イイケン先生かく語りき -3ページ目

二人でつくったもの ~第684回

先日、僕の高校時代の友人が突然離婚した、というか『させられた』が正解か、

この歳になってなぜ…?と言わざるを得ないほど、仲が良かったように見えた。

 

最近日本でも、149秒に1組が離婚するといわれている。

「離婚率」でみてみると、1970年は9.3%でおよそ10組に1組が離婚しているのに対し、

2013年では35.0%にまで上昇、なんと3組に1組が離婚していることになる。

若年層の離婚率がかなり高く、19歳以下の女性では約60%2024歳女性でも40%を超えている。

婚姻歴20年を超える5059歳の離婚率の増加が著しく、「熟年離婚」という言葉も一般化してきた。

離婚が増えているようだ。

僕も、離婚に関わる仕事を、かれこれ10年以上やってきた。

参与員制度というものがあり、以前このコラムでも詳しく書いた。
2014.6月第582回「参与員」参照)

裁判員制度よりはるか昔からある制度で、家庭裁判所における離婚訴訟などの人事訴訟事件の裁判の公判に立ち会い、率直な意見を裁判官に述べる。
離婚裁判で、判事席の右陪審に座り、上から法廷を見下ろす行為は、一般人にとり中々体験できるものではない。

実は離婚を法廷まで持ち込むこと、我国ではかなり稀な事案で、裁判離婚は全体の1%に過ぎない。

裁判ではさすがに「両者譲らず」、原告も被告もその代理人たちも、恐らく平気で嘘を言い、敵対心むき出しのせめぎ合いが展開され、法廷内は異様な空気に包まれる。

良い意味で開き直らない限り、素人ではやっぱり、耐えづらい。

 

喧嘩したとき、この子をご覧、仲の良い時、出来た子だ』・・・・粋な都々逸がある。

子は鎹(かすがい)」と昔から言ったもので、夫婦仲が悪くても、子への愛情のおかげで夫婦の縁を切らずにいれる、子が夫婦の縁を保ってくれるということのたとえがあった。

でも、子が巣立ちした後は、それもダメというご時世になった。

 

少し生意気なことを言ってみる。

夫婦関係は、上下関係、主従関係ではなく、対等なパートナーとしてあるべきものだ。

結婚するまでの20数年間、結婚して子供が育ち、熟年夫婦として二人だけが残った今、

独身でいた時の数倍の人生を二人で歩んできたはずだ。

ここまで来られたのは、パートナーのお前と、一緒につくってきたものがあったからだ。

まさしくそれは、二人でつくったものだ。

長い時間一緒にいると、最初の頃の新鮮さは、なくなっていくかもしれない。 

でもそれと違う、何かができるから、ずっと一緒にいられたのだと思う。 

最初の頃の新鮮さは、お互いが感じたものだけど、

それと違う何かは、お互いがつくったもの。育んだものだ。 

それがあるからこそ、きっと、ずっと一緒にいられるのだと思う。 

最初の新鮮さを忘れないことも大切だけど、

二人でつくったものを確認し合い、大切にしていく方が、もっと大切なのかもしれない。

 

(参照:『思わず涙する感動秘話』)

 

どうでした? 伊勢志摩サミット ~第683回

 

G8でなかった??  つい最近までサミットとは、日、米、英、仏、独、伊、加、露の首脳などが参加した「主要8か国首脳会議」=G8だったが、ロシアが20143月にクリミア半島に侵攻するを機に、同年6月にロシアのソチで開かれるはずだったサミットは中止され、代わりにブリュッセルで開かれたサミットでロシアの除名を決めてG7、現在に至っている。
中国が入りたがっている。
トランプ大統領(?)にでもなったら、中国加入を推奨するかも、となればG9で野球ができる。

 

