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俺はShattered

50歳を過ぎて、「この調子なら100歳まで」と思っていたら、とんでもない苦境が待っていた。そこをくじけずに、生き延びようとする哀れで滑稽で笑止千万な人生の「後半部分」を再構成するシュールで決定的で虚無的なアメブロ。

 中学生3年生の時だったと思う。

親父はいつも仕事で忙しそうにして

あちこち出張で全国を飛び回っていた。

出張から帰ってくると必ず「週刊文春」を鞄から取り出し

応接室のテレビ台の下の収納棚に

大切そうにしまっていた。旅先の移動で読んでいたようだ。

几帳面で綺麗好きだった。

「触るなよ」

と家族に言って棚の扉を丁寧に閉めた。

そう言われると無性に気になるものである。

時々、誰もいない時を見計らって密かに

中をパラパラと見るのが大好きだった。

時々は読み耽って母に見つかり軽く叱られた。

ある時、いきなり親父はこう言った。

 

「お前、ビートルーズなんて聞いていないだろうな!」

 

と言うのである。ビートルーズ?

なんのことか分からずに無言で、

じっと親父の怖い目を見つめて、萎縮した。

それでかえってその「ビートルーズ」が気になった。

気にはなったものの何のことかわからずそのままになった。

家の中にあるレコードは、美空ひばりや石原裕次郎、

アルゼンチン・タンゴや浪曲だったが、自分から

レコードを聴くことはなかった。さらにその時

「ビートルーズ」が音楽のことだとさえ思わなかった。

それで棚の中から「週刊文春」引っ張り出し盗み読みして

わかったのは「ビートルズ熱狂、若者を狂わす」

みたいな記事を見つけたときだった。

こうしてむしろ「ビートルズの存在」を親父から

教えてもらった気になったのであった。

 

また高校生の時に、函館に下宿していた時のこと。

突然、部屋にやってきて机の上を見て怒り始めた。

「きさまあ、なんて本を読んでやがる!」

と言っていきなり拳骨で頭を殴られた。

机の上に置いてあった書籍は高校の図書館から

借りてきた「マルクス・エンゲルス全集3巻」で、

当時、図書局員であることをいいことに

規則で一冊しか借りられないのを一度に3冊借りてきた

ものであった。

なぜ、突然殴られたか、理解できなかった。

もしかして図書館のルールを知っているのか?

と思ったが、兎に角いきなり殴られたので、

こちらも興奮し、頭を押さえきつく睨み返した。

「何だあ、その目は!」

恐ろしい形相である。

すると何を思ったか、ふいに踵を返して部屋から出ていった。

もう、こんな乱暴で短気な親父と縁を切ろうと思った。

悔しいのと痛いのと怒りで、ぐちゃぐちゃだった。

自尊心もへったくれもなかった。

それで覚悟して家出の準備を始めた。

東京へ行くことにした。ガロの青林堂に。

 

親父は函館の造船所でトロール船の竣工式か何かで出張し、

夕方の仕事の頃合いを見計らって、

突如息子の様子を見に来たようであった。

そして、その夜、宴会があったらしく、すっかり酔った

親父が再びやってきて、驚いたことにいきなり床に手をついて

謝ってきた。酔って呂律の回らない口調で、

「すまなかった。殴って済まなかった」

と言うのである。鬼のように怖い威厳のある親父が

床に手をついて謝っている。

何が何だかわからなかった。威厳が、くづれてゆく瞬間。

何だか情けなくて涙が溢れ出た。

そして、親父は待たせてあったタクシーで

そそくさと帰っていった。

この出来事は当時、理解不能で謎に満ちていた。

 

それが20数年経った頃、すなわち親父が古希を迎えんとする頃

静岡県の清水市で漁船の進水式があり、その後の宴会で

謎がやっと解けたのであった。

清水の料亭の宴会場で、場がお酒で和やいできた頃、

「親父、僕が高校生の時のこと、覚えている?」

と問うと

「ああ、よく覚えてる。自分の息子に手をついて

謝ったことは、忘れたくても忘れん。」

「なぜ、あんなに突然怒り出したのか?覚えている?」

「それはな、お前が宮本顕治の本を読んでいたからだ。

お前が共産主義にかぶれてると思ったら、カーッとなって

しまい気がついたら殴っていた」

なんと気が短いというか、直情的なんだろう。

「宮本顕治なんか読んでいなかったよ。

マルクスの本だったよ」

「おんなじようなもんだ、マルクスも宮本顕治も。

ともかく俺が戦争の時にシベリアに行き、捕虜になり

ソ連軍に共産主義を叩き込まれ洗脳されて

帰国した事をあの一瞬思い出したんだ。

あの時、共産主義というもの、

思想というものがどんだけ恐ろしいかを身をもって感じていて、

お前がそれに興味を持っていると思った時には、

それこそショックで、殴ってしまった」

というのである。要するにマルクスの文字を見て

瞬時にシベリアでの戦争体験を思い出していたのだ。

 

 

(続く)

 

 

「人生は死ぬまで勉強だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

皆様

大変お待たせしました。

SPX283でお知らせした図案は下記のようになりました。

ミックは来月82歳になります。

現在、かつてない勢いで新作アルバム制作に取り組んで

いるようです。すでに13曲を完成した模様。

82歳になるミック・ジャガー❤️アルバムが

どんなサウンドになるか、とても楽しみです。

まだ発売時期は明らかではありませんが、

待ち遠しいです。

 

とりあえずお知らせします。

 

Lovely Mick ❤️妖艶

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この夏はこれで決まりだ!

