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俺はShattered

50歳を過ぎて、「この調子なら100歳まで」と思っていたら、とんでもない苦境が待っていた。そこをくじけずに、生き延びようとする哀れで滑稽で笑止千万な人生の「後半部分」を再構成するシュールで決定的で虚無的なアメブロ。

アニィタ・パレンバーグ。

その人生はミステリアスで波瀾万丈だった。

第二次世界大戦の最中にドイツのハンブルグで生まれて、

学校にはろくろく行かずとも読書が好きだったので

おそらく独学で色々なことを学んだ早熟な女の子だったことは

容易に想像がつく。

1965年9月14日のハンブルグ公演の楽屋に潜り込んで、

ブライアン・ジョーンズと相思相愛になり、

以後、ブライアンと行動を共にするようになる。

 

やがてストーンズの楽曲創作にも影響を及ぼすように

なったとも言われている。これを当時のストーンズの

創作した楽曲に当てはめて想像すると面白い。

いや、当時の楽曲ばかりではない。

例えば、キースの歌う「Can't be seen(1989年発表)」も

アニタがモチーフになっている感じがしている。

一般的に音楽家が楽曲を創作する場合に、何もないところから

全くの空想または想像力によって作り上げるパターンと

実際に起きた現象からヒントを得て作り上げるパターンとが

あると考えられるが、殆どは後者ではないかと考えられる。

その楽曲創作の契機となる空間にアニタは存在したと思われる。

「Sympathy For The Devil」の「🎵フォーフォー」

という部分は、アニタとグリン・ジョーンズのアイデアだと

いわれている。「ギミーシェルター」は

キースとアニタの逃避行物語が基礎になっているなどと

語られる。

 

一番、影響を受けたのは多分ファッションであろうか。

60年代の初期ストーンズを写真集などで眺めていると

アニタが登場してからのストーンズのファッションセンスや

ヘアスタイルなどが急激に変化してゆくことに驚く。

それはおそらくアニタの忠告やアドヴァイスのせいでは

なかっただろうか。

 

(続く)

 

 

 

 

面白い動画を見つけた。

左は長女アンジェラで真ん中は長男マーロン。

 

当該映画は10月25日より一般公開。

新宿K's シネマ、UpLink吉祥寺他全国上映予定。


アニタ・パレンバーグ。

ローリング・ストーンズのファンなら誰でも知っている

女性であろう。ところが彼女の実際の姿、どんな人生を歩んだのか

詳しくは知らないと思われる。彼女は、8年前の2017年に

75歳でこの世を去った。死因はC型肝炎合併症だった。

 

彼女はストーンズを「マイ・ボーイズ」と呼んだ。

 

その彼女の波瀾万丈の人生を描いた

ドキュメンタリー映画が本作である。

一言で言うならば、大変興味深く面白いドキュメンタリーに

なっている。万人向けのエンタメを拒否している映画だ。

これまで公表されてきた写真や文章によって

出来上がっているパブリックなイメージが揺らいでしまうほどである。

映画の多くはこれまで未公開の、いわゆるホーム・ムービー、

それは8ミリカメラで撮影された音響のない映像を駆使して

荒々しいざらついた映像なのであるが、それがかえってリアリティ

を増幅させている。一瞬も油断ならない映像が寡黙に続く。

 

そもそも彼女は誕生年月からミステリアスだ。

Wikiで調べると、日本版では1944年1月25日に

なっているが、英語版だと1942年4月6日になっている。

生年が2年も違うとはどういうことだろう。

日本版年月を採用するとキース・リチャーズは

年上だが、英語版を採用すると「年下」になる。

キースは1943年12月18日生まれだからだ。

ブライアン・ジョーンズにとっては同い年になる。

日本の映画配給会社は日本版説を採用している。

しかし、僕は英語版説を採用したいと思う。

つまり、キースにとっては「年上の女性」だと言うことになる。

ミックにとっても同じである。このわずかな年齢差は

若い時には関係性における重要なファクターになると

思われる。

 