伊勢志摩サミットの費用 今回の伊勢志摩は、予算総額約600億円、警備費340億円、メディアセンター設置29億円、サミット終了後の取り壊し3億円。三重県の負担は588千万円。
ちなみに2000年九州・沖縄サミットの関係予算は過去最大の815億円

海外のメディアは「世界のリーダーが自国にいたなら、貧しい国の借金は相殺できた」とか酷評された。
その前年1999年、ケルン・サミットの費用がたったの7億円だった。

2008年の洞爺湖サミットでは各国首脳が会場の「ザ・ウィンザーホテル洞爺」に宿泊し、60回を超える2国間協議から晩餐会まで1か所で行なう集中型だったが、仮設プレスセンターの建設・解体費の120億円をはじめ、警備費用、札幌・千歳空港の貴賓室増設など総額262億円の税金が投じられた。
それ以外、北海道の負担は約22億円。

 

サミット開催の経済効果 東京以外でサミットが行われた際の経済効果、2000年九州・沖縄サミットでは、道路整備などの公共工事等で約280億円の効果、政府代表団や開催関係者もろもろの飲食代や宿泊代などで約160億円の経済効果があると試算。
2008年に行われた洞爺湖サミットの経済効果が379億円と試算されている。
開催時の直接的効果が約118億円、観光客増加など将来的効果約261億円の効果だそうだが、

いずれも試算通りの効果は上げていない。

沖縄県ではサミット後の“失速”がみられた。
開催翌年の13年に同県を訪れた外国人観光客は20万人だったが、3年後には目標23万人を大きく下回る13万人まで落ち込んだ。
洞爺湖サミットでは閉会2カ月後、金融危機「リーマン・ショック」が発生し、一気に景気は後退。町への観光客は、19年度をピークに3分の2まで落ち込んだ。サミット開催の翌年にオープンしたサミット記念館には当初、年間2万人もの見学者が訪れたが、来場者は年々減少。
ある旅館関係者は「経済効果は全くなかった」と言い切る。

今回の伊勢志摩サミット、三重県の試算によると、直接的な経済効果を、全国で1,071億円(うち県内分は480億円)と算出した。
ほかにも大和証券は外国人観光客の急増を反映し、開催後5年間で観光客が県内で消費する額を1,750億円規模とはじく。計算の根拠を再考すべきかも?

 

最大の効果は…現職のアメリカ大統領広島訪問が実現。
オバマ大統領は「我々人類は過ちを犯した」と原爆慰霊碑の前で、魂が語りかけるが如くのスピーチが聴けたこと、だと思っている。

 『文春』の一人勝ち! ~第682回

毎日、朝4時くらいからテレビのニュース番組を見ている。

全く不要と思うほど多くの女子アナが、早朝からキャキャとうるさい民放各局は、みな似たり寄ったりで、朝からうんざり。

国営放送(?)の「大人の落ち着き」を求めて、ついチャンネルを回してしまう癖がついている。

民放各局は、とてもニュースとは思えないような情報を扱う「エンタメ」なるコーナーがある。

エンターテーメントの訳だそうだが、訳すほど長くはない、要は芸能ゴシップ記事だ。

人のプライベートを覗き込み、下品な噂話に興じること、昔は「デバ亀」といい下劣な行為とされたが、今どきは国民的な「ニュース」として扱われている。

世にテレビが登場した直後今から59年前、テレビ時代の弊害を看破したと言われている社会評論家の大宅壮一氏、彼が予言した通り、「一億総白痴化」が、見事に定着した証であろう。

 

ベッキーと紅白出場のゲス男との不倫疑惑、甘利経産大臣(当時)の金銭授受問題、SMAPの存続条件を事務所首脳が実名告白、宮崎衆議院議員(当時)の不倫、神戸連続児童殺傷事件の元少年Aを直撃取材、清原和博、覚せい剤所持容疑で逮捕、巨人野球賭博、4人目の関与、人気コメンテーターのショーンK氏の学歴詐称疑惑・・・・記事の中身は皆下品あるいは犯罪そのものだが、大ニュース、スキャンダルがとどまることを知らない。
そして、その元ネタは、ほとんどが週刊文春である。

