俺はShattered

俺はShattered

50歳を過ぎて、「この調子なら100歳まで」と思っていたら、とんでもない苦境が待っていた。そこをくじけずに、生き延びようとする哀れで滑稽で笑止千万な人生の「後半部分」を再構成する決定的で虚無的なアメブロ。

平凡な人生をのろのろと歩いていた男が、突然悲劇的な苦境に追い込まれ、のたうちまわる様子を本人が、曖昧模糊とした記憶を辿りながら紡ぎだす人生ドラマ。書いている本人は「壮絶」だと感じているが、読者には「じじいが意味不明なことをぼやいているなあ」と感じられるように、努力したいと思います。(励まし、賞賛礼賛、好意的感想、などは歓迎します)








1

曇った空模様。

灰色の海が低気圧のせいか、荒れている。

風も冷たく吹いている。

荒涼とした風景である。

誰かが大きな声で「土左衛門があがったぞ!」と

叫んでいる。

漁港の近くにある漁業協同組合の建物から数人が

築港の方へ走るのが見えた。

そのうちにパトカーのサイレンが威勢よく聞こえた。

若い母親が俺の手を取って「見に行こう」と

痛いくらいに引っ張って駆け出した。

仕方なくついて行った。

近所からも騒ぎを聞きつけた数人が、海に向かって

ある者は悠然と歩き、また別の者は小走りだった。

小さな船が数隻停泊している岸壁のそばに、

10数名の人だかりがあった。

人だかりの中心には藁で出来たムシロのような物体が

無造作に置かれていた。

集まってきた人たちの視線は当然そのムシロに

注がれていて、先に到着していた警官は、そのムシロを

めくろうともせず、何やら無線でボソボソと

話をしていた。

気がつくと見物人は30名以上に膨れ上がっていた。

俺は母親の手を離し、小柄なことをいいことに、

大人たちの身体の隙間を掻い潜って一番前に行き、

そのムシロをじっと見つめた。

ムシロの間から、青白く透き通った皮膚をした人間の

身体が見えた。よく見ると美しいと思えるような寒天みたいな

肌をした女性の裸の水死体だった。

目は閉じていて、魚に食われたのか、一部に穴が空いていて

奇妙なアート作品にも思えた。

そのうち、警官が「さあ、下がって下がって、道を開けて」

と規制線をはったり、野次馬を排除した。

これが最初に人間の死体を見た瞬間だった。

 

2

その頃住んでいた家の天井は子供の俺にはとても高く思えた。

その天井の上では度々ネズミが走りまわり面白かったが、

妹は怖がっていた。高い天井の隅は暗くてよく見えないこともあり

妹は余計に怖かったのかもしれない。

居間の少し高いところに天皇陛下の写真が飾ってあった。

母方のお婆さんにあの人は誰かと尋ねると、

「天皇陛下というこの世で一番偉い人だ」と呟くように言った。

それでお婆さんのいないところで母親に同じ質問を

してみた。母親は答えた。

「日本で一番かわいそうな人だよ。何をするにも自由がなくて

監視され、好きなものも食べられずに生きてる人だよ」

俺は混乱した。母と娘で全く違う見解を言い、

それがどうしてなのか、わからなかった。

そしてそれはどうでも良いことに思えた。

ただ、祖母がその写真の下を通る時に少し会釈をした。

その反射的な動作は後になって戦前の教育によって

仕組まれたものであった事を知った。

祖母が教育に従順で素直な性格が滲み出ていたのだった。

その点、母親は戦争によって滅茶苦茶にされた青春を

天皇陛下のせいだと思い込み、しかしそれではどうにもならず、

敗戦の処罰を一身に背負いこみ不自由な生活を強いられている

という勝手な天皇陛下像を創作していたのかもしれない。

新聞やラジオに週刊誌といった情報入手法しかない時代では

会ったこともない天皇陛下の実像を掴むのは難しかっただろう。

俺は大人たちは世の中のこと、森羅万象なんでも知っていて

生きているのだと思い込んでいたが実は何にも知らないで

生きているのだと知るまでに随分と時間がかかった。

所謂知ったかぶりする大人が多すぎるのだと分かったのは

つい最近のことだ。それでも天皇陛下は偉い人だと

思い込んだのは祖母を愛していたからかもしれない。

 

 