まずは予告編でも見られるが、アニタがオレンジのマントを

大きく広げて軽やかに登場する。その右手には煙草が見える。

この場面だけでも彼女の核心をよく見せているように感じた。

つまりあの当時「タバコを吸う女性」というのは不道徳に

見えた。

 

映画が始まってすぐに彼女は5ヶ国語を話せたという。

それは、英語、イタリア語、ドイツ語、フランス語、

そしてスペイン語だろうか。その答えは最後まで明かされなかった。

生まれた場所に関しても、これまでの資料ではイタリアのローマで

生まれ、ドイツの寄宿舎で思春期を過ごしたと書いてあったが、

彼女の死後、長男のマーロンによれば実際はドイツのハンブルグ

だと明かされた。生まれた時期を思い出せば、誰でもすぐに

「第二次世界大戦」が思い浮かぶだろう。そして、ドイツ系

イタリア人の両親の元に生まれたという状況を考えれば、

さらに想像は駆け巡る。戦時下、イタリアとドイツは

同盟国だったことから、彼女の人生の初めから破天荒な境遇が

あったわけである。食うや食わずの日常が当然のように

目の前にあったと思われる。そういう社会混乱の中で彼女は

16歳でミュンヘンのアートスクールを退学させられる。

その辺りの正確な経緯はさほど問題ではない。

僕が注目するのはその「混血性」だ。環境によって培われる

感性の質的変異が特に興味が湧く。

そしてそのセンスがどのようにストーンズの中に流れ込むのか

が最も興味が湧いてくる点である。

 

1965年9月13日にアニタはストーンズの楽屋に潜り込んだ。

ストーンズのミュンヘン公演である。この年、ストーンズは

「サテスファクション」の大ヒットもあり、ここぞとばかりに

ツアーをしまくりあちこちで騒動を繰り広げていた。

一方で、アニタは(このアニタの発音も正確にいうとアニィタのようだ)

1963年にニューヨークへ行き、ファッション・カメラマンの助手を

したり、モデルもしていたようだ。アンデイ・ウオーホルの

「The Factory」にも出入りしていたようだ。このセンスが

簡単に楽屋に潜り込みブライアン・ジョーンズと恋仲になるほど

役に立ったのだと思われる。ニューヨーク帰りのセンスのいい

モデル、しかも若い。23歳だ。

 

 

 

(続く)

 

 

当該映画は10月25日より一般公開。

新宿K's シネマ、UpLink吉祥寺他全国上映予定。

 

 

予告編 キャッチング・ファイア

 

 

 

コケティッシュなアニィタ💕

 

物憂げなアニタ・パレンバーグ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

猛暑である。

北海道の北見市や網走市で最高気温35度を超えたようだ。

フェーン現象で道東の方が暑いようだ。過去に例を見ない暑い夏。

 

そんな過酷な気候の中で渋谷陽一氏の訃報が聞こえてきた。

享年74歳、2年前に脳出血を発症しリハビリ中で今年になって誤嚥性肺炎を併発したと言う。謹んでお悔やみ申し上げます。

 

  あれはいつの事だったか、多分1973年頃だったと思う。52年前の昔のこと。新宿のロック喫茶「サブマリン」で見かけたことがある。彼はミニコミ投稿誌「ロッキンオン」を創刊してロック喫茶に委託販売をして回っているようだった。(投稿誌と言うところがミソ。漫画誌ガロみたいだなとその時思った)それを買って読んだら「架空インタビュー」とか「確信的なサウンド、レッドゼッペリン」などの文言が並んでいた。当時、70年安保闘争で衰弱し虚無的になっていた若者の気持ちや知性をくすぐるような文章が並んでいた。既存の音楽雑誌に挑戦しているような意気込みも感じた。(それは多分、ミュージック・ライフ、音楽専科、ミュージックマガジン等に向けて放たれた矢のようなものだったかもしれない)

 