私自身、ゴシップ、スクープと言えば「FRIDAY」というイメージがあったが、『週刊文春』がそこまでスクープを連発する週刊誌であるというイメージはなかった。

 

『週刊文春』の出版は、あの菊池寛の名門「文藝春秋社」。
1959(昭和34年)4月創刊。
日本の出版社系週刊誌では1956年創刊の『週刊新潮(新潮社)と並ぶ老舗。

「新聞・テレビが書かない記事」を書く週刊誌というスタンスをとる。

日本雑誌協会によると発行部数698,16720149月)で、一般週刊誌で10年以上発行部数トップを独走している。
この潤沢な財政基盤は、「取材費をケチらない」という環境を作った。
経費をちゃんと使えるから、優秀な記者が他のメディアから集まってくるだろう。
この出版不況の中唯一豊富な取材費を確保できている文春ならではの状況が、スクープの連発ができる原因の一つとなっている。

そんな方針を豊富な陣容が支える。
編集部は約60人の所帯を維持し、うち40人がスクープ取材にあたる特集班。
毎週の会議で1人5本のネタ出しが課せられ200本が集まる。
大きなネタでは10人近い取材班を組み「長期取材のために“潜る”」(新谷編集長)
250日間追跡し神戸連続児童殺傷事件の元少年Aにたどり着いた記事(2月25日号)はその一例のようだ。

 

週刊文春は日本記者クラブに加盟していない。

権力に迎合することなく政治家のスキャンダルをすっぱ抜くことに、なんの躊躇もなく、実践していくことができる。
今の週刊文春には、まさに「タブー」がない

「タレコミというのはタブーなきところに集まる」のだそうだ。
読者からの情報提供サイト「文春リークス」への投稿数(タレコミ)も、今年は昨年末比5倍を上回るペースになっているようだ。

当然、情報に対するマージン(タレコミ料)が他誌に比べて割高が強みとなっている。

文春の一人勝ち! まだまだ続きそうである。  
有名人でなくてよかった♡♡♡

DMOを社会のど真ん中に! ~第681回

僕のコラム、第665回「地域創生のカギ」と題して、日本版DMOについて書いたのが1月だった。

DMOとは、Destination ManagementMarketing Organizationの略。

ここで言う Destinationは「目的地,行き先,到着地」の意味である。

それから約4か月が経過、この間僕も、至るところでDMOの必要性を訴えてきた。

従来の観光の枠組みを超え、多彩なプレイヤーの連携による、地域を挙げた魅力づくりをめざす取り組みの中で、中心的役割を果たす組織、それが日本版DMOだろう。

これは単なる観光施策の推進ではなく、地域における街づくりイコール地方創生の柱であり、あらゆる施策の主軸、
つまり社会のど真ん中に置かれるべきものであるというのが僕の主張である。

 

観光庁を中心に、平成2711月に「日本版DMO候補法人」の登録制度が創設され、平成282月には第1弾として、24の候補法人が登録され、つい先日の4月22日付で、第2弾となる37の候補法人の登録が行なわれた。
現在合計61法人の候補が決まっている。

今後、登録された法人及びこれと連携して事業を行う関係団体に対して、関係10省庁(観光庁、国土交通省、内閣官房、総務省、金融庁、文部科学省、厚生労働省、農林水産省、経済産業省、環境省)による「『日本版DMO』を核とする観光地域づくりに対する関係省庁連携支援会議」による支援策が展開される。
そして先般、この支援会議による連携事業の第一弾目となる支援の内容が発表された。

 

