映画「桐島、部活やめるってよ」を観た。 | 井蛙之見(せいあのけん)

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されど、空の蒼さを知る
(五十路のオッサン、ロードバイクにハマる。)

映画「桐島、部活やめるってよ」を観た。

当時、映画賞を総ナメにしたらしく、今見ても新鮮である。

2012年公開、今思えば、フレッシュな顔ぶれが並ぶ。

その後、実生活に大きな変化が見られた人もチラホラ。

原作者の朝井リョウさんの映画は(すみません小説は読まないもので・・・)

「正欲」を観てとても感心した覚えがある。

この人の醒めた眼で見た「日本の若者の見方・捉え方」はゾクッとするくらい鋭い。

「傷つき失敗する事を極端に恐れ」人との接し方が歪な「仮面を被って生活する若者たち」を

 これほど抉り出す人の観察力と表現力はとてつもなくスバらしい。

 

物語は「桐島君というバレーボール部の優秀な部員が部活を辞め、

学校に来なくなる」ことで、彼がいたことで不可思議な均衡を保っていた人間関係が

彼を失うことで中心がなくなり、解けて崩壊し壊れていく様を描いている。

この映画の舞台は「学校のみ」であり、家族や家庭は出てこない。

つまり、「大人はひとりもでてこない」

先生が出演しているではないかと言われそうだが、最小限の扱いでモブに等しい。

また、「わかってくれない存在」としてしか描かれてはいない。

 

同じ場面のエピソードが各人の見方とか視点とか感情のうつろいなどの違いで

多層的に織り込まれてゆく。これは「正欲」でもそうだった。

ここでみられる高校生の姿は「プリミティブで幼稚な恋愛感情」(誰にでも経験がある)、

「ただ体裁を整えるだけのかりそめの脆弱な人間関係」「ガキどもの自分本位で

 幼稚なものの考え方とかやり方」(おっと、ここは繊細なとか傷つきやすいとかか?)

 が「残酷なくらい」描かれている。

 特に「非モテ男子」への女子の「人間以下という扱いと視点」は

 実にわかりやすくていい。

「170センチ以下の男に人権はない」を地で行くような女子たちの感覚が生々しい。

 

 かつて「enfant terrible(恐るべき子供たち)」(「恐ろしいほど遠慮がなく、

 その発言によって両親や他人を困惑させる 子供 のことを伝統的に指す」)ものが

  あったが、そこは日本、より複雑に病んだ様相をみせる。

 それが、突然、顕在化するものだから周りの理解がついていかない。

 最後にむかうシーンでの「好きな子を追いかけるバトミントン部の女子」とか

 「好きでいじらしくしている女子の前でわざとキスしている姿を見せつける女子」とか

 「悪口を言った友人にビンタをかます女子」とか盛りだくさんである。

 桐島君が学校に来る、という知らせで「今の壊れてしまった現状」に救いを

 求めるべく関わった者たちが映画部が撮影している

 屋上にみんなが集まるラストシーン。

 そこでひと悶着が始まるのだが結局、桐島君は現れない。

 そこで映画部が撮っていたのは「心を失った欲望むき出しのゾンビを描いた

 映画だった」というのは皮肉である。

 そして、映画部の部長の古い8ミリカメラで撮影する「特別な思い入れ」や

 「好きなことを続けることで過去の映画とのつながりに感激する」様を嬉々として

 語る姿に「夢を持てず」涙を流す桐島君の親友が彼に電話を掛けるが

 彼はやはり電話には出ない、

 というところで、現代版「ゴドーを待ちながら」は終幕。

 いやはや実に面白い映画でした。