先日、武術・武道好きな人たちと飲食しながら話してて、「合気道の世界は多様だが、合気道開祖・植芝盛平先生の技に一番近い会派はどこか?」という話になった。


私としては、開祖の技は時代により変わっていったので、どれか1つを当てはめるのは違うように思う。


開祖の戦前の本、「武道」に見る動きは、養神館合気道に近い。

一方、開祖最晩年の内弟子だった人(つまり、いわゆる「岩間スタイル」の人)に言わせると、養神館の動きはまた違うと言う。


晩年の内弟子さんによると、開祖はよく「技を創れ」と言ってたそうで。本人も工夫と鍛練を積み重ねていたから、技が変化(進化?)していく。

養神館も晩年の岩間スタイルも、どちらもその当時の開祖に近いのだろう。一概に「開祖に一番近い動きの会派のここ」とは言えない。


技の変化の一例として、二教裏を考えてみよう。

合気会の多くで、二教裏は胸近くにくっつけてカタチを作る。

この「胸につける」技法は後年の工夫だそうで、それ以前のスタイルを伝える養神館ではやらないようだ。

前述の本「武道」においては既に「胸につけるカタチ」が撮られているが、この本が書かれた頃がちょうど過渡期であったらしい。


写真を見る限り、古くは二教裏の時に相手の足を踏んだりもしたようだ。

大東流にも同様に踏む技があるようだが、今の時代の合気道に、そんな動きは無い。少なくとも私は見たことがない。

……だが、開祖晩年の内弟子だった人に聞いてみると「ああ、ソレね。」とご承知の様子。しかし話したくはないようなので、それ以上追求はしなかった。


その段階に達してない人に聞かせたら毒になるようなこともあるので、「訊かれたからと知ってることをなんでも話せば良い」というものではないらしい。


踏む動作が何故無くなったのか?その理由はわからない。

危険だと秘匿したのか、現実的ではないと捨てたのか、教える上で必須ではないから省略したか、あるいはもっと別な意味があるかもしれない。

ただ1つハッキリしていることは、「開祖の技は時代や状況によって変わる」ということ。


合気道の稽古をしていく上で、「合気道とは何か?」と問う姿勢は必要だと思うけども。あまりカタチに囚われても意味が無いと思う。