 その中に「ローリング・ストーンズのような曖昧なサウンド、形骸化した過去の音楽」と言うような文言を見つけた。書き手は確か岩谷宏だったと記憶している。そこで抗議文を送った。「ローリング・ストーンズは現在的で先鋭的なバンドであり、好き嫌い的価値判断で直情的な感想文を公表するべきではない。現実を直視せよ」などと書いた記憶がある。するとロッキンオン第3号の緑色した表紙の号に「時代遅れの粋がったファンクラブ」などと再度岩谷宏が書いていた。ロッキンオンは、日本の洋楽ロック音楽の黎明期に、ビートルズ、デヴィッド・ボウイ、キング・クリムゾンなどを基調とした偏向性の高いミニコミ誌としてスタートしたのだった。つまりアンチ・ローリング・ストーンズだったようである。

 主に文体に特徴があり、吉本隆明の「試行」と言う同人誌を参考にしているように見受けられたが、編集長の渋谷陽一はそれよりも何よりも凄まじく「働き者」で商魂に長けているなと感じた。レコード会社をあちこち周り音楽を聴き漁り、文章を書き編集し、売り込み宣伝し、ラジオのDJでしゃべりまくり、みるみる業界で頭角を表していったのだった。おそらく睡眠時間は相当少なかったと思う。

 1978年、ストーンズはアルバム「女たち」を発表した。日本でのレコード発売も六本木にあったワーナー・パイオニアから溜池の東芝EMIに移籍した。ここで宣伝担当課長だった石坂敬一氏と渋谷陽一氏はがっちりと繋がった。石坂氏は渋谷を特別可愛がったようだった。その頃雑誌「ロッキンオン」は隔月発行からいつの間にか月刊誌になっていた。裏表紙は東芝EMIの新譜が決まって掲載されるようになっていた。広告料収入の確保を抜めなく増やしていた。

 渋谷陽一は「女たち」のライナーノーツを書き見事にストーンズ・ファンに変貌したのだった。しかし彼の殆どの仕事を俯瞰してみれば、明らかにストーンズ関係が不得手に思えた。

 またこれは最近のことだが、1969年に創刊された「ニューミュージック・マガジン」編集長中村とうようさんとの論争は、面白かった。互いにほぼ罵倒に思えた論争は、外部から見ている傍観者の我々からすれば、愉快なものだった。知的で音楽的教養の高い中村とうよう氏に、モノマネ上手の渋谷陽一氏が挑むのは内実においても滑稽にも見えた。中村とうよう氏がワーナーパイオニアの最後のアルバムとなった「Love You Live(邦題:感激!偉大なるライヴ:庭野氏命名)」のアルバム評「前人未踏の境地をゆくローリング・ストーンズ」の文章に深い感銘を覚えていたので、渋谷陽一の書くストーンズ関連文章はややチャチな紛い物に感じていたからかもしれない。

  人は一度持った先入観にとらわれて逃れることはなかなか難しいものである。

 とは言うものの僕はいつも渋谷陽一の熱心な読者でもあった。

ロッキンオンの「渋松対談」はいつも立ち読みしていたし、彼の書く「ストーンズ関連の文章」はくまなく読んでいた。本当は好きでもないバンドをどのように書くのか、または語るのかが見もの、聞き物だった。それと「産業ロック」と言う言葉使いも気に入っていた。そのシニカルな言葉使いは彼の本性を見事に表現しているとも思えた。ロックは商売道具にしか見えないプラグマチズムが好きだった。自分自身は批評家と言うよりかは、編集するのが好きだとも言っていた。その素直さは、羨ましい限りである。要するに根っからの商売人であった。「売れる音楽がいい音楽」とも言っていた。どこかストーンズのプロダクションに通底する精神的なファクターを感じることもあった。いわゆる近親憎悪のような感覚で、ストーンズを見ていたのかもしれない。あるいは全く音楽そのものを聴いていたのではなく、「売れるか、売れないか」と絶えず考えて音楽と接していたのかもしれない。それはある意味で不幸でもあった。

 

 ローリングストーンズ2006年のビガーバン東京ドーム公演で、駐車場のエレベータに偶然同乗したことがある。下を向いてとても疲れているように見えた。声をかけるのも憚られた。コンサートは楽しむために行くものではなく、あくまで仕事なんだと言っているようだった。

 