支援メニューの内容は、ソフト関連の事業もあればハード関連の事業もあり、多岐に渡る。

[1]まちの魅力を向上したい! [2]まちの魅力を発信したい! [3]まちの基盤を整備して魅力を向上したい! [4]特例措置を利用してまちの魅力を向上したい! [5]地域の人材を育成したい! [6]外国人を活用したい! 以上の6つのテーマに分れた全部で43種のメニューが準備された。

たとえば・・・●「地域資源を活用した観光地魅力創造事業」 (観光庁)

地域の観光資源を、世界に通用するレベルに磨き上げるための地域づくり施策や受け入れ態勢、二次交通などの整備を支援 予算額:33800万円 補助率:上限1/2

DMOへの活用方法:来訪者のニーズ把握のためのマーケティング調査、地域人材の育成・研修、これらと一体的に実施する事業としてモニターツアーの催行等 ほんの一例である。

 

更に、新型交付金なる補助金が豊富にある。

補助金の今までの経緯は、最初平成26年度の補正予算で、総額1,700億円の「地方創生先行型交付金」が実行された。
2番目のステップにあたるのが、平成27年度の補正予算1,000億円が計上された「地方創生加速化交付金」、これについては、既に平成282月で自治体からの申請を締め切っており、318日に交付対象事業が決定した。

そして平成28年度に申請受付がスタートする新型交付金「地方創生推進交付金」
平成28年度の概算要求額は1,000億円、事業費ベースで2,000億円程度が見込まれ、都道府県は1事業当り事業費ベースで4億円、市区町村は1事業当り事業費べースで2億円が助成の目安となるようである。

 

正に国策!
今までの再開発・活性化の、いくつもの失敗を教訓に、地方のボスが試される時である。

今こそ地域のリーダーが、積極的に動く絶好のチャンス! 
そうでなければ、街は何も変わらない。

可愛いおじいちゃん ~第680回

「原因? 加齢ですね、痛み止めでも出しておきましょうか??」

アタマに来るが…医者からこう言われる歳になった。

いよいよ今年から「高齢者」の、仲間入りをする。

今まで「ちょい悪シニア」と自負してきたが、これからは「可愛いおじいちゃん」を目指すしかない。

                                        

僕くらいの年になると、なかなか人の話を聞かなくなる。

自身の永い経験から、自信に満ちている。

「自分の意見が正しい」と驕りが生ずる結果、人の話を聞かなくなる。

人の話を聞かなくなったら、成長が止まっている、つまり老化の始まりと考えるべきなのだ。

そんな人は、新しい知識を吸収することを拒み、それ以上に向上することもやめてしまっている人。

人の話を聞いているうちは、心が老いてしまうようなことはない。

これが「可愛いおじいちゃん」への第一歩だと思っている。

 

心の状態は、会話の中で、その人が「未来の話」をしているのか「過去の話」をしているのかで分かる。
過去の話ばかりしている人は、すでに心が老けてしまっている人、つまり「老人の証」だ。

「オレが若いころは、もっとできた。昔は楽しかったな」と、昔話ばかり。

将来に対して、明るい希望を持っている人は、必ず、将来の話をするはず。

未来に対して明るい希望を持っているため、昔よりこれからのことに感心があるからだろう。

いつまでも心は若々しくいたいと願うならば、当然、過去の話はやめることだ。

これが「可愛いおじいちゃん」への第二の条件だと確信した。

 

高齢者で特に問題になるのは、知能、つまり記憶力の低下だ。

でも人の知能(記憶)は、実は2つに大別される。

それは流動性知能(記銘力、計算能力など)結晶性知能(判断力、総合力)だ。

一般に流動性知能は30歳以降、ほぼ直線的に低下するが、結晶性知能は高齢になっても低下しないらしい。
若い時には理解できなかったことが年をとって初めて理解できる、ということがこの好例だ。