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 先週、我が父は闘病の末101歳で永遠の眠りについた。

 

 不思議なことにそれほど悲しくはなかった。

しかしながら自分の中の何か軸のようなものが失われた

感じがした。

死因は全身に広がる悪性腫瘍、すなわち癌だったらしい。

棺桶に綺麗に収められた父の顔は少し浮腫んでいたが、

穏やかな表情だった。

 ここ数年、歩行が困難になっていて話す言葉も不鮮明で

話す内容も間違いが多く意味不明だったりしたが、時々は

明瞭に過去の出来事を話すこともあった。急に電話をかけてきて

あれこれと過ぎ去った昔のことを話すことがあった。

20年も前のことを最近の事のように訥々と話した。

明らかに老人性痴呆症を発症しているのがわかった。

その時が一番悲しいと思った。

 

人間はいつかは死ぬものだとわかっていても、いざその時が

やってくると、どうにもならない気持ちになる。

そして、父親の過ごした人生を知る限り思い出し、自分の人生と

重ね合わせたり、彼の発言のいちいちを反芻することになる。

 

 思えば激動の昭和の時代を駆け抜けるように慌ただしく

生きたように思う。餅屋の次男として生まれ、小学校から

帰ってくると、売れ残りの餅を売り切るまですなわち暗くなるまで

家に入れてもらえなかったという話は、何度か聞かされた。

 

 そして、戦争である。赤紙を受け取り大陸に渡った。

やがてソ連軍の捕虜になりシベリア送りになった。そこでは

壮絶な生活があったようだ。

「シベリアでは寒くて寒くて戦争にならず、露助(ロシア兵)と

食べ物を分け合ったものだ」

「むしろ日本兵同士で殴り合い殺し合いをした事もあった」

兎に角、残酷で苛烈な時間であったようだ。

 

 終戦を迎えてもなかなか帰国せず、家族親類は死んだものと

諦めていたようだった。それが2年経過した頃、(これには

4年経過という説もある)突然帰宅したので家族はびっくり

したようだ。げっそり痩せて別人だったそうだ。

ところがさらに驚いたことに「すっかり赤色化」していて、

みかん箱ひとつ持ち歩き、あちこちの街頭に立ち、

「日本はこれから共産主義国家にならなければいけない」

と大声で演説をして回ったそうである。これには家族親類

一同驚き、恥ずかしく、街を歩くのも憚られたそうだ。

それは、戦争に行く前の親父は、おとなしく物静かで

人見知りをする男だったので余計である。

まるで別人のようになっていて誰もが魂消たようである。

そして周囲に、とりわけ母親(僕の祖母)に

毎晩のように説得されて、ある日突然、

「わかった、もうやめだ」と言い放ち、

街角演説をやめたそうである。謂わば思想転向である。

 

戦争体験のせいか、僕は小さな時にひどい折檻を受けた。

冬の寒い中、柱に縄で縛り付けられたり、いきなり拳骨で

顔を殴られたり、今でいう幼児虐待を受けた。

そして必ず言うのであった。

「お父さんはお前が可愛いいから、殴ったんだ。

 いい人間になって欲しいから殴ったんだ」

と弁解のような事を後で言うのであった。

しかし、後年それは惨たらしい

戦争体験によるトラウマが原因ではないかと考えるようになった。

戦争で受けた心的外傷が戦後もしばらく残っていたと

考えるようになるまで、しばらく時間がかかった。

かくしてその後、お酒を飲んで陽気になり、

過剰なほど相手を褒めて褒めて、褒め殺しするようなところも

あった。

兎に角、真面目で実直で、不器用で正直、

生きるのに真剣な人間であった。

 

(続く)

 

さらば、偉大なる我が父よ、

 

 

 

今月の10日に72歳の誕生日を迎えてちょっと不思議な

気分になった。

(72歳になってから早18日経過である。)

それは簡単に言えば、まだ72年も生きていないような

気分というか、本当の72歳になっていない心境なのである。

勿論、年相応にあちこちが弱ってきて、頻繁に医者の

世話になり、食も細くなり、緑内障を患い、記憶力も

低下し、気力も集中力も落ちた気がしている。

今日も、難聴で耳鼻科へ行き耳垢の掃除をしてもらった。

対峙している相手の口が動いているのが見えても

何を言っているのか聞き取れない時があるからである。

また昨年の今頃に白内障の手術をした。腰痛もたびたびだ。

風呂で歌うと裏声の出が悪くなった。

声帯が劣化したようである。

それでも72歳になった気がしないのは、なんだろうと

考えてみた。思いついたのは「退行現象」である。

それも所謂「コースティング的」なものである。

 

(続く)

 

 

 

食器に「LOVE」の文字を書いて失敗して見せる。

 

 

10

その昔、朝日新聞の本社が有楽町にあった頃の話である。

僕はきっと大学の授業をサボって社会見学と決め込んで

銀ブラをしていた。銀座の4丁目辺りから有楽町駅の方に

のんびりと歩き人間観察や建築物の観察をしていた。

高速道路の高架橋をくぐり、日劇の前の歩道を横切った瞬間、

何やら右方向に物体が落ちてくるのが見えて、そちらを見た。

若い女性が朝日新聞の建物から落ちてきたのである。

思わずその方向に近づいていった。

その女性は足から着地したのか、両足の底からゆっくりと

血が流れ出した。まだ息をしていた。

(続く)