そんな草刈さんの、
ブレーク当時の多忙ぶりを示す雑誌記事を見つけましたよ~。
(多忙を極めた頃。 実は、こちらが初主演ドラマだったそう。)
そして当時は、故郷の北九州市からお母様を東京に呼び寄せて一緒に暮らしていた訳ですが…
草刈正雄さんは、あまりの多忙さから睡眠時間も取れない中、
帰宅すると家の階段をふらふら上がって行ったそう…。
その樣を見たスエ子さんは、正雄さんの体調をとても心配していらしたそうでした。
(はい。この話、
当時の確か 何かの記事で読んだ覚えが有ります。)
またこの頃、
草刈さんのお宅を、しばしばファンが探して当てて訪ねて来る事も
あったそうで、
心優しいスエ子さんは、
訪ねて来たファンをお家に上げてあげていた、とも聞きました。
(これも当時の記事による私の記憶から。 今じゃ考えられませんね~。)
その後の活躍も目覚ましく、
1980年公開の角川映画の「復活の日」の主演を務める。
イギリス人女優・オリビア・ハッセーさんとも、
恋仲を演じました。
以下、主な出演者一覧です。
日本のみならず出演俳優も国を越えたスケールの大きさに、今さらながら感心…。
と。
モデルデビューから始まり、
俳優デビューに、歌手デビュー
大河ドラマ・「風と雲と虹と」にてブレーク後の多忙ぶりを網羅しましたが…
草刈さんも三十代に入った頃から徐々に役柄も小さくなって行き、
活動を舞台に移されました。
そして、時を重ね、
2016年の大河ドラマ「真田丸」での再ブレーク
そんな草刈さんの大活躍を知る由も無いアメリカ人のお父様は、
今から10年前まで、存命でいらしたのです…。
その間、
お父様は、草刈さん親子を気にしていただろうか
そして、
結果的に、親子を日本に残して来た事を悔いていただろうか
そうした草刈さんがお父様に対して最も知りたいであろう問いの答えを、
自ずと、私も求めてしまいます。
番組中、
亡き父の姉であるジャニタさんの口から出た言葉から、お父様の本音の一端が垣間見られます。
「日本とアメリカは(太平洋戦争時)敵国同士だったから、
弟は、親子の存在を言い出せ無かった…」
と、
この言葉から分かるように、草刈正雄さんとお母様も、先の大戦の犠牲者なのだと思います。
それほど戦争とは後々まで、
人の人生の生涯に渡り深く傷を残すものなのだなあ…
としみじみ思わされました。
そして、幸、不幸のふれ幅があまりにも大きな草刈さんには、
どうか、
これからもジャニタさん始め、アメリカのご親戚の皆さまとの交流や会話を通して、
亡きお父様の本音を知る事が出来る事をお祈り申し上げます。
私は、
正雄さんのお幸せを祈って止みません。
(草刈正雄さん・終わり)
画像はお借りしています。
初めての方へ。(私のこと。)↓
沖縄ミュージシャンとの出来事。
恋ヶ窪ゆずる・投稿歴
雑誌/『婦人公論』読者手記・傑作選入選
入選作品は、当ブログ掲載の「うずく、沖縄」と同じ内容です。
(直木賞作家・小池真理子さんより講評を頂きました。)
雑誌/『猫の手帳』読者手記・掲載
また、とある同人誌にて、作家の故・北杜夫氏、佐藤愛子氏と共に自身の作品が掲載されました。