3

突然に陸上げされた水死体事件。

時間が経つとともに人々の記憶から消えていった。

しかし、数ヶ月経ったある日急にまた人々の話題に登り始めた。

噂話の好きな連中が、どこで聞いたのかヒソヒソと話し、

それを母が聞きつけ小学生の俺に話してくるのであった。

なんでも底引網漁船の操業中に網に引っかかり陸上げされたようだ。

死後随分と時間が経過していたようで現場で見た時には

わからなかったが、右足は殆どなかったようだ。

そう言えば左の胸の辺りにも野球のボールくらいの穴があった

ような気がする。それはそばにいた大人が隣の人に話して

いたような記憶が蘇ってきた。穴は魚や鳥が食べて空いたのだと

解説している野次馬もいた。

ということは、海に沈んだり浮かんだりしたということだ。

次に、水死体はどこの誰かという話題になったようだった。

母はあまり社交的ではないために知り合いが少なかった。

それで息子である俺に無遠慮に話しかけてきて孤独の寂しさを

紛らわせているような節があった。

時々、小学生の俺が恥ずかしくなるような恋愛話を

仕掛けてくるのだった。

彼女の説によれば、水死体の女性は失恋して海に飛び込み

自殺したというのだ。

 

(続く)

以上は全てフィクションです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんばんは

今年もやります、懲りもせず。

ミック・ジャガー81歳誕生会。

いつものように銀座タクトにて12時から開演です。

ミックが80歳を超えて、今でもステージに立っている事は

本当に奇跡のような驚くべき事です。

この奇跡のような事態を祝って勝手に誕生会を開催します。

お時間のある方は是非お越しください。

演目は、

池田祐司の「ストーンズ・ファンの在り方」と

Nackyの「今回のチケット確保の苦労」などを話題に

トーク・ショーを楽しく展開しようと目論んでおります。

そして、プレゼント大会は「ツアー・プログラム」を

メインに大盤振る舞いをいたします。(抽選)

豪華なミック81特製ケーキを披露して「Happy Birthday Mick」

をみんなで合唱します。(ピアノ演奏:めぐみちゃん)

それから

漫画家しゅりんぷ小林の傑作『爆笑ストーンズ紙芝居』

をライヴでご披露します。(BGMギター演奏はMonta。)

何が飛び出すかはお楽しみに。

そして、

あのBeggars から見事な変身をしたBeggars Banquetsが

新たなメンバーを加えてLive を展開します。

現在、決まっていることは以上ですが、今後、追加があれば

またお知らせします。

池田祐司(71歳)拝

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

英語の発音の勉強になるわ。Got Live if you want it!!

 

               語れ!お前のストーンズ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(前回からの続き)

 

ミックもキースもウイルターン公演の時は59歳。

偶発的にしても素晴らしい奇跡的なコンサートになった。

この時の「リックス・ワールド・ツアー」における会場を大中小に分けて

演じられるトリロジーのアイデアは3年前の1999年「NO SECURITY TOUR」の時に原案が論じられていた。

 僕はこの時期ストーンズの宿泊ホテルのバーやロビー、またバックステージのオフィスで度々面白い経験をした。それはツアーの親玉マイケル・コールのスタッフに紹介され、面白いミーティングに参加したことだ。最初は単なる冗談や世間話をする場だと思っていたが、実は色々なアイデアを発案し、それが実現可能か検討するミーティングでもあったのだった。

彼らは日常から様々なアイデアを出し合い、話し合い、検討しているのであった。それ以前は漠然と、ステージのデザインのアイデアや演奏曲順は

ミックやキースからアイデアが湧いてくるのかと思っていたが、そうではなくてプロフェッショナルなアイデア集団がいて、そのアイデアをミックやキースに提言して検討されて実現に至るようであった。その中には照明に関するものや舞台装飾に関するものなど様々な事項が含まれていた。

 

(続く)

 

 

 

Tシャツプレゼントは締め切りました。次回もお楽しみに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京は雨が降っています。

これから雪に変わるかもしれません。

寒いです。

今日は3月8日です。

それでもそろそろ春が近づいています。

棚卸しです。決算時期です。

入学シーズンです。

卒業もあります。

入社や退職、色々あります。そこで

恒例の謝恩Tシャツ無料プレゼントです。

厳正な抽選で20名様に。

ご希望の方は、下記のメルアドにてお申し込みください。

締切は3月20日(㊗️水曜日)です。

メールには下記の事項をお書きください。

1、氏名

2、住所

3、RSFC会員番号

4、ローリング・ストーンズの好きな曲3曲

5、年齢

6、Tシャツの希望サイズ(SS, S,M, LL)