 新宿のサブマリンで「売れ残りが山のようにあるんですよ」と言いながら、サブマリンのマネージャー・チョークと苦笑いしていた姿が忘れられない。

 

安らかにお眠りください。

 

 

   

        渋谷陽一氏逝去74歳

          (誰かが岸信介に似てると言った)

 

 

 

新宿駅のそばにある武蔵野館で「桐島です」という映画を見てきた。

 

観客は意外に多く、場内に入った時に戸惑った。座席の感触はあまり良いとは言えなかったが。座り心地が良いとついウトウトして眠ってしまう。映画の内容や展開もあるが、72歳にもなると常時疲労が蓄積していて、ついウトウトしてしまう。だがこの映画は初めから終わりまで我が脳神経にある種の緊張を強いて睡魔がおとづれる事はなかった。

 

桐島聡(きりしま・さとし)は実在の人物である。

1970年代中期に連続企業爆破事件に関与したとして全国に指名手配された人物である。長期間、地下鉄の駅などに700万枚のポスターが掲示されていたので一度は見たことがあるという人も多いだろう。

 

昨年の、2024年1月26日神奈川県内の病院に「末期癌で入院」している事が判明したという衝撃的なニュースが全国に流れた。病状は悪化しその3日後に亡くなった。死の直前、「私はウチダ・ヒロシではなく、本名はキリシマ・サトシです」と名乗った。多分、そばにいた医者や看護婦は腰が抜けるほどびっくりしたと思われる。

 

その桐島聡の半生、21歳から70歳までの逃亡生活を知りうる限りの資料と持ちうる限りの想像力によって、この映画は作られた。つまり、一部はドキュメンタリーであり、残りの部分は想像力による虚構、創作というシマウマ模様のような構造になっている。

 

最も興味を惹かれたのは、年齢であった。70引く21は、49年間である。すなわち49年間の逃亡生活ということになる。しかも、その大部分が神奈川県の藤沢市に住み込み労働者「ウチダ・ヒロシ」として暮らしていたという事である。官憲などの多くは多分国外逃亡しているだろうと推測していたようだ。さて「49年間の逃亡生活」とは如何なるものか?

それがこの映画の一番の見どころである。

 

桐島は俺よりも一年年下だが、ほぼ同年齢の男の逃亡人生とはどんなものだっただろうか。その為には多くの予備知識が必要かもしれない。1970年の安保反対に係る過激な学生運動の顛末を知らなければ、多分この映画はさほど面白くないだろう。1960年から1970年にまたがる所謂「60年代の学生運動」が当時の政府によって抑え込まれ、連合赤軍や浅間山荘殺戮事件から三島由紀夫割腹事件のような一連の出来事を、俺はぼんやりと思い出しながらスクリーンに見入った。

 

しかし、「逃亡」と言うが桐島は全然逃げてはいない。ただ「隠れて」いたと言うべきだ。或いは「変装」または「仮装」していたと言った方が適切ではないか。逃亡は追いかける者がいて、ある地点から別の地点に「移動」することを言うのではないか。

 

49年間という時間、自分のアイデンティテイを押し殺し、いつでも逃げられるように靴を履いて寝たり、髪を切って風貌をすっかり変えて日常を暮らすとはどんなようすなのか。

 

また全国指名手配される要因となった「連続企業爆破事件」とは何なのか?「人を殺傷せずに革命を起こす」などと言う非現実的な空想論はどこから思いついたのか。

 

「ハラハラ時計」と言う爆弾製造の手引書が出てくる。そしてどこかの下宿みたいな部屋で、このホンを参考に火薬を調達し計量し製造する場面が出てくる。そして1974年12月23日鹿島建設を爆破。さらに1975年2月28日、今度は「ハザマ組本社ビル6階営業本部爆破。1975年4月27日市川市ハザマ組江戸川作業所爆破、同年5月4日江戸川区ハザマ組作業所爆破。この出来事は事実である。

 

爆弾を作って企業に仕掛け、爆破してどうするつもりだったのだろう。

しかも、絶対に死傷者を出さないルールを作り実行したようだ。

マルクス主義的革命論や資本論、毛沢東思想、ゲバラとかそういった政治的思想の片鱗も見えない。

 

