一番詳しく見た1994ワールドカップ | 92のブログ

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サッカーのワールドカップで

俺が人生で一番詳しく見たのが

1994年のアメリカワールドカップです。


日本があの

ドーハの悲劇で出場できなかった大会ですね。


俺は当時、高校生。

ドーハの悲劇は修学旅行中の船の中で味わいました。

というか、

みんなは船の大食堂に集まって

大スクリーンを見ながら盛り上がってましたね。

俺はというと、

船の部屋でみんなとカードゲームしてました(笑)


では、なぜ

日本が出ていないワールドカップを

そんなに夢中になって見たのか?


理由は自分でも明確でないんだけど、

あるとしたら、

ドーハの悲劇であんなに悔しがってた

日本代表の選手達を見て、

あの選手達があれほどまで悔しがって出たかった

世界の大会って、一体どんだけ凄いんだろう?

という興味は湧きましたね。


あと、BSNHKで全試合中継してたんで、

俺は全試合をVHSで録画して、

全試合を保管して全試合見ました(笑)

さすがに今はもうビデオテープは残ってませんが

今思うと、残しとけば良かったなぁ、と

後悔してます。


俺が当時応援していたのはイタリア。

中でも好きだったのが

ジュゼッペ・シニョーリとロベルト・バッジョ。


ロベルト・バッジョは言わずと知れた

イタリアの至宝。

当時のイタリア代表の中心選手です。

日本でも人気抜群でした。

当時買った'94ワールドカップの

イタリア代表の背番号「10」

ロベルト・バッジョのユニフォームは

今もウチにあります。


ジュゼッペ・シニョーリは

2年連続セリエA得点王で、

小さいながらも左足から放つシュートが

圧倒的な破壊力を持つストライカーでした。

当時の俺は高校生なので資金力が無く、

バッジョとシニョーリの

どちらのユニフォームを買うか

ずっと悩んでましたね(笑)

最終的にはロベルト・バッジョを買ったんですが。


ユニフォームを買っちゃうくらい

イタリアを応援していました。

他にも

ブラジル、ドイツ、アルゼンチン、オランダなど

優勝候補の国は多数あり、

日本では海外サッカー通の人たちが

穴馬的なダークホースの国を応援したりして

盛り上がってました。


一方、イングランドとフランスが予選で敗退し、

強豪と言われていた国が出ていないという

大会でもありました。

当時の俺はそこそこ海外サッカーを知ってて、

好きな選手はマンチェスター・ユナイテッドの

エリック・カントナでした。

が、

そのカントナの母国フランスも、

マンUがあるプレミアリーグのイングランドも

ワールドカップに出ていなかった。

だから、

より他の国の選手を

知ろうとしてたのかもしれませんね。


本屋でワールドカップ関連本を買って、

どの国にどんな選手がいるかを

ほぼ全て暗記してましたね(笑)

そして、知れば知るほど

主要選手のほとんどが

欧州の主要リーグに在籍していることを

知りました。

こいつはアフリカ人だけど

あのリーグのあのチームのエースだとか、

あいつとあいつは同じクラブチームの選手だとか、

見ていて楽しかったですね。


このワールドカップ後に

カズがイタリアのジェノアに移籍するんですが、

日本ではカズ人気も後押しして

フジテレビがセリエAダイジェストという番組を

放送開始します。

アメリカワールドカップでの全選手暗記が

そのセリエAダイジェストを見るのにも

ものすごく生きてましたね。

ワールドカップに出ていた選手が

セリエAにもたくさんいて、

ああ、あいつだとか分かりましたからね。


話をワールドカップに戻すと、

大会で驚きだったのは得点王かな。

アメリカワールドカップの得点王はニ人いて、

一人はブルガリアのストイチコフ。

ブルガリア4位躍進の原動力でした。

日本の柏レイソルにも一年在籍してましたね。

もう一人が、

ロシアのサレンコ。

こいつが驚きで、

予選リーグのカメルーン戦だけで5得点し、

ロシアは予選リーグで敗退したのに

サレンコは通算6得点で得点王になったんです(笑)


このロシア対カメルーン戦は伝説の試合で、

ロシアが6対1で勝つんですが

サレンコの1試合5得点はワールドカップ最多記録で

新記録だった。

また、カメルーンの1得点を決めたのが

42歳のロジェ・ミラ。

これはワールドカップで得点した選手の

最年長記録だった。


記憶に強く残ってるのは

やっぱり決勝のブラジル対イタリアかな。

バッジョのイタリア、

ロマーリオとベベトのブラジルという図式だった。

結果はみなさんご存知の通り、

PK戦でバッジョが外し、

ブラジルが優勝。

史上最多4回目のワールドカップ優勝だった。


かなり熱をもって見ていた大会だったから

今でも有名選手の名はかなり記憶していますね。

イタリアのディノ・バッジョ。

オランダのベルカンプ、ライカールト、

ファン・デル・サール、ロナルド・クーマン。

ドイツのクリンスマン。

スペインのグァルディオラ。

スウェーデンのダーリンとブロリン。

ルーマニアのゲオルゲ・ハジ。

ベルギーのシーフォ。

スイスのシャプイサ。

コロンビアのバルデラマ、アスプリージャ。

メキシコのカンポス。


当時はみんながスターに見えてたなぁ。


今は日本人選手が普通に海外で活躍するけど

当時、海外のリーグやそこで活躍してる選手は

みんな凄いなぁ、強そうだなぁと。

一段格上の選手だと勝手に思ってました。

それが俺の中の

1994年アメリカワールドカップでした。


再来年の2026年は

そのアメリカを含むカナダ、メキシコとの共催で

北中米ワールドカップが行われます。

3カ国での共催はワールドカップ史上初めて。

共催自体は日韓ワールドカップ以来となります。

アメリカ、日韓以来の共催……。

これも何かの縁。

また本腰入れてワールドカップにハマろうかな

と思ってます(笑)