朝ドラ・『ブギウギ』に登場する茨田りつ子のモデル、淡谷のり子さんが描かれている記事を見つけました。
(NHK青森放送局より)
そんな彼女の半生をを扱ったドラマは、
幾つか存在したようですが、
私が記憶しているのは、1980年にNHKで放送されたドラマです。
淡谷のり子役は、今は亡き太地喜和子さんが演じまして、
今にして思うとドンピシャ
なハマり役でした。
淡谷のり子さんは、
1907年(明治40年)に青森県の裕福な呉服店に生まれたものの、
3歳の時に青森大火と呼ばれる火災に合われたり、
その後、店の商売が傾いたり、そのせいで両親も不仲になるなど、相次いて不幸に見舞われます。
そうした中、
淡谷さんは、母親や妹と上京し、音楽学校に入学し、本格的に声楽を学びます。
けれど、その後も災難に見舞われ暮らしは行き詰まり、
淡谷さんは、当時としては割の良いヌードモデルのアルバイトを始めるのでした。
その後の1929年、
淡谷さんは音楽学校を首席で卒業し、ソプラノ歌手としてスタートするも、家族を支える為に稼ぎの良い流行歌手の道へ。
1937年には、
『別れのブルース』が発売され、1年半後に戦地である中国の大連からブームが起こり、大ヒットへ。
その後の活躍は、周知の通りです。
後年、
歌謡界の大御所として、
揺るぎない存在感を天寿を全うするまで放たれました。
私の記憶の限り、淡谷さんの晩年は、
モノマネお笑い番組の辛口審査員として、違った側面もお茶の間に披露して下さったので、
恐れと共に、親しみも感じた淡谷のり子さんでした。
その懐かしさから、
私は、淡谷さんのモノマネ芸人と淡谷さんのやり取りの動画を探し出して、爆笑してしまったりしたのですが、
当記事では、
淡谷さんに対して内心、申し訳無さも感じたので、
それら動画の掲載は、控えさせて頂きます。
代わりに、
淡谷さんが登場した無邪気で可愛らしいCM動画を以下、上げさせて頂きました。
大御所なのに、
御愛嬌たっぷりな淡谷のり子さんを、
今一度、忘れないようにしたいと思います。
(淡谷のり子さん・終わり。)
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雑誌/『婦人公論』読者手記・傑作選入選
入選作品は、当ブログ掲載の「うずく、沖縄」と同じ内容です。
(直木賞作家・小池真理子さんより講評を頂きました。)