排泄するはずの水分は再度血液に吸収する覚悟で再び軽トラに乗り込むのでした〜えーん

 

なんて、過酷なんでしょう。。。。

 

こうなったら、早く終わらせて早く帰宅するしかない!!

 

と言うことで、父が運転に専念し、私が配達に専念することに。

 

いろんな条件の家があり、一律ポストに入れるわけではないので、移動中に、「次の家は、納谷の木の椅子の上」とか、「庭の石の上」とか、「いくつかあるポストの黒い方」とか、「玄関の靴箱の上だけど、おむつがいっぱいで匂いがすごいから気をつけろ」とか、あらゆる指示を受けながらの配達。

 

一軒たりとも、普通の家ってないんだな〜と言うのが、感想でした。

 

最後の最後、かなり険しい山の中の天空のお屋敷みたいなところが、一番まともな家でしたが、同じ一族だけの家が、険しい山の頂上に突然開けた空間に5軒ほど建っていて、そのうちの2軒に新聞を届けるのです。

どの家も、住宅展示場みたいな立派な作りで、庭も駐車場もキレイに整備され、それぞれに犬を飼っていました。

 

不思議な空間でした。

 

とは言え、その日配達した家々の中では、飛び抜けてゴージャスでキレイな新築の家々だったので、最後にこんな家を見れてよかったなと、ポストも普通のポストだし、新聞も普通に入れれて、ほっとして帰宅すると、その最後の家から苦情が来たのでした。

 

苦情内容は、「待てど暮らせど、新聞がこなかった。遅い!!!」と。

 

雪道の中、深夜0時から、父が運転、私は、車が停車したと同時に車から飛び降り、走って新聞を届け、走って戻り、を繰り返し、トイレも我慢して、ようやく仕事を終えたのは、午前8時半。

 

「遅いだとぉ!」

 

そんなに早く新聞欲しけりゃ、自分で取りにこんかい!!!

 

怒り心頭!!!

 

でも、よく考えたら、これってお客さんよりも、新聞の配達会社のミスである。

 

1人の配達員に、こんな40軒も任せて。

 

しかも、この40軒は、都会なら、マンション一軒で行きそうだけど、田舎の40軒は、地図を改めて見ていたら、宮城県の3分の1を網羅して移動していたのでした。。。。

 

 

どーゆーこと!?

 

一晩で、こんなに走ったってこと?

 

しかも、雪道を!?

 

しかも、道なき道もたくさんあったじゃねーかょーーーーーー!!!

 

信じらんない!!!

 

許しがたし!!!

 

・・・ツーか、ゆるさーーーーーん!!!!!!!

 

2人で全力走行で8時間半走りまくっての結果にケチつけるって、許さんーぞぉ〜〜〜〜!!!!

 

 

いつしか、私の心は不動明王のように怒りで燃えたぎってしまったのでした。

 

おめでたいはずの元旦が、怒りが燃え上がるの元旦に。。。

 

そんなこなで迎えた2011年は、予測していたかのように、東日本大震災が起こり(怒り)、私の怒りのせいで起こったのかな?と思うほど、この元旦の怒りは自分でも恐ろしいほどのものでした。。。

 

その後、それまで見えていなかった様々なことが浮き彫りとなり、2年間かけて、あらゆる人の真の姿を否応なしに見せられ、家族とは断絶。他にも、様々な断絶がありました。

 

でも、今年9月、8年ぶりに実家に帰省に、両親と再開し、何事もなかったかのように、昔と同じ家族団欒のひと時を過ごせたことは、良かったかもなと思い、2021年の冬至を前に、感慨に耽ってみました。

 

 

ま、何はともあれ、父は、本当に面白い。

 

こんなに面白い人って、他にいるかな?

