北海道のMさん(御主人Kさん)より、御両親の【遠隔:神力御供養】依頼。
♦Kさんにブログに書く事を了承を得ています。
最初に御父様Eさんの御供養。
58年前に亡くなられているという事で
写真はかなり古い。
令和4年10月30日
午後5時15分
般若心経を唱えて、御父様Eさんをお呼びする。
御父様Eさん御自身が話された。
亡くなられた後、修行中(学び・気付き)は御自身がこちらに話しを出来る事は、あまり無い。
【御父様Eさんより】
『背中がずっと重くて、ひたすら歩き、ひたすら歩き、どこへ行けばいいのか、道はずっと続いていた。
自分が何故こうしているのか解らず、ひたすら重い物を担いで歩いていた。
道は平坦で、歩いても歩いても道は続く。
それでも、遠くに光りが見えるから歩いていた。
そして、その光りに今呼ばれた。
背中の重いのが消えた。
足元の薄曇りも消えて行った。
自分はこれから次の道に、この軽くなった体と共に進み、どのような事が来ようとも、もう大丈夫。
何故ならば今は、その光りと共に居るから。
呼んでくれて、ありがとう。
お互いに、お互いのすべき事、進む道、共に行こう。
ありがとう。
道は険しい。
でも、自分を失う事が無ければ大丈夫。
お互い、やる事は解っているはず。
ありがとう。』
これを聞いている途中から僕は涙が溢れた。
最初、御父様Eさんは僕に話しているのかと思ったけど、これは父親として息子Kさんへの言葉。
☆勘違いされると良くないので先に書いておきます。
御父様Eさんのいらした状況は
【罪穢れの為に辛い修行をしている】という状況ではありません。
決して【修行という暗闇】を歩いていた訳ではありません。
最後に般若心経を唱えて神力御供養の幕を降ろす。
御父様Eさんは、こちらに向かい深々と御辞儀をされて、うなずかれて行かれた。
以上。
この遠隔:神力御供養での御父様Eさんの事を息子Mさんにメールでお伝え。
Mさんより
『ご供養有難うございました。
この状態は、あまり良い所に居なかったという事でしょうか?
孤独で、重い荷物は罪穢れという事でしょうか?
20年は供養と言うものをしてきて、良い所に行ってると言われていたので、びっくりしました。
一番古いお父さんが行を続けていたので、言葉が出たと言う事でしょうか?』
Mさんは、ある宗教に長年入っていて、御父様の供養を20年間続けて来ていて、【良い所へ行っている】と言われていたから【天国に行けている】と安心していたけれども、今回の神力御供養で【御父様の現在の状況と、御父様からの言葉】を聞いてビックリされたという事でした。
僕のブログを読まれている皆さんにも、【神力御供養】での内容の意味を勘違いしないでもらいたいので補足をします。
御父様の居らした状況は【罪穢れの為に辛い修行をしている】という事ではありません。
決して【修行という暗闇】を歩いていた訳でもありません。
御父様から戴いた言葉は、全て御家族に対する言葉。
【光り】は、次なる御父様の【学び・気付き】の為の修行の場。
こうして、御父様が御家族に言葉として伝える事が出来た喜びの光り。
そして、御父様とっては【光り】は御家族の事でもあるのです。
【担いでいた重み】は決して苦行の重みでは無く、【伝えたい事の言葉の重み】でもありました。
簡潔に表すと
【おまえも頑張れよ!
俺もこっちでがんばるからよー】
って事です。
そして、このように言葉として戴いたのも、御父様が着実に【魂の向上】をされているが故の事です。
【神力御供養】をすると、霊の皆さん全員が最後に必ず、僕に向かい深々と御辞儀をされます。
【あちら側】から見ている皆さんは、僕が【神の遣い=神の子】である事が解っています。
○想いを持って供養をしてくれた事
○それによって次の場所へ進めるようになった事。
その全てへの感謝の気持ち。
御供養を行った皆さんに、最後に必ず深々と御辞儀をされる。
それに全てが表れています。
縁あって【神力御供養】をしてあげられている事を僕自身も、とても嬉しく想います。
今まで、そしてこれからもですが【神力御供養】をさせてもらっている中で、少しずつですが解る事がたくさんあります。
人間が作った仏教では、死後の世界は6つに分けられているようですが、実際には人間の常識や想像では全く及ばない、たくさんの場所があります。
死後、それぞれの人(魂・霊)に必要な【学び・気付き】の為に神仏様により、とても多くの場所が用意されています。
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