年をとったら皆「ボケる」というのは大きな間違いで、老年期認知症の患者は65歳以上の高齢者の5~6%にすぎないというデータがある。

高齢者でも結晶性知能にますます磨きがかかり、各分野でリーダーとして活躍している人が大勢いる。
ただ、「可愛いおじいちゃん」を目指すには、自分の知識や知能を、無理やり相手に押し付けてはいけない、聞かれた時に、手短に的確にアドバイス…これが絶対的鉄則である。

 

そしてこんな例、電車の中でのシーン。

「おじいちゃんが、足が悪いみたいで、先に立ったおばあちゃんが、手を差し出して席から立たせてあげた。手握った時おじちゃんがボソっと『学生時代みたいだね』って、控え目に微笑んで…」

「可愛いおじいちゃん」は必ずこんなタイプだと思う。

それは微笑みが美しく、いつでもラヴリィーで、フレンドリィーなおじいちゃん。

今年からこんな、「可愛いおじいちゃん」になろうと、頑張ってみることにした。

死ぬときに後悔すること ~第679回

「緩和医療」というジャンルがある。

癌などの、生命を脅かす疾患による問題に直面している患者、及びその家族の生活・人生の質を改善するアプローチを専門とする医療のことだ。

この分野で有名な「大津秀一」先生は、東邦大学大森病院緩和ケアセンター長として終末期患者の診療の一方で、緩和医療や死生観の問題等について幅広く講演・執筆活動を行っており、多くの著作がある。
2009年に出版した『死ぬときに後悔すること25(致知出版社)25万部を超えるベストセラーになった。
いかがなものか…今回はそのご紹介をしたい。

 

死ぬときに後悔すること25

 

1   健康を大切にしなかったこと

2   たばこを止めなかったこと

3   生前の意思を示さなかったこと

4   治療の意味を見失ってしまったこと

5   自分のやりたいことをやらなかったこと

6   夢をかなえられなかったこと

7   悪事に手を染めたこと

8   感情に振り回された一生を過ごしたこと

9   他人に優しくなかったこと

10  自分が一番と信じて疑わなかったこと

11  遺産をどうするかを決めなかったこと

12  自分の葬儀を考えなかったこと

13  故郷に帰らなかったこと

14  美味しいものを食べておかなかったこと

15  仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと

16  行きたい場所に旅行しなかったこと

17  会いたい人に会っておかなかったこと

18  記憶に残る恋愛をしなかったこと

19  結婚をしなかったこと

20  子供を育てなかったこと

21  子供を結婚させなかったこと

22  自分の生きた証を残さなかったこと

23  生と死の問題を乗り越えられなかったこと

24  神仏の教えを知らなかったこと

25  愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと

プロスポーツ市場ダントツは、「巨人」 ~第678回

僕は、スポーツやるのは大の苦手、息があがってとても動けない。

COPDだから、もっぱら「観る」だけと、精一杯開き直っている。

その観る対象スポーツも、実はかなり限られている。

プロ野球、それも巨人が勝っている試合のみ、あとは相撲、プロレス等の裸の男の格闘技だけである。

つい別次元の眼になってしまう女子プロレスや、殴り合っているだけのボクシングは見ない。

オリンピックと高校野球はあまり好きではない…と、

どうでもいいけど、変わりもんの変な趣味だ。

                                                                              

日本国内のプロスポーツ団体が加盟するスポーツ組織、公益財団法人日本プロスポーツ協会がある。

少し前のデータだが、2011年、年間のプロスポーツ観客動員数は6,097万人、国民の約半数がライブでプロスポーツを観ていることになる。

公営競技を除くスポーツでは、プロ野球が2,200万人で最も多く、サッカー(Jリーグ)が770万人で続いていた。第3位は男子ゴルフの57.5万人である。

スポーツの実績値だから、人気選手の動向、イベントの内容等で、毎年データは大きく変わる。

たとえば大相撲。部屋での暴行事件、八百長問題などの不祥事が相次いだ、5年前には30万人にまで落ち込んだ。

しかし”今”、90年代若貴ブーム以来の人気といわれ、当時の最高年間入場者数84万人に迫る勢い。去年はなんと76万人動員した。

 