 

しかも、前世は、私のお姉ちゃんだったんです。

なぜか、思い出しちゃって。

 

今世は、父として生まれ、それなりに、不慣れなりに、育てて(?)くれました。

 

 

ありがたいことです🙏

 

過去世も含めて、全ての出会いに感謝の年末を迎えることができたこと、とても悦ばしく嬉しくこの上ない幸福に、感謝しか出てきません。

 

皆様も、良い年末をお過ごしください。

 

バレエハート富士山晴れ流れ星

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(今朝の朝焼け)

 

本日11月23日は、新嘗祭です。

日本で稲作が始まって以来、とても大切な祭祀として、古来より、大切に執り行われているものです。

 

一年の五穀豊穣の感謝を神に捧げる儀式です。

ここで言う”神”とは、日本の神社などに祀られている神様、これ即ち、私たちのご先祖様です。

 

日本の神道というのは、先祖崇拝が起源でしたが、仏教が伝来し、最初貴族だけのものだった仏教が国民全体に浸透し始めたとき、いつの間にか、神道と先祖崇拝が切り離され、仏教が先祖供養、神道は神様(自然の中に住む精霊など)信仰と定義がすり替えられていったのでした。

このすり替えの始まりは、遠く聖武天皇の時代まで遡りますが、このことについては、また別の機会にご紹介します。

 

 

今日は、新嘗祭についてお伝えしたいと思います。

 

我が国は古来より、先祖崇拝の神道(※当時は、神道という言葉すらない。仏教と分ける為に生まれてきた言葉。)による”お米中心の統治”でした。

 

新嘗祭は、お米で国を統治をしていたことから、その収穫を神(ご先祖様)に祈り感謝する、大切な儀式だったのです。

 

 

お米は、長期保存が可能なため、その特性を生かして統治体制が出来ていったのでした。

 

農家で収穫されたお米(籾米:籾殻を取り去ってない米)は、全て地元の神社に奉納。

神社では、奉納されたお米を保存。

春がきたら、保存されていた籾米の一部を、苗に育て、農家に分配し、各農家で稲を育てる。

秋になって収穫したら、収穫したお米は全て地元の神社に奉納する。

 

奉納された地元の神社は、その年の収穫の半分を、国(今でいう県くらいの単位の地域。例えば、出雲国、肥後、などなど日本全国がまだ国単位であったころ)の国司に納税する。国司は、納税されたうちの30%を地元の災害や何か起きた時のためにとっておき、残りの20%を中央に送る。全体の20%のお米を中央は納税として受け取り、保存し、災害や何かがあったときに、全国に分配できるよう大切に保存する。

 

そして、収穫から3年が経って、災害などで分配されることなく残った古々米を国民に分け与え、国民は、古々米を食べて生活する。

 

と言う制度になっていたそうです。

 

 

つまり、お米は、今で言う、災害保険的な制度を形成していた。

 

こうして振り返ってみると、当然のことではあるのですが、国や政治って、国民を守るための制度なんですね。

 

現代の政治を見ていると、全く複雑になってしまって、何が何だか読み解くのが大変ですが、昔は至ってシンプルに、国民の生命を守るために、米を保存する機関だったと。

 

 

当時は、ほとんどの国民が農家だったため、お米の収穫は、一年で最も大切な作業で、そして、昔は、お米の発育や収穫が天候にもとても作用されたため、順調に収穫を迎えることがほとんどなくて、毎年毎年、必死でお米を育て、毎日、天に向かって神に祈りながらの農作業だったのです。

 

そうして、迎える収穫の時。

一番最初に収穫した穂を、”初穂”と言い、それを各農家が神社に奉納し、新嘗祭で、地域一円の民が神社に感謝の祈りを奉納する。

 

それが、新嘗祭です。

 

 

私が小さい頃は、まだまだ、農家は、お米の収穫が一年の生活を左右する大変な時代でした。

 

私の家は、祖父母が農業をし、両親が会社員の兼業農家でしたので、現金収入があったために不作でもそれほど生活が苦しくなることはなかったのですが、近所はほとんどが専業農家のままだったため、村一円はとっても貧しかったし、不作の時なんか、目も当てられない状態でした。

 

牛や鶏を育て、野菜を育て、ギリギリ生き繋いでいる家庭がまだまだたくさんありました。

 

