1
曇った空模様。
灰色の海が低気圧のせいか、荒れている。
風も冷たく吹いている。
荒涼とした風景である。
誰かが大きな声で「土左衛門があがったぞ!」と
叫んでいる。
漁港の近くにある漁業協同組合の建物から数人が
築港の方へ走るのが見えた。
そのうちにパトカーのサイレンが威勢よく聞こえた。
若い母親が俺の手を取って「見に行こう」と
痛いくらいに引っ張って駆け出した。
仕方なくついて行った。
近所からも騒ぎを聞きつけた数人が、海に向かって
ある者は悠然と歩き、また別の者は小走りだった。
小さな船が数隻停泊している岸壁のそばに、
10数名の人だかりがあった。
人だかりの中心には藁で出来たムシロのような物体が
無造作に置かれていた。
集まってきた人たちの視線は当然そのムシロに
注がれていて、先に到着していた警官は、そのムシロを
めくろうともせず、何やら無線でボソボソと
話をしていた。
気がつくと見物人は30名以上に膨れ上がっていた。
俺は母親の手を離し、小柄なことをいいことに、
大人たちの身体の隙間を掻い潜って一番前に行き、
そのムシロをじっと見つめた。
ムシロの間から、青白く透き通った皮膚をした人間の
身体が見えた。よく見ると美しいと思えるような寒天みたいな
肌をした女性の裸の水死体だった。
目は閉じていて、魚に食われたのか、一部に穴が空いていて
奇妙なアート作品にも思えた。
そのうち、警官が「さあ、下がって下がって、道を開けて」
と規制線をはったり、野次馬を排除した。
これが最初に人間の死体を見た瞬間だった。
2
その頃住んでいた家の天井は子供の俺にはとても高く思えた。
その天井の上では度々ネズミが走りまわり面白かったが、
妹は怖がっていた。高い天井の隅は暗くてよく見えないこともあり
妹は余計に怖かったのかもしれない。
居間の少し高いところに天皇陛下の写真が飾ってあった。
母方のお婆さんにあの人は誰かと尋ねると、
「天皇陛下というこの世で一番偉い人だ」と呟くように言った。
それでお婆さんのいないところで母親に同じ質問を
してみた。母親は答えた。
「日本で一番かわいそうな人だよ。何をするにも自由がなくて
監視され、好きなものも食べられずに生きてる人だよ」
俺は混乱した。母と娘で全く違う見解を言い、
それがどうしてなのか、わからなかった。
そしてそれはどうでも良いことに思えた。
ただ、祖母がその写真の下を通る時に少し会釈をした。
その反射的な動作は後になって戦前の教育によって
仕組まれたものであった事を知った。
祖母が教育に従順で素直な性格が滲み出ていたのだった。
その点、母親は戦争によって滅茶苦茶にされた青春を
天皇陛下のせいだと思い込み、しかしそれではどうにもならず、
敗戦の処罰を一身に背負いこみ不自由な生活を強いられている
という勝手な天皇陛下像を創作していたのかもしれない。
新聞やラジオに週刊誌といった情報入手法しかない時代では
会ったこともない天皇陛下の実像を掴むのは難しかっただろう。
俺は大人たちは世の中のこと、森羅万象なんでも知っていて
生きているのだと思い込んでいたが実は何にも知らないで
生きているのだと知るまでに随分と時間がかかった。
所謂知ったかぶりする大人が多すぎるのだと分かったのは
つい最近のことだ。それでも天皇陛下は偉い人だと
思い込んだのは祖母を愛していたからかもしれない。
3
突然に陸上げされた水死体事件。
時間が経つとともに人々の記憶から消えていった。
しかし、数ヶ月経ったある日急にまた人々の話題に登り始めた。
噂話の好きな連中が、どこで聞いたのかヒソヒソと話し、
それを母が聞きつけ小学生の俺に話してくるのであった。
なんでも底引網漁船の操業中に網に引っかかり陸上げされたようだ。
死後随分と時間が経過していたようで現場で見た時には
わからなかったが、右足は殆どなかったようだ。
そう言えば左の胸の辺りにも野球のボールくらいの穴があった
ような気がする。それはそばにいた大人が隣の人に話して
いたような記憶が蘇ってきた。穴は魚や鳥が食べて空いたのだと
解説している野次馬もいた。
ということは、海に沈んだり浮かんだりしたということだ。
次に、水死体はどこの誰かという話題になったようだった。
母はあまり社交的ではないために知り合いが少なかった。
それで息子である俺に無遠慮に話しかけてきて孤独の寂しさを
紛らわせているような節があった。
時々、小学生の俺が恥ずかしくなるような恋愛話を
仕掛けてくるのだった。
彼女の説によれば、水死体の女性は失恋して海に飛び込み
自殺したというのだ。
(続く)
以上は全てフィクションです。