AI時代を生き抜くために何が必要なのだろうか。 | 井蛙之見(せいあのけん)

井蛙之見(せいあのけん)

毎日、いい音楽を聴いて、好きな本を読み、ロードバイクで戯び
楽しく話し、酒色に耽り(!)、妄想を語り、ぐっすり眠る。
素晴らしきかな人生!
井の中の蛙 大海を知らず 
されど、空の蒼さを知る
(五十路のオッサン、ロードバイクにハマる。)

 

 朝、自転車通学で疾走する後輩たちを見ていると

 正直、明るい未来が想像できない。

 屈託のない笑顔は自信をこえて、過信に満ちている。 

 私が同じ年齢だった時代と重ね合わせても確実にいろんな意味で

 インフラも所有物も充実している。

 何が違うかというと、ほとんど持ち物に差がない分、

 「不足を補おうとする」ハングリーさがあまり見受けられないことか。           

 しかし、これから待ち受けているディストピアを生きるってことは、

 体裁だけ整えてのキレイゴトじゃ済まないよ・・・と思う。 

 正直、どれだけの人がこの先、まともな精神状態を保って

 生き残れるのやら? 

 


どんなに時代が変わっても多くの成功者がまず読書を推す。

方法としては何かを勉強する際にはその分野の基本書を何冊か選ぶ。

 できればパラパラと「あとがき」「目次」「要約」「まえがき」などを

 読んでみて傾向や切り口の違うものを3冊選ぶ。

 基本書でも何冊か読むのは「共通点と違う点」を知るためである。

 動画も同じで、専ら「違う点」と「使えそうなエピソード・根拠探し」が

 基本になる。

 実のところ、本の読み方は「知のソフトウェア」(立花隆さん)に

 書かれていたことの「まんま受け売り」だ。

 実際にこうしてみると、なかなか具合が良い。

 これが第1段階。

 

  

 

 これらを使い、さらに、自分が「溜め込んできた知識」と繋がり、

 アチコチ垣根を越えてことで融合し力強くなる。

 そうした知識はようやく有機性を持つことで血肉化される。

 そのためにはブログを書くとか、人に説明する、などのアウトプットを

 目的とすれば自分のものになる。

 実はこれも名前は忘れたけれど誰かのまんま受け売りだ。

 自分の中で、それまで得た知識や経験は交差し、厚みを増し

 変化したり、感性で色付けされたりして、独自性を構築する。

 それは、大袈裟な言い方をすれば「個性」となる。

 統計的な裏付けがない場合は「エピソード」となるが、

 「覚えただけの知識」よりかは何かの役には立つだろう。

 これが第2段階。

 

 
 

およそ手続きに関するものは国だろうが契約だろうが

個人番号とスマートフォンがデフォルトとなり

手続きの時間が大きく短縮されるだろう。

AIが本格導入されればまず「手続きに関する」職は真っ先に消える。

日本という国はいろんなつまらない利権が絡むせいか(タ〇ポなど好例)

導入が遅れる場合が多いが、そうかと思えば一気に変化が起き瞬く間に入れ替わってしまう。

インタ-ネット回線の変化とインフラ整備は一気になされ今や日本はトップクラスだ。

いつでも常識そのものは変容し続けているのだ。

 乗り遅れないそのための知的武装はいつまでたっても必須だ。

 

 

 

この先の時代は「文科省選定のお勉強」ができたくらいでは

 ただの使い走りにもならない。

もはやバージョンアップとかアップデートでは劇的な変化に追いつかない。

AI時代の数年の進歩はかつての何十年にも匹敵する。

 自分自身をアップグレードし続けられない人に明るい未来は来ない。

いつまでも世界がぬるま湯であるはずがない。

気が付いたら口を開けたゆでガエルだ。笑えねえ。

モブに紛れて匿名でしかものが言えない安っぽい反抗心は結構だが、

捕食者にまんまとしてやられる様が目に浮かぶ。

便利さの代償は恩恵を受けるものが支払わなければいけない。

この先、ママも助けてはくれない。

ディストピアから抜け出す準備は怠るな。