私が小学生くらいになり、バブリーな時代が始まると、近所に大きな工場がいくつも出来始め、近所の専業農家は、兼業農家へと移行し、それほど貧しくはなくなり、更に、冷夏にも強いササニシキなどの新品種の発明によって、米の収穫も安定していきました。

 

更に、お米以外にも、野菜も美味しくて育てやすい新品種がたくさん品種改良された現代においては、農業も誰もが簡単にできる時代となり、昔のような悲壮感はなくなったため、新嘗祭がどんなに大事かを肌で感じ取れる人は少ないと思います。

 

でも、こうした時代背景を知ると、何と無く理解できるのではないでしょうか。

 

 

ちなみに、新天皇が即位して初めて迎える新嘗祭を大嘗祭といい、特に大切にされています。

一昨年に、今上天皇が即位された時には、大々的に大嘗祭を執り行われておりました。

こちらは記憶に新しいかと思います。

 

 

こんな風に、日本の風土記にも心を向けてみると、この国の奥深さ、独特な霊妙な文化を感じることができ、この国がますます大好きになり、自分にも自信を持てるようになるのではないでしょうか。

 

歴史を知ることは、自分を知ること、自分たちのご先祖さまの生きてきた軌跡を共に辿ることで、今、自分がどうすればいいのか、未来はどのように切り拓いていけば良いのかと言うヒントになると思います。

 

ただ、正しい歴史を知ることが大切です。

 

嘘の歴史を知ったところで、なんの意味もありません。

 

何が嘘で、何が本当かを見極める力を養うことも大切で、それは、日々の生活の中で、どんな時も一生懸命に生きることで培われていくと思います。

 

まずは、日々の生活を一生懸命に生きること。

そして、自分にも他者にも思いやりを持って生きること。

そして、余力があれば、歴史を学ぶこと。

 

 

歴史の中に、たくさんのヒントが埋れています。

教科書で学んだ歴史の中にも、たくさんの嘘もありつつ、たくさんの生きるヒントが隠れている。

それを探すのが楽しくて、歴史や大河ドラマが大好きでした。

 

 

好きこそものの上手なれ

 

と言いますが、せっかくこんなに好きなので、ご縁のある皆様に私の歴史観の一部をご披露していこうかなと考えています。

 

また、思い立ったら、書きますね。

 

 

 

 

 

 

今日は、ひょんなことから、さだまさしの「風に立つライオン」を聴いて感動。

 

 

この歌の全てを納得できる訳ではないのですが、

とっても良いこと言ってるな〜っていうところがあって、

 

それは、

 

🎵ビクトリア湖の朝焼け

 100万羽のフラミンゴが一斉に飛び立つ時暗くなる空や

 キリマンジャロの白い雪 

 草原の象のシルエット 

 

 何より 僕の患者の瞳の美しさ 🎵

 

 

そうなんです!

 

私、最近、どんなに綺麗な美しい大自然の光景を見てもそんなに感動しなくなったのです。

田舎よりも都会が好きなのは、一所懸命に生きている人をたくさん見られることが多く、魂を揺さぶられる感動を与えてくれる、そんな人に毎日たくさん出会える東京が大好きなのです。

 

 

大自然の美しさよりも、人間が懸命に生きる姿に大きな感動を覚えるのです。

 

 

買い物に出かけたり、お散歩に出かけたりして、すれ違う人、ちょっと会話する人、お店の店員さんなど、ちょっとした思いやり、本当にさりげない心遣い、そして、様々な困難にも対応して、しなやかに逞しくさらりと生きている人達。

 

都会で生きていくことは、並大抵のことではありません。

 

たくさんの色々な人に出会い、お互いに研磨しあい、少しずつ少しずつ角が取れて丸くなっていくような、そんな場所が都会だと感じています。

 

ダイヤモンドは、ダイヤモンドでしか磨けないのと一緒で、

人間は、人間でしか磨けない。

 

 

角と角がぶつかって研磨されるので、小さな傷がいっぱいになって、時々苦しくなって逃げ出したくなることも最初はいっぱいあったけど、今では、そんな切磋琢磨している仲間がいっぱいのこの東京が大好きになりました。

 

 

人間として成長することが、やっぱり一番の喜びじゃないかと思うのです。

 