そもそも当時「東アジア反日武装戦線」と言う文字が新聞や週刊誌、ラジオテレビなどで頻繁に見受けられたが、実際は3つのグループ、即ち「大地の牙」「狼」「さそり」があり、それぞれ3人から4人のちっぽけな組織だったように映画では描かれている。桐島はその中の「さそり」に属していたようだ。この辺りから多分想像力による「創作的展開」になっているのであろうか。

 

(続く)

 

 

 

 

エレベーターまで映画の広告を貼って宣伝していた。

パンフレットは¥1,000。役者の説明や制作裏話が掲載されていて面白い、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんばんは

 

台風5号がやってきて、さらに暑くなって来ました。

東京はもうすぐ梅雨も明けるでしょう。

 

今年も恒例の「勝手にミックの誕生会@銀座TACT』を開催いたします。

ミック・ジャガーは信じがたいことにもうすぐ82歳になります。

もう一度言います。

ローリングストーンズのヴォーカル、ミック・ジャガーは82歳になります。

これを祝して日本全国からファンが集まり楽しく濃厚な祝賀会を催したいと思います。出し物はまず「池田祐司と岩田夏樹による対話形式」のミック・ジャガーとは一体どういう人間なのか、百面相を持つと言われるミックの本質を語り合いたいと思います。実際にミックと対面し話した事を題材に、いかに賢く優れた人物であるかを探求したいと思います。

次に「プレゼント大会」と称して、色々様々な景品をプレゼントしたいと

思います。これは大変難しいコーナーで、抽選にすると「欲しくないものをくれた」という苦情を以前いただいたので、景品を提示し欲しい方に手を挙げてもらい差し上げることにしています。中には鑑定団に出すとびっくりするような高額景品も含まれております。(最近では集団じゃんけん方式にしております。)景品は、1973年の英国カーディフ公演のポスターです。ミック・ジャガーの直筆サイン入りです。とあるオークションでは16万7000円の値がつきました。世界に3枚しかありません。(下部に写真表示しました)

 

 そして続いて『美味しい豪華なバースデイケーキ』を披露します。

これは永田夫妻による作品です。そしてそして武原恵さんのピアノ伴奏に合わせ、「Happy birthday」をみなで元気に合唱した後、タクトのキッチンでケーキを切り分け、皆で分けていただきます。これがまた美味しい絶品ケーキと評判です。

 

続いて「しゅりんぷ小林の抱腹絶倒紙芝居」です。

何が飛び出すか危険の多い紙芝居です。以前にはツアー中の恥ずかしい暴露話が飛び出してびっくりしたものです。なおギターによるBGMはshowerZのモンタ君により打ち合わせなしの即興的な音楽になります。(ここまじ注目)今回はさらに実験的なLive Paintingがあるとか。

そしていよいよライヴ演奏です。

 

今回は特殊な事情(※)によりいつもの「べガーズ・バンケッツ」は出演叶わず、急遽、南青山のレッド・シューズ出身「K'n'K」にお願いし、快諾をいただき実現することになりました。ブライアン片山さんは非常にメイニアックな技巧に富んだマルチ・プレーヤーで日本を代表するストーンズ・ファンでもあります。そしてVocal&ギターは、青山レッド・シューズの支配人でもある門野君が表現力豊かに歌ってくれます。演奏曲は、この日のために特別に選曲した内容であります。セトリは未だ極秘です。

 

★参加希望者は、下記までメールください。

メールのタイトルは「勝手にミック82」と記入。

氏名、住所、電話番号、年齢を記入してください。

締切:7月23日午後12時 締め切りました。

メルアド:

rsfc@concerto.plala.or.jp

 

 

 

改訂版 Ver.3

 

 

 

SP特製XXXXXXXXXXXXXXXXXX

 

ミックの直筆サイン入りカーディフポスター

(世界に3枚しかない貴重品)

 

 

 

これもかなりの貴重品。オークションで9万円、

それをじゃんけんでプレゼント。