とりあえず「享年65歳」としてみる | 井蛙之見(せいあのけん)

井蛙之見(せいあのけん)

毎日、いい音楽を聴いて、好きな本を読み、ロードバイクで戯び
楽しく話し、酒色に耽り(!)、妄想を語り、ぐっすり眠る。
素晴らしきかな人生!
井の中の蛙 大海を知らず 
されど、空の蒼さを知る
(五十路のオッサン、ロードバイクにハマる。)

 

最近は、子供の時から馴染みのある人たちの訃報を毎日のように目にする。

考えてみれば、当たり前のことだが、70歳あたりから上の人ばかりなので

それほど不自然なことではない。

人の生き死になど順番ではないし、誰でもそのうち回ってくるのだから

気長に待てばいい・・・

などと思っていたが、それではどうにも張り合いがない。

 

子供の時から今に至るまで、寝たらちゃんと起きるので

「死なない」ような気になるものだ。

ある特定の職業を除いて、なかなか「人の死が身近でない」日本人からすれば

「死を意識する」ことなど「自死を思い描いているものさえ」

実際的には少ないのではないか。

「人生100年時代」などというが「20代の体力」と「50代の人生経験」が永続的に

続くわけでもない。

「せめて今の状態」が100歳になっても維持できている、などと夢想しがちだが

そんなことはありえない。

誰でも一日長く生きれば、身体は衰え、持って生まれた運は削られてゆく。

厄介なのは自分がどれだけの運を持っているかわからないことだ。

 

日本人はどうにも自分で考えることができないせいか「バカ高い無駄な金を浪費して」

持ち家を買ったり生命保険に入ったりする。

「備えあれば患いなし」などというが「神様の気まぐれ」なり天災に遭遇すれば

そんな備えなどいくらあったところで軽く吹っ飛んでしまう。

このあたりはホリエモンさんが詳しく解説されている動画があるので視聴をおすすめするが

「既存の価値観」「同調圧力」「隣の芝生」の無意味さがよくわかる。

つまらないゲームからは離脱したほうが…まぁ、それは個人の自由か。

あれほどの金持ちになった人だからいえる「贅沢とは何ぞや?」も実に参考になる。

それはさておき「無駄に時間を空費して生きる、のではなく期限を決めて

逆算して、いかに愉しい人生だったか、を計画する」のが趣旨である。

(ようやく本題かい!)でも、これとてそのとおりにいくとは、もちろん限らない。

人の生き死や境遇など神様の気分次第でどうにでも転がる。

 

人間というのは「突然死」を除けば、死に向かう段階があり徐々に体が安らかに

大方の場合、苦しまずに逝けるそうである。

ただ内的な身体変化は経験したことがないのであくまでも伝え聞くハナシ。

結局、どんな人生を送ろうが「最期における数秒の刹那」で「ああ、いい人生だったな」

「愉しかったな」という、感謝の気持ちで逝けるかどうか、ということが大事なのだろう。

そう考えれば、氏姓、金のあるなし関係なく「平等に与えられた24時間」(与えられた年数はわからん)

を自分で決めた期限までいかに無駄なく使いきるかが大事なように思う。

 

 今、57歳なので、とりあえずはリミットを65歳にセットしてみる。

生きながらえば、ラッキーだし、無駄な時間の使い方もなくなっているだろう。

「人生でやりたいリスト100」ではないが逆算して目標を立て行動する。

逝ってしまったら「自分には」何も残らないのだ。

どんな人生も最期には無に帰る、そして、永遠に戻ることはない。

だから、戯べ、戯べ、ひたすら、戯べ!

「あのとき、ああしておけばよかった」ということが起こらないように

些末なことにも悔いを残さない。過去は悔いても変えようがない。

過去を生かすことができるのは、

ただ「生きている間だけ」なのだから。

 

 

あ、これ、アカン奴や・・・。