 

私は、働く人の姿を見るのが大好きです。

 

毎日、生きるために一所懸命働く、その姿が、とても尊く、そこに神性を感じます。

 

自分を生かすために、自分の生命を育むために、人に、地球に、仕える。

 

それが、仕事なんですね。

 

 

生きることは、人に地球に仕えるとは、この世を創造することに繋がっている。

 

働く人というのは、この世の創造主である神の一員となることなのだと思っています。

 

お給料をもらう事だけが仕事ではなく、自分や家族や誰かの命を生かすために行動することが、仕事。

 

 

そんなたくさんの創造主がたくさん集まる東京は、最高に光り輝く大好きな場所。

 

 

そして、私たちが開催してきた、そう、もうかれこれ、15回目となる”世界を変えるファッションショー”

 

この壮大な歌を聴いてこちらのポスターが出来上がりました。

 

 

参加される皆様の瞳が笑顔が最高に輝き、命が最高に躍動する”世界を変えるファッションショー”

 

阪神淡路大震災から20年目を迎える時に始まったこのショーは、

ついに、15回目を迎える運びとなりました。

 

多くの方の人生が、より豊かなものとなり、ほとばしる命を輝かせてきた世界を変えるファッションショー。

 

言葉では言い尽くせない莫大な感動で世界を変えるエネルギーを発生させてきました。

 

これは、私の妄想ではなく、本当に爆裂するほどの感動を多くの皆様と共有し続けたきた幸せを思います。

 

再び、開催できることとなり、とても嬉しいです。

 

共に、世界を変えて行きましょう!おー!

 

 

混沌とした時代が始まりましたが、こんな時こそ、自分の力量が試される時!

 

2度と大震災は起こさせないという決意を胸に、

ワクワク楽しみながら、前向きに生きて行きましょう!

 

 

ちなみに、佐渡まさし(佐渡裕xさだまさし)の「風に立つライオン」を見ていたら、続いてこちらの曲が出てきました。

 

「いのちの理由」

この曲も大好きで、よくみんなで歌っている歌です🎵

 

佐渡さんのオーケストラも良いですが、清塚さんのピアノも素晴らしいです。

とっても良い歌なので、良かったら聴いてください🎵

 

ではでは、世界を変えるファッションショーまでのラストスパート、頑張りマンモス! フルッガーン

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MIKIウインク

 

 

これだけの人生の厚みがあると、なかなか表には出せなかったんでしょう。。。

 

朝から、大きすぎる感動と、・・・そういうことだったのかと、色々考えさせられました。

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人には、様々な人生がありますが、子供の頃からずっと長い長い間、人には語れないほどの過酷な苦労を重ねられてきた天海様。

 

初めてお会いした時は、お顔に生気がなく、なんだか虚ろな感じ。

目が、この世に座っていないのです。

鬱病の方の特徴的な目をされていました。

 

きっと、人には言えないようなよっぽどな苦労をされておられるんだろうな。。。

 

と思いつつも、

その後ろに何があるのか秘められわからないまま、、、

でも、

お会いするたびに、どんどん目がキラキラと輝き始め、3回目くらいにお会いした時には、大爆笑しっぱなしの楽しい人になっていました。

 

 

えええ?こんな愉快な人だったの?!

 

ハッキリ言って、会いに来てるというより、笑いにきているぅ?

 

 

何を話しても、爆笑してくださるので、こちらとしては、気持ち良い〜ラブラブ照れ流れ星キラキラ

 

 

お子様達も、3人ともとても素直で優しくて明るくて爽やかで、一緒にいてとっても楽しいのですラブラブ

3人ともそれぞれに、独特の個性があり、とても興味深い日本国旗恋の矢

 

どうしたら、こんなに良い子に育つんだ?と驚くことばかり。

 

 

 

でしたが、

 

天海様が、これほどまでの経験をされてきたとは。。。。

 

今日、一歩踏み込んだ人生を知り、

言葉が見つかりません。

 

私も、私なりに、一所懸命生きてきたつもりでしたが、

天海様の人生からしたら私の人生なんて、石ころ1個分くらいですね。

 

 

ま、私の人生なんて、そんなもんですわ〜🥲

 

 

こりゃ、ヤバイ、絶対に勝てない!