7、電話番号

 

メルアド;rsfc@concerto.plala.or.jp

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

白内障手術後通院中。

 

 

 

 

 
 

 

(続き)

 

ライヴとは刹那的なものである。

その刹那的な出来事を撮影作業によって記録するという極めて現代的な

手法に賛辞を贈りたい。しかしながら一抹の不安もよぎる。

つまり、このウイルターン劇場のストーンズの歓喜に満ちたコンサート現象を編集作業によって歪められてはいないかという不安である。

撮影技術の進化や機材の進化によって、驚くほど現実に起きた現象よりも

よくなっている場合もあるが悪くなってる場合もある。

現実に展開されたコンサートの不具合を調整されたり加工したりする場合もあるし、当日のミキサーや撮影技術者の無理解によって、

全く別物になってる可能性もある。

それ故に、実際のコンサートとDVDやBlu-rayに記録された雰囲気とは

少なからず異質なものになっている可能性は否定できないであろう。

と同時に我が脳髄に記録されたウイルターン劇場の歓喜は、

全く違う位相に蓄積されているとも限らないという認識も

併せて考えるのである。

そういう考え方を前提にして差し引いたり足したりしても、

現段階では「極上のストーンズのライヴ」と言い切っても

差し支えないだろうと考える。

どうして上記のようなことを考えるかというと、

レコード会社の発信している日付に誤りがあるからである。

このコンサートは2002年11月22日にLAのウイルターン劇場で

行われたとあるが、正しくは11月4日である。

この初歩的なミステイクは、どうでもいいように思えるが、

実は大変重要な事実でもある。というのはストーンズのツアーは

最初の方と最後の方では随分異なっているからである。

出だしでセットメニューに入っていた曲がなくなったり、

追加されたりする。大概は初日の曲数よりも減ってゆく傾向が

ある。しかし、出だしは初期投資のプレッシャーや緊張から

バンドの持っているグルーヴが一部欠落していたりする。

しかし序盤を過ぎてソールドアウトショーが実現し、

バンドの調子がよくなってきて、演奏に錬磨されたグルーヴが

蘇ってくると全然違った魅力が生まれてくるようだ。

つまりこのウイルターン劇場のライヴはその採算分岐点を

無事に乗り越えたストーンズのショーであるからこそ、

生まれた歓喜であると言えるのではないか。

まずは演奏曲の多彩さにおいて驚くべきだと思う。

[Blu-ray/DVD]
01. ジャンピン・ジャック・フラッシュ
02. リヴ・ウィズ・ミー
03. ネイバーズ★
04. ハンド・オブ・フェイト★
05. ノー・エクスペクテーションズ★
06. ビースト・オブ・バーデン
07. ストレイ・キャット・ブルース
08. ダンス(パート1)★
09. エヴリバディ・ニーズ・サムバディ・トゥ・ラヴ★
10. ザッツ・ハウ・ストロング・マイ・ラヴ・イズ
11. ゴーイング・トゥ・ア・ゴー・ゴー★
12. バンド・イントロダクションズ(通称、メンショー。メンバー紹介)
13. スルー・アンド・スルー★
14. ユー・ドント・ハフ・トゥ・ミーン・イット★
15. キャント・ユー・ヒア・ミー・ノッキング
16. ロック・ミー・ベイビー★
17. ビッチ
18. ホンキー・トンク・ウィメン
19. スタート・ミー・アップ
20. ブラウン・シュガー
21. ダイスをころがせ

 

一見しただけでも、驚くべき内容である。


そもそもこのLICKSツアーの全体像こそ面白いものだった事を

思い出して欲しい。つまり、会場の規模を大中小に分けて、スタジアム、

アリーナ、シアターと交互に展開したツアーだった。

これがレア曲を演奏する考えに直結していたのである。

演奏する曲は、ミックが原案を提示し、キースがそれを承認するという

契約になっている。とはいえ、長年演奏していない曲やリハーサルで

演奏していない曲を本番で突如演奏するという事は、いくら

ストーンズでも叶わない相談だ。

このウイルターン劇場の歓喜は、つまり考え抜かれた上に、

メンバーの体調が良好で、ノリに乗っていたショーだったからこそ

実現できたと考えられる。そして、ソロモン・バークである。

 

(続く)

いみじくも本日発売日である。