2013年のデータで、2大プロスポーツと言われる、プロ野球とサッカーを比べてみる。

Jリーグの公式記録によると、J1では306試合が行われ、総観客動員数は527万1,047人

1試合ごとの平均は17,226人だ。

サッカー人気は、前述した2011年から、若干落ち込んでいるようだ。

一方、NPB公式記録によると、野球はセ・パ合わせて864試合が行われ、総観客動員数は2,204万7,491人。 1試合平均は25,500人を超えている。

試合数の多い野球が総観客数で上回るのは分かるが、1試合平均でもサッカーの約1.5倍の観客を動員していることは驚きである。

更にプロ野球、昨年の観客動員数は過去最多の2,432万人を記録した。

チーム別動員数第1位の巨人の1試合当たりの平均動員数が42,270人、年間3,001,187人である。

本拠地東京ドームの観客収容数は45,000万人なので、平均収容率92%と、ほぼ毎試合満席という状況である。

以下第2位阪神、1試合当たり39,977人、年間2,878,352人。

第3位がソフトバンクで、同様に35,221人、2,535,877人となっている。

Jリーグナンバーワンの浦和レッズの、1試合当たり平均観客数は約37,000人。

全プロスポーツ1試合当たり平均観客動員数、阪神の次にランクされる状況である。

 

日本の2大プロスポーツのマーケット規模は、プロ野球:約1,400億円(推計値)、Jリーグ:約800億円(J1,J2クラブ営業収入の合計)と言われている。

ちなみに、ライブ市場2,318億円、映画市場1,942億円というデータがある。

プロスポーツもある種のエンターテインメント産業であることを踏まえると、今後はライブ市場や映画市場が競合になることも考えられるだろう。

海外の野球、サッカーの売上高を見ると…野球:MLB:7,500億円、サッカー:プレミアリーグ:3,800億円と、いずれも日本市場の約5倍、差はかなり大きいのが現状のようだ。

地震予知は、無駄遣い !?  ~第677回

4142126分、熊本地方を震源とする、マグニチュード(以下M)6.5、最大震度7の地震が発生。
気象庁はこの地震を「平成28年(2016年)熊本地震」と命名し、415日に発表した。

数分単位で余震が続き、不気味な夜に怯えていたその時、16日午前1時25分、M7.3の15日より大きい地震が発生、その後午前3時55分には熊本県阿蘇地方でM5.8、最大震度6強、午前7時11分には大分県中部でM5.3、最大震度5弱の地震が相次いで発生し、まだ余震が止まらない。

気象庁は記者会見で、三つの地域で別々の地震が同時多発的に発生しているとの見解を示した。

昨日はほぼ1日中、テレビに釘付けになった。

悲惨な状況の中で懸命に生きようとする被災者の皆さん、それを必死に支え支援をするボランティア、警察・消防・自衛隊、医療関係者や地元の役所の方々の活躍する姿を見、涙の出る思いであった。

「…今回の熊本地震は、南海トラフ地震の前奏曲的な意味合いが強いと考えられる。東京オリンピックまでに、南海トラフ地震の発生が懸念される状況にある。熊本地震を日本全体の“危機の前兆”と認識し、対策を講ずる必要があるのだ…」と、早速、危機感を煽る学者がいる。

彼らは決して悪人ではないが、一体何を目指して研究しているのだろうか。

 

地震に関する調査・研究者は、かなり多くの人数が存在すると言われている。

大地震で多くの犠牲者が出るたびに、国民の間で「地震予知」待望論が巻き起こる。

地震の予知ができるのなら、なぜ、熊本地震の発生を、知らせてくれなかったのか。

こんなに数多い「余震」があることを、いつ、誰が伝えてくれたのか。

しかし、みんな知っている通り、いつも地震は突然に起こる。

阪神淡路も中越も、東日本大震災も、誰も予測ができなかった。

 