 

って、別に勝ち負けじゃないですが、

今の現代に、こんな人生を歩んでこられた方に出会っていたとは、

 

 

出会えた私って、案外すごい!おねがい

 

・・・そういうあやかり方?!

 

 

先日も天海様とお話ししていた時に、

「この間、家族と夕飯を食べている時に、幸せだなって思えて号泣しちゃったんです。」

と、仰っておられました。

 

そうか、そうかと、なんて感謝の思いの深い人なんだと、感心しておりましたが、

そんな過去があってこその、号泣だったんだなって。。。

 

「私も極貧時代に、1週間に1回くらいしか洗濯機を回せなかった時期があったから、洗濯機を回すたびに感謝の思いが溢れてきます〜えーん

なんて返しをしてたけど、、、天海様は、こんな厚みのある経験からの涙だったのですね。。。

 

 

ぉ〜なんてお恥ずかしいびっくり

 

 

でも、どうして、こんなに素晴らしい人が、こんなに壮絶な人生を歩むことになったのだろう。。。

そして、私も、どうして、当たり前の日常生活さえままならないような人生を歩むことになったのだろう。。。

 

 

色々考えてみました。

参考になるか、わかりませんが書いてみます。

 

 

むらさき音符バレエラブラブキラキラむらさき音符バレエイエローハーツむらさき音符キラキラバレエ音符ハート風船キラキラ

 

 

”なんで私ばっかり。。。”

 

小さい頃からずっと、いつもそんな思いになっていました。

頭脳明晰で運動もできて、いつも誰からも羨望の眼差して見られている兄。

甘え上手でいつも体を壊し、家族からの愛情を一手にもらう妹。

 

その一方で、いつも健康で風邪なんてひくことも全くなくて、元気いっぱいでうるさがられ、勉強はそこそこ、運動は幼稚園までは恐ろしいほどできたのに、小学校から急に運動音痴に。ルックスは、3歳くらいまでは、ちょー可愛かったようで、人気アイドルばりにチヤホヤされまくっていたのに、幼稚園に行き始めると急にブサイクになって、誰からも相手にされなくなり、

冬になるとほっぺは真っ赤で、ザ★田舎っぺ大将❣️。。。ウリは、健康バレエただ一つ。

 

 

それでも明るく生きていた〜キラキラバレエキラキラ

 

 

でも、小4の時に、父が単身赴任となってから、母が豹変し、私もいつの間にか、くら〜くなって行きましたもやもやガーンガーン

側から見たら、誰よりも元気でうるさいくらい明るい子だったと思いますが、私の心には”闇”ができ始めて行ったのです。

 


 どんなに頑張っても、抗えない大きな力を感じ、私の力では何にもできないという無力感に苛まれていきました。

 

いつの間にか、自信を失い、

 

 

ワタシ、生きていていいのだろうか?

 

 

中学生くらいから、いつもそんな疑問が心の中から沸いてくるのでした。

 

生まれたばかりの頃は、世の中の動きを見て、

「こんな世の中では生けない❗️私がこの世界を良くしてみせる❗️」

と、気合い充分だったのに、

生きれば生きるほどに自信を失い、生きる意味がわからず彷徨い歩くだけの日々となっていました。

 

 

 

天海様との共通点は、子供頃からのこの思い、

「こんな世の中では生けない❗️私がこの世界を良くしなくては❗️」


この志は、生きてるうちにどんどん削がれて、生きることさえままならなくなり、死に場所を探して彷徨い歩く人生になってしまったこと。

 

 

天海様の人生は、とてつもなく壮絶で、私の人生と比較できるものではありませんが、

でも一致しているのが、”世の中を良くしたい”という志。

 

でも、この志があることで、理想の自分が、自分の粗探しをして自分を責めてしまう癖がついてしまったように思います。

 

この志を持っているということが、生きる支えになる時もあったのですが、時間の経過とともに、破滅へ向かいはじめたのでした。

 

 

そんな自分が、あまりにもダメダメ人間に成り果て、借金というか、家賃の滞納額もかなりのところまで行ってしまったある日、

 

プチンッ

 

と、何かが切れた感じがしたのです。

 

もう、自分を責めてもしょうがない。

私は私なんだから。

 

できない、何にもできない、普通の人と同じ生き方もできない。

家賃さえ稼げない。

仕事をしてもお金をもらえない。

かといって、普通にバイトもできないし、会社員もできなかった。

 

 

な〜んもできない

 

こんなにも、な〜んもできないヤツって他にいる?

 

 

 

遂に、この世の最低の人間に成り果てた。。。

 

 

人間失格人間失格人間失格人間失格人間失格人間失格人間失格人間失格・・・

 

 

 


でも、おかしいな〜、


私、あの人より、良い人間だと思う。

 


きっと、この人よりも、あの人よりも、きっと付き合いやすいし、良い人じゃない?楽しい人じゃない?

 


 

なんで、そんな私がこんなことになってるの?

 


何にもできない役立たずだけれど、良い人な気がする富士山

 


誰よりも日本国旗富士山ダイヤモンド


 

 

自分から抜け出して、もう1人の自分になったら、かなり好きなタイプの人間だよ、ワタシってラブラブ



きっと、友達でいて欲しいって思うと思う。

 


 

ってことは、なんだ!!

 


なんで、こんなことになってんだ!!

 


 

もしワタシが神様だったら、私のこと、一番好きかも、人間の中で。

 

 

確かにダメダメだけど、面白くないラブラブ


 

人間として、かなり魅力的じゃないか?!

 


もし、私が神様だったら、一番に指名する人間はワタシかもしれないキラキラバレエキラキラ


 

 

そんなワタシなのに、自信をなくし、自分を責め、痛めつけていたら、神様悲しむかもしれない。

 


早く気づけよって、気づくための環境に追い込むかもしれないキラキラ富士山日本国旗

 

 

 

つまり、この瞬間、

ワタシは、神様の一番のお気に入りラブラブ

と、気づいてしまったのでした。

 


※事実無根※

 

 

そうしたら、自分を責める気持ちなんかいっさいなくなり、

 

おもろいやっちゃな〜ゲラゲラキャハハハハ

 

と、明るく自分の全てを受け入れるようになりました。

 

すると、人生が、どんどん楽しく、ワクワクが止まらない、悠々自適の毎日になっていったのです。

 

 

 

以来、迷った時は、いつももう1人の自分、、というより、心の中にいつも一緒に生きている神様を、にゅ〜〜〜っと外に出して、客観的に観てどう思うか、聞いてみることにしています。

 

その神様は、自分でもあり、神様でもあり、いつも一緒に人生を歩む相棒です。

 

空海さんが、「同行二人」と言っていたそうですが、きっとこの事なんだと思います。

 


その自分に聞いて考える。

 

 

いつも一緒にいてくれる、大切な大切な、そして、とっても大きな愛で包み込んでくれている存在。

 

 

それは、自分でもあり、神様でもあり、全てを共に生きている、とてもあたたかな存在イエローハート

 

 

本当にヤバくなった時は、そのもう1人の私が、いろんなものを見せてくれたり、支えてくれたりする。

 

でも、本当にヤバくなった時しか出てこない。

 


だから、結局、1人で答えを出すしかないんだけど、大体、自分で気づいたみたいに浮かんでくる。

 

 

見えない何かに支えられて生きているハート

 

今は、そんな安心感の中で生きるようになり、不思議な気持ちでいるのと同時に、感謝の気持ちでいっぱいで生きています。

 

 

かけがえのない自分を大切にする。


自分を自分と思わずに、客観的に見る。


なかなか難しいかもしれませんが、例えば、自分が神様で、自分を神様の目線から見た時、自分にどう接するか?


この視点で常に、自分と自分を取り巻く環境を見て、どうするか考えると、答えは導きやすいのでは?


 

皆様の何か、生きるヒントになればと思います。

 

人生は貴女の映画です。