4年以内に東京直下型地震が起きる可能性70%」という、なんともスゴイ話を、真しやかに言い広めている東京大学地震研究所の教授がいる。

これを「扇動罪」とは言わず、彼らは「注意喚起」という。

同じ東大大学院のロバート・ゲラー教授は、「あの数値には何の意味もありません」と指弾する。

「地震予知連絡会」なる団体がある。
構成員は国公立大学の教授が中心だが、学会ではない。

まだ一度も成功したこともない地震の予知を「可能」と主張し、根拠不明な数字に基づいた予測を発表することで、地震研究に対する助成金を獲得することを目的とした、いわば「政治カルト」である。

その活動資金が国土地理院から、30年間以上、4,000億円に渡って拠出されてきた事実がある。

文科省地震調査研究推進本部によると、2011年度の地震調査研究予算は192億円、むやみに危機感を煽り、地震予知を求める国民の気持ちを圧用して国から予算を騙しとっているようなものだ。

成功事例が全く出ていないにもかかわらず、地震予知を「打ち出の小槌」のように予算獲得の道具にしている。

 

このような一部の地震研究者たちは、東日本大震災の5年後、熊本地震を経験した今こそ、

地震予知が不可能であることを、率直に国民に伝えるべきだ!

全世界で地震予知の成功例はない。
現実的には、地震予知研究に多額の予算をかけるよりは、地震の基礎研究や建物の免震や防災、減災の充実を図った方が現実的かもしれない。

50%-50%の法則 ~第675回

人前で話をするということは、なかなか難しい。

特に、セミナーや講演の講師となると、聴衆や受講者に、何かを伝える使命がある。

生徒がどうあれ全く関知せず、毎日決まりきった授業を黒板と交わすだけの先生、先生とは名ばかりで、コミュニケーション能力ゼロ、指導者、益してや教育者として、失格である。

せっかく関わりができた生徒、受講者、聴衆にどのくらいの内容を伝えることができたか、先生、教授、講師としての資質の評価と言えよう。

                              

自慢話のようだが、小・中学校から学級委員長、生徒会長を歴任、高校は吹奏楽部の部長、大学でもオーケストラの指揮者等を経験、幼少時から、比較的人前で話す機会は多かった小生。

「人前で話すことが半ばプロ」という、今の職業を覚悟した時、自分の、無手勝流のしゃべり方に嫌悪感を抱き、いわゆる「話し方教室」に通った。20歳代初期、大学生の頃である。

人前で話すことの多くを学び、40年経過した今でも、この経験は確実に活きていると言って良い。

 

数ある原則の一つに、「スピーチ内容50-50%の法則」というものがある。

例えばこんなことはないだろうか。

まったく内容が解らない本を読破するのは苦行に近い、途中で挫折するかもしれない。

でも、全部知っている内容の本では、面白くないし、読む価値がない。

もし、半分程度知っている内容が含まれていれば、読者は自分と同じ意見を持っていると著者に共感する。
その上で、新しい知識が伝えられると、違和感なく心に入っていく。

 

この原理原則は、「話し方」の場面においても、その通り作用する。

セミナーで講師が、参加者の知っていることを100%話すと、それは全部解っていると不評をかうに違いない。
では100%知らないことを話すと、参加者は理解できず、ついて来れなくなる。

セミナーなど、何か新しいことを教える場では、参加者が半分知っていて、半分新しい情報という配分、つまり50 %―50の内容であれば、聞いている参加者の満足度が最も高くなるということである。

全く知らない情報に対して、人は予備知識がないので拒絶反応を起こす。

講師がよほどの実績のある人か、カリスマや有名人でない限りは、「この人の言っていることは本当なのか?」と、参加者に不信感を持たれてしまうことさえあるだろう。

一流の講師や講演家はよく、「皆さん、どうでしょうか?」、 「皆さん知っていますよね」と参加者に語りかけている。
これは反応を見て参加者のレベルを把握しているのである。

もしそこで、反応が薄い場合は、たとえ話(=知っている50%)などを持ち出して、拒絶反応を取り除いてから、新しい情報(=知らない50%)を伝えていくように工夫する。

できることなら、セミナー受講者のレベルを事前に把握し、知っていること、知らないことを50%―50%にして、参加者に最高の構成を提供していくことが、プロとしての務めである。

 

毎日40年近く、黒板に向かってだけ話しかけてきた高校教師が、定年になり退職するという。

慶賀に違いないが、彼は一体、何人の「人」へ、どのくらいのことを伝えてきたのだろうか?

イヤイヤ、余計な詮索せず、素直に、「第二の人生のスタート」をお慶びしようと思っている。

第674回  働いている手

度を超えた長時間労働や過酷なノルマを課し、落伍者に対しては、業務とは無関係な研修やパワハラ、セクハラなどで肉体と精神を追い詰め、戦略的に「自主退職」へと追い込む。

金融危機の影響で就職難が深刻化した2000年代後半から、こうした悪辣な企業が出現し始めた。

特に、新興産業において若者を大量に採用し、過重労働・違法労働によって使いつぶし、次々と離職に追い込む典型的ケースであり、比較的成長している大企業に多く現れるようになった。

このような企業を、ヤクザのフロント企業とは別に、「狭義なブラック企業」と呼んでいる。

その法的定義はないものの、前述のような「合法か否か」の境目をはるかに超えた、「劣悪な労働」「峻烈な選別」「非情な使い捨て」などが特徴である。

企業規模や知名度とは関係なく、誰でも知っている、テレビコマーシャルに常に露出している有名企業も、ブラック企業と言われているようだ。

連合(日本労働組合総連合会)が「ブラック企業に関する調査」(201411)を実施した。

その結果、自社を「ブラック企業だと思う(どちらかと言えば…を含む)」と答えた割合が26.9にも上った。実に4人に1人が自分の勤める会社を「ブラック企業」と捉えていたことになる。

ブラック企業経営者と呼ばれる者たちに共通していること、おおよそ次のようなことである。

皆、何事も自分に都合よく考える。物事を考える軸は、すべて〝自分〟である。事業を拡大したい。

従業員はあくまで労働力。人を雇いたい。でも、人件費は最小限に抑えたい。都合よく人を使う。

だけれども都合よく辞めさせる…。ブラック企業は、こんなタイプの経営者が多いようだ。

 

 

ホンダの創業者「本田宗一郎」が伝説の経営者と言われる訳という、有名な話がある。

 

本田宗一郎氏はある日、あっさりと代表の座を降りた。

その後、彼は全国行脚の旅に出る。

全国のホンダの営業所・工場を訪れ、社員一人一人に挨拶し、握手を交わしたいと言い出したのだ。

それが社長を辞める際の彼の唯一の願いだった。

飛行機、車、新幹線を乗り継いで、彼は全国どころか外国も含め、1年半ですべてを回りきった。

 

ある工場で宗一郎氏と握手する前に、急いで走り去ろうとするものがいた。

「どうした?」 そう呼び止めると、

「手が汚れているから」と油で真っ黒になった手を隠しながら、もぞもぞしている。

だが宗一郎は、「いいんだよ、それでいいんだ」と彼の真っ黒な手を握り締めた。

「働いている手じゃないか、立派な手だ。俺はこういう手が一番好きだ」

そういいながら涙ぐむ宗一郎氏と一緒に社員も涙を流した。

 

日本の戦後復興と、その後の成長を支え、牽引したのは、こんな経営者であったに違いない。

その元で働く従業員は皆、輝いていた。希望と目標を掲げ、経営者と同じ気概で頑張っていた。

今あらためて、「伝説の経営者」を求めている労働者が沢山いること、理